三幕 愚者のラストゲーム 11

 ――チルドレン・ナキ。私が貴女に気付かないとでも?


 ウタは頬杖をついて退屈そうに、ナキとシズルのやり取りを眺めている。窮地に陥ったナキに助け舟を出すなんていうやさしさは、この少年にはない。知っている。これはわたしの『遊戯』。手出しは無用。

 ゆるりと睫毛を伏せると、ナキは蕾が綻ぶように微笑んだ。


「ベット。100枚」


 コインのタワーをふたつ中央に押しやる。ポーカー・ゲーム上ではじめてのナキの「ベット」だった。さらに息をつく間もなく、ウタが賭け金を「レイズ50枚」に吊り上げる。これで最初のターンが終了。ゲームは続行となり、ポットから手札を交換する。

 遊戯の戦況がまた展開した。

 ターゲット・カレニアを地下街で発見。発見したのは再びノルン。セツがどこにいるかはわからなかったが、ソルの現況を伝えるはずの画面は何故かブラック・アウトしてさざ波が走っていた。『撮影班』の不調か、それともソルの身に何かが起きたのか。第三回のベットまではあと六時間。このままノルンがカレニアを殺害すれば、先ほどのベットが最終になる可能性が出てきた。


「『祝祭』のことは知っている?」


 シズルはコールした。ナキも交換した札を手持ちに加えながら、口を開く。

 シズルの問いなど聞いていなかったような話の向け方だ。苦笑をかもして、シズルが顎を引く。


「遊戯を司るシステムのことでしょう。存じていますよ」

「わたしが『彼』を知ったのはひと月前。シャーロックから持ち掛けられた案件のターゲットが彼だった。彼には遊戯の不正疑惑がかかっていた。手口は単純」


 ホイップクリームが溶け始めたアイスココアを啜る。焼けつくような濃厚な甘みが舌の上で溶けた。霞がかった意識がはっきりして、身体が隅々まで覚醒する。ナキにとって甘味はまるで違法ドラッグ。


「彼には、システムの不正侵入を得意とする協力者がいる。その協力者を使って『祝祭』に侵入し、遊戯終了直前にベットの答えを改竄させた。これが彼の常勝のカラクリ。だけども」


 ノルンがポケットに手を入れる。毒針をつかむときのノルンの特徴的な仕草。今はひとつになってしまった碧眼は、ぎらぎらとした闘争心を湛えて、標的を見定めている。残るチルドレン――セツはどこかの柱裏に身をひそめているようだった。ソルを示す画面は依然ブラック・アウトしたまま。


「遊戯はノアの館でしか鑑賞することができない。必然、彼が戦況を見極め、指示を出す必要がある。彼は今も、このホール内の画面に注意を向けて戦況をうかがっている。確率が高いのはノルン。でもまだ、確定じゃない」


 触れたアイスココアのグラスから水滴が指を伝って落ちる。触れれば爆ぜそうな緊張の中、シズルとナキは視線を交わした。地下街を走っていたカレニアがびくんと跳ね、前のめりにくずおれる。参加者たちが一様に息をのんだ。手札に目を落としたままだったのは、たぶんホール内ではウタだけ。ナキはすばやく画面に視線を走らせた。硝煙を上げる銃口が薄闇に輝く。


「レ――」

「レモングラス・ティ」


 シズルの声にかぶせるように、ナキは窓辺近くに控えたボーイを呼んだ。ボーイが一瞬ためらった風に、シズルに視線を向ける。シズルは眉尻を下げて、肩をすくめた。


「お嬢さんのコールが先だ。彼女に飲み物を」


 かしこまりました、と目礼し、ボーイは足を返す。

 画面上では、遊戯の勝負が決していた。カレニアが頭から血を流して倒れている。即死。鮮やかな一発だった。ポケットに手を入れたまま、少しの間呆けていたノルンが悔しげに唇を噛む。柱の暗がりから現れたのは、セツだった。その顔にこれまでの恐怖や迷いはなく、少年の目はただ冬空のように澄んでいた。セツは「はじめて」の壁を乗り越えたのだ。それが彼という人間にとって、幸福か悲劇かは、ナキにもわからなかったけれど。

 遊戯終了。ただちにコンピュータ『祝祭』で、賭け金に応じた配当金の演算が始まる。


「よく気付きましたね」


 中身がほとんどなくなったウィスキーグラスを回して、シズルが呟いた。


「レモングラス・ティ?」


 シズルが協力者への指示に使っていた暗号は、ドリンクのオーダーだ。レモングラス・ティ。ウィスキー。おそらく、いくつかのドリンクにあらかじめチルドレンの番号を振っておき、勝利が確定となったチルドレンを示すドリンクをオーダーする。あのボーイもグルだろう。


