三幕 愚者のラストゲーム 09
二週間後の満月の日。『遊戯開始』の宣言がシャーロックから発せられた。
指名されたのは、十番『運命の輪』のノルンに、十三番『死神』のセツ、そして十九番『太陽』のソル。右目を負傷して休養していたノルンは、数か月ぶりの遊戯復帰だ。ノルンのファンはさっそく彼女に賭けるべく、ノアの館に押し寄せた。
注目の標的は、カレニア=ドーア。東京で暗躍していた少女詐欺師で、愛らしい姿に似合わない手練手管で男たちを次々騙し、金品を奪ったのち、毒殺した。しかし一年前に捕まり、このほどシャーロック・タウン行きが決まったのだという。
東京から送還された囚人は、シャーロックの所有する監獄で管理され、遊戯と同時に発信機をつけてタウン内に放たれる。囚人たちは一様に東京をめざすが、東京とタウンは一本橋でつながれているだけで、その橋も東京側では厳重に封鎖されているため、脱出はほぼ不可能といっていい。逃げ惑う囚人をチルドレンが狩るのが、人気の『囚人遊戯』である。
「遊戯開始は、三時間後ですって。聞いてる、ナキちゃん?」
準備中のバー・トリッキーのカウンターで、ナキはモッズコートを引っ掛けたまま眠っていた。愛らしい眠り姫にトリッキーはにっこりと微笑み、手を組み合わせて、おはようのキスをしようとする。その寸前で、ナキは肩を震わせて頭を起こした。ぱちくり、と目を瞬かせ、間近に迫るルージュの唇を見上げる。
「…………?」
無言の応酬がしばし交わされたのち、ちっと男らしい舌打ちをして、トリッキーは身を引いた。結局、このおひとよしの自称女性は、ナキには強く出られないのだった。キスの代わりに、檸檬をスライスした冷水をナキの前に置いて、トリッキーは店のラジオのボリュームを上げる。
「三時間後に遊戯開始ですって」
「……指名されたのは、だれ」
「ノルン、ソル、それにセツよ。この間の遊戯はひどかったわねえ、彼。仲間うちでもあれはないってさんざんだったわよ」
「三時間後……」
時計を確認したナキは冷水を飲み干す。それでやっと目が覚めたらしい。肩にかけるだけだったモッズコートに腕を取すと、ナキはひらりと床に降り立った。玻璃めいた殺気を張りつめさせる少女に、トリッキーは苦笑する。
「ナキちゃん。あなたの指名はなかったようだけど?」
「でも行かなくちゃ」
よどみない足取りで歩き出した少女を、「いってらっしゃい、お姫さま」とカウンターからトリッキーは送り出す。
*
ノルンの復帰が影響してか、ノアの館に集まった参加者の数はいつもよりも多かった。遊戯開始とともに行われる一回目のベットはすでに締め切られ、ホール中央にある画面にノルン、ソル、セツ、それぞれの姿が映し出されている。ちなみにこれらの撮影は、シャーロックが雇った撮影部隊によってなされている。彼らは周囲に巧みに紛れながら動き、遊戯の一部始終をカメラにおさめる。人前に姿を現したことはないけれど、遊戯を支えているのは彼らや時計塔の技術者たち。
囚人遊戯は、対象をいかに早く見つけ出し、近づけるかが鍵になる。さっそく馴染みの情報屋を使って、カレニアの目撃情報を収集するノルンとソルは慣れたものだ。未だに情報屋のツテを持たず、標的のおおまかな位置を知らせる発信機のみに頼っているセツは分が悪い。
画面の横に表示された、一回目のベット状況をナキは確認した。一番人気は下馬評どおり、ノルン。次にソル。セツに賭けた人間は十名ほどしかいない。
かつん、とミュールを鳴らして、ナキはノアの館の中を歩く。ステージではウタがちょうど一曲歌い終えたあとらしい。舞台袖の長椅子で休む歌姫の代わりに、シュエの優雅なピアノ・ソロがホールに流れていた。
遊戯の待ち時間、参加者たちは娼妓を呼び寄せたり、ギャンブルに興じたり、思い思いの時間を過ごしている。ホールのいちばん端の窓辺で、ひとりウィスキーグラスを転がす男を見つけ、ナキはまっすぐそちらへ向かっていった。
