三幕 愚者のラストゲーム 08

 不正侵入の痕跡は、『祝祭』内部からは発見されなかった。クラッキングは通常、侵入、行動、痕跡の掃除までを一連の流れで行う。あちらにも一流の技術者がいるのだろう、というのがツヅリの見立てだ。

 ツヅリが考える、不正侵入の手口はこうだ。

 まず一回目のベットは通常どおり行う。チルドレンの中から誰かひとりを選んでベット。二回目、三回目も同様だ。

 シズルが事を起こすのは、遊戯終了間際。戦況が決定的になったときだ。

 映像を通じて観戦ができるノアの館から、何らかの方法で仲間に連絡を取り、勝者となるチルドレンの名前を伝える。仲間はそこから遊戯終了までのわずかな時間に、メイン・コンピュータ『祝祭』に侵入。シズルのベットのデータを指定されたチルドレンの名に書き替える。遊戯が終了すると、『祝祭』による演算が始まるが、書き替えられたデータによって、シズルもはじめから勝者に賭けていたことになるのだ。


「案外、単純だね」

「ズルっていうのはだいたいそういうものさ」


 素直な感想を漏らしたナキに、ツヅリは首をすくめる。


「こっちの、まさかってところを突く。ノアの館じゃなく、『祝祭』を狙ってくる馬鹿がいるとはね」


 ノアの館には、死と悦楽に魅せられたロクデナシばかりが集まる。そのせいで、逆に失念していた。遊戯そのものに真っ向から喧嘩を売ってくる男がいるなんて。

 彼は何者だろう。写真の中で慎ましやかに微笑む青年に、ナキはわずかばかりの興味を抱く。

 夜を徹しての作業で、ツヅリだけでなく、時計塔のメンバーは皆、目に隈を作っている。男たちが作業する間、ナキはのん気にコートにくるまってうたた寝をしていた。普段眠りの浅いナキにとって、適度な喧噪やひとの声はむしろ好ましい。たっぷり睡眠を済ませて起き出してきたナキを見やり、「元気そうだね」とツヅリが力なく笑った。

 朝の光が時計塔の窓からうっすら射している。直射日光は『祝祭』の身体を傷つける。ノッポがさっそくシャッターを閉めに階段をのぼっていった。彼らの作業もようやく目途が立ったらしい。時計塔に拡張工事をして取り付けた台所で、男たちがパンとベーコンを切り、卵を焼いて、朝食を用意する。

 ナキもちゃっかりお相伴に預かった。無骨な職人たちは、何故か昔からナキを可愛がってくれる。孫娘くらいに思っているのかもしれない。


「この件は念のため、シャーロックに報告しておくよ」

「ドウゾ」


 あの怠け者が自ら解決に乗り出すようにはナキには思えなかったけれど。今もペナルティをいいことに、ナキを好き勝手使って自分は屋敷でコンピュータ・ゲームに興じている男だ。


「でも親方。また次の遊戯で不正侵入されたらどうするの?」

「もう少し時間があれば、暗号をすべて再構築するんだけど……。ひと月はかかるなあ」


 目玉焼きとベーコンを乗せたトーストを咀嚼しつつ、ツヅリが肩を落とす。その隣でトーストをかじっていたナキは目玉焼きをつるんと飲み込んで、ぱさついたパンをぬるい水で嚥下した。


「ツヅリ」


 ナキの声は大きくはないのに不思議とよく通る。テーブルに手を置いて、ナキはツヅリを見つめた。 


「暗号はまだ変えないで」

「……いいのか?」

「次の遊戯で、あいつはわたしが仕留める」


 特別気負った風もなくそう告げると、ナキはベーコンが乗るだけになったトーストを両手で持った。


 *


 ズガンッ!