「貴女が現れたときに、負ける気はしていましたけれどね。常勝のナキ?」

「わたしに賭け続けていたのは、本当?」

「ええ。貴女が失格となったあの遊戯も」


 彼は微笑み、カードを円卓に置いた。


「フォールド。貴女が不在の間の退屈しのぎも終わってしまいましたし、次の遊戯では貴女が活躍する姿を楽しみにしていますよ。十二番『吊るし人』」


 そのとき画面が切り替わり、配当金と最終の賭け率が表示された。やはりセツに賭けていた参加者は少ない。数か月に一度の大金が出ていた。


「レモングラス・ティの意味は『現状維持』」


 シズル=センカワは去り際にそう明かした。


「賭けは強いんです、貴女と同じ」


 自らの力で大金を手にした男は涼しげにわらうと、ノアの館から去っていった。ホール内には参加者たちの興奮と少しばかりの落胆がうずまいている。特に終盤までブラック・アウトしたまま、姿を現さなかったソルについてはさまざまな憶測を呼んでいた。いわく、撮影班の機材が故障したのだとか、ソルが何らかの怪我を負ったのだとか。今は『遊戯終了』の文字だけが表示された画面を見やり、ナキは息をついた。


「ポーカーは続ける? ナキ?」


 白亜の歌姫は、愛らしく小首を傾げる。シズルがフォールドしたため、円卓にはウタとナキのふたりが残っている。ナキは倦んだ一瞥を少年に向けた。


「アナタはゲームに強かったのだっけ。ウタ」

「どうかなあ?」


 なまめかしくあぐらをかいたまま、ウタは手持ちのカードを指で弾く。


「勝つと、ナキがもらえるって言ってたね」


 ウタはまだ男の子のふりを続けている。

 普段の少女めいた仕草や喋り方とはまるでちがう。こんなことを、ウタはできたのだっけ。ナキの胸ににわかに疑問がよぎった。こんな男の子みたいなふるまいを演じられたのだっけ、ウタは。

 あるいはいつものウタのほうが演じられた虚像に過ぎないのか。愛らしく甘えたがりの、わたしの、いもうとは。



 もてあそんでいたカードを円卓に返して、ウタはわらった。


「欲しいものは欲しいときに、奪うけど。力づくでね?」


 表にされたカードは、ひとつの役すらもないノーペア。目を伏せて、ナキは自分の手札をその上に重ねた。ストレートフラッシュ。……奪わせない。今はまだ。


 *


 シャーロックからナキの端末にコールが入ったのは、遊戯が終了した数時間後のことだった。ナキはシズル=センカワの件を報告した。彼がおそらくはもう不正に手を出さないことも。


『なら、構わない』


 シャーロックの返事はあっさりしたものだった。

 次にこの街を訪れるとき、シズル=センカワは客のひとりとして歓迎されるのだろう。シズルが良質な客である限り、最高のエンターテイメントを提供する。それがこの街の『支配者』たるシャーロックの流儀だ。

 ナキは黒のドレスにモッズコートを羽織って、埠頭から橋を見上げている。シズルが生きる東京の街はこの橋の向こう側。濃密な闇のなかを時折光が明滅するタウンに対して、東京にはいくつもの摩天楼がそびえ、まばゆい光が溢れている。まるで壊れた宝石箱。


「シャーロック」


 髪に挿したピンをひとつひとつ抜いて、つけ毛と一緒に海に捨てる。

 慎重に、ナキは口を開いた。


「十二番のタグをそろそろ返して」

『おまえもつくづく働き者だな。もうちっと遊んでおけばいいのに』

「アナタのぱしりはもう勘弁。ペナルティはこれでおしまいだったはず」


 埠頭に並んだポールに腰掛けたナキは、停泊中の船上で人影が動いた気がして瞬きをした。東京とタウンを繋ぐ商船に通常、夜の運航はなかったはず。ナキはコートのポケットに突っ込んでいた銃を握った。


『いいぜ。ただし条件がある』


 端末越しにゲームの電子音が響く。シャーロックはまだコンピュータ・ゲームにはまっているのか。


『さっきの遊戯でチルドレンがひとり現場から逃亡した』

「逃げた?」

『そうだ。撮影班をぶっ殺して、遊戯を放棄したんだ。この意味が、わかるな?』


 二回目のベットのあと、ブラック・アウトを続けていたソルの画面を思い出す。機械の不調かと思っていたが、彼は逃げたのだ。遊戯から。


「――……『うたえぬ金糸雀には死を』」

『奴の首にはまだタグがかかっている。奪え、ナキ。チルドレンでい続けたいならな?』


 遊戯開始のコールが響き、コンピュータ『祝祭』が稼働する。

 デス・ゲーム。指名されたのは、十九番『太陽』のソルと、番号無しのナキ。


 ――お集りの紳士淑女の皆さん。『うたえぬ金糸雀』はさあどちら?


 端末を切り、ナキは商船のコックからこちらをのぞく妖精に目を向ける。

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