「ダフネ?」
近づくナキに気付いたシズル=センカワが顔を上げる。氷の張った窓に架かるのは、金の満月。約束の遊戯の夜だった。
「君が来るのを待っていましたよ」
「……今夜は何を賭ける?」
甘い誘い文句には目を眇めただけで、ナキが尋ねた。円卓に無造作に置かれたカードは、まだケースから出されてすらいない。今夜はナキひとりを待っていたのだ。
「また賭け逃げをするくせに」
「今夜は本気のゲーム。わたしも、アナタも」
「ラストゲームに……できますかね?」
「しつこい男は嫌い」
椅子を引いたナキは、ボーイにアイスココアホイップクリーム乗せを頼んだ。今日のナキは、給仕係の揃いのドレスの代わりに、光沢のある黒のナイトドレスを着ている。つけ毛を加えてアップにした髪には、真珠の髪飾りがひとつだけ。ドレープを作ったドレスの裾からほっそりした白い足首がのぞく。シズル=センカワは咽喉を鳴らした。
「では、今夜こそ貴女を」
手首を取って囁いたシズルに、ナキは微笑んだ。
「わたしはアナタの真実を」
「――アイスココアホイップクリーム乗せをお持ちしました」
張りつめたふたりの緊張を断ち切るように、甘やかに澄んだ声が割り入る。ひらりと翻ったパール・ホワイトのシュミーズドレス。トゥシューズの危うげな足取りはそのままに、少女は愛らしく微笑んで、アイスココアのグラスをナキの前に置く。
このノアの館で彼女の名を知らぬ者はいない。案の定、淡い苦笑を口元に浮かべ、シズルは肩をすくめた。
「白亜の歌姫? 貴女は給仕の仕事までなさっているのですか」
「ときどき、気まぐれにね」
歌うように言葉を返し、ウタは後ろ手を組んで小首を傾げる。その視線が向かう先はナキだ。
「何をしているの?」
「ポーカー。邪魔をしないで、歌姫」
「ふうん?」
あえて歌姫、という呼び方をナキはした。今、ウタにチルドレンのナキであるとばらされるのはまずい。他人を装い、冷たい一瞥だけをやると、ウタは白銀の睫毛をふわふわと揺らして、うすべにの唇に指をあてた。愛らしい天使の横顔に悪意が乗る。何かを思いついたウタの表情だ。
「歌姫」
「それなら、しょうがないねえ」
あっさり引いたと思いきや、ウタは勢いよく椅子を引いた。かたずをのんで歌姫を見守っていた周囲の者たちが戸惑いの声を上げる。ウタは椅子のうえに少年のように片足であぐらをかいたのだった。なまめかしい足が膝上まであらわになる。ウタは腰に巻いていた白のリボンで髪をまとめると、ばん!とその手をたおやかさなんてひとつもない、がさつな仕草で円卓に置いた。行儀悪く頬杖をついたウタは、にやりと口端を上げる。
「じゃあ、おれも加えて? いいでしょう、ダフネ?」
まるで男装劇。ウタが少年だと、気付いている者はいない。少しはいたかもしれないが、大半は気付いていない。少女の仮面にひそむ、少年のかたちをしたばけものになど。
あとには引けないと諦めたのだろう。シズルが苦笑気味に、闖入者をみとめた。
「それでは、貴女は何を賭けますか、ミスター?」
「この街の、すべて」
思いのほか大きな答えに、シズルがいぶかしげな顔をする。シャーロックの歌姫に過ぎないウタに本来、街をどうこうできる権利なんてない。
だから、ウタの正しい意図を読み取ったのは、この場ではナキだけだろう。ウタは脅しているのだ。この男に負けるつもりなら、この男がナキを手に入れるなら、この街のすべてをちぎってもいで、壊して、潰してしまうって。今は少年のなりをしたばけものは薄氷めいた微笑を口元に刷き、指先で円卓を弾いた。
「――負けられないね? お嬢さん?」
二回目のベット・コールがホールに響く。
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