 シャーロックの屋敷の緑深い中庭に、一発の銃声が響く。バルコニーで餌をあげていた鳩が驚いて皆逃げ出してしまい、ウタは残念そうにパン屑を入れた袋を下ろす。一羽だけ、足を怪我した鳩が、足元に残った。くるる、と弱々しく鳴いたその子に微笑み、ウタはかがんでパン屑をやる。


「ひどい撃ち方だね。ぜんぜん的に当たってない」


 お屋敷共有のバルコニーには、ウタだけでなく『太陽』のソルの姿もある。妹のセレネをワンドに食い殺されてから、しばらく部屋に閉じこもっていたけれど、最近はまた遊戯に参加しだしていた。ただ、戦績のほうは芳しくない。

 中庭で銃の練習をしているのは、『死神』のセツだ。

 セレネやソルとともに参加したはじめての遊戯で、勝ち星を上げたセツだが、参加者から称賛の声はなかった。遊戯の途中に、ワンドにおびえたセツが一度逃げ出そうとしたのがよくなかったらしい。勝利したにもかかわらず、セツの人気は振るわなかった。とはいえ、今はそれよりも切実な問題がセツを直面していたのだけど。

 撃った弾が的に当たらない。ナキと同様、銃を自分の武器に選んだ以上、セツにはその適性があったはずだ。けれど、今裏庭で撃ち続けている少年の腕前といったら、シャーロックとよい勝負だろう。樹にくくりつけられた的の中心どころか、端にすら当たらず、セツの放った弾はどれもてんで別方向に飛んでいってしまう。静止している的に対してすらこうなのだから、生きている人間など撃ち抜けるはずがない。


「遊戯ができなくなったチルドレンってどうなるんだろ。処分されるの?」

「さあ、どうだろうねえ」


 バルコニーの手すりに浅く腰掛けて、白銀の髪を風になびかせているウタは、気のない言葉を返す。ナキ以外に対するウタの返答なんて、だいたいこんなもの。気まぐれに返事はするけれど、心はふわふわと別のところにいる。ソルも今さら機嫌を悪くしたりしない。

 ズガンッ!

 悲鳴のような銃声のあと、セツはのろのろとその場にうずくまった。うう、と少年の咽喉からつたない嗚咽が漏れ始める。トラウマ――魔女風にいうなら、セツを苦しめているのはたぶんそれだった。銃を握ると、ワンドの獣くささやセレネが噛み砕かれる音、涎まみれの肉片、そういったものが蘇って、少年の身体を硬直させてしまう。相棒だったはずの銃は、ただの鉄屑と化した。吐き出される鉛弾は、てんで違う場所にすっ飛んでいくだけ。これではだめなのに。

 死ぬのに。

 闘わなくては、死ぬだけなのに。

 叱咤する内なる声は、セツをますますがんじがらめにして、正常な思考をも奪ってしまう。地面に額をこすりつけて泣き始めた少年を、ウタはバルコニーから慈しむように眺める。


「彼に興味があるの、ウタ」

「べつに? でも、かわいいねえあの子。見ていて飽きない」

「あいつはもうだめだよ。次の遊戯でたぶん死ぬ」


 バルコニーの手すりに腕を乗せたソルは、冷ややかな面持ちでそう評する。セレネを喪って以来、彼のいたずら癖はなりをひそめ、抜け殻みたいな顔でシニカルに笑うことが増えた。はじめてソルのほうへ目を向けたウタは小首を傾げる。


「そうかな。あなたのほうが顔色、わるいよ? へーき?」


 弾けるようにソルが顔を上げる。そこに浮かんだのは羞恥、そして憤怒の表情。


「……くたばれ悪魔っ!」


 妖精に似合わない罵倒をして、ソルはバルコニーから身を翻す。ばたん!と大きな音を立てて、屋敷とをつなぐガラス扉が閉められた。驚いた様子で足元にすり寄ってきた鳩をよしよしと撫でて、ウタは苦笑を漏らす。


「ほんとうのこと言っただけなのにねえ?」

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