三幕 愚者のラストゲーム 07

 翌日、ナキはひとり、技術屋のツヅリのもとを訪ねた。

 遊戯を司るコンピュータ『祝祭』は、ツヅリが日々メンテナンスを行い、正常に作動するかをチェックしている。ツヅリの本業は『祝祭』の整備。カメラのデータ解析やシャーロックの玩具の修理は、ただの趣味。

 ツヅリの仕事場兼住居である時計塔のドアをノックすると、「ノルン!」と叫んで、ツヅリが飛び出してきた。ドアの前に立つナキをみとめるや、あからさまに肩を落とす。彼のくたびれたツナギも一緒につるんと肩から落ちた。


「なんだ。今日はひとりかい?」

「ノルンはいないよ。最近あの子、ひきこもりがちだし」


 ウタに右目を傷つけられたノルンは、命に別状こそなかったものの、深い傷跡が残ってしまった。視力ももう戻らない。あんなにおしゃれだった少女は近頃、生成りのワンピースを一枚かぶっただけの姿で、バルコニーや屋上でぼんやり眼帯をいじっている。それでも、ナキがノアの館に潜入すると聞いたときは、ちょっと元気を取り戻して、髪のセットや化粧に協力してくれたのだけども(もちろんチップは払っている)。


「まったく右目くらいでなんだよ。あの子の気高さはそれくらいじゃ損なわれないのに!」


 ノルンがいないと、わりとはきと物を言えるツヅリなのだった。その数分の一でもノルンの前で言えたなら、もしかしたらあの運命の女神も、心を動かしたかもしれないのに。


「それで、今日は何の用?」

「遊戯を管理するコンピュータのことが知りたくて」


 ナキは時計塔の最奥に据えられた、タワー状のコンピュータのたたずまいを仰ぐ。東京で使われているものに比べると、もうずっと旧式らしい。だけど、ツヅリが大事にしているおかげで、コンピュータはいまもタウン一の働き者。

 名前は『祝祭』。歴代『シャーロック』のうち誰かが名付けたのだと聞く。

 時計塔では、ツヅリのほかに何人かの少年や老人が仕事をしていて、今もタワーにかけた脚立の上ではつなぎの少年がコンピュータをいじっていた。ツヅリがガラクタの中から円卓と椅子を掘り出して、ナキの前に置く。時計塔の中は昼でも薄暗く、随所に吊るされた豆電球が手元を照らしている。


「君がコンピュータに興味を示すなんて。チルドレンから技術屋へ転職するつもり?」


 水道水を汲んだコップを置いて、ツヅリが皮肉っぽく言った。ナキはどちらかというと機械の扱いが苦手で、特に物の修理なんてものは専門外。壊すほうが断然得意なのだった。それもナキの場合は、おおざっぱに叩き壊すことに限られてしまうのだけど。もちろん自覚してはいるので、軽く肩をすくめ、ナキはシズル=センカワの写真を円卓に置いた。


「これは?」

「シズル=センカワ。東京の実業家で、ノアの館の常連客」

「君が動いているってことは、遊戯のターゲットか何かかい?」

「ううん。ペナルティで、わたしはこの数か月、遊戯に参加できてない」

「ああ、ノルンと争った例の」


 ツヅリは遊戯そのものにはあまり興味がないようだが、ノルンの参加情報や戦績は毎回細かくチェックしている。ツヅリのノルンへの想いはどちらかというと、ファンというやつなのかもしれない。

 ナキはシズル=センカワの疑惑について、概要を話した。シズルの戦績だけがここ数か月、飛び抜けてよいこと。たまに負けてもいるが、そのときは賭け金の設定が低く、反対にこの間のように、大穴のセツに賭けて勝つから、配当金は高額になる。


「つまり、そのシズル=センカワって奴が遊戯の不正をしているわけ?」

「たぶん」


 ナキはあの夜、円卓の向かいに座った青年を脳裏に描きながら顎を引く。ポーカーに興じながら、ナキがうかがっていたのはシズルの一挙一動だった。十二時間に及ぶゲームの中で、シズルに隙はなかった。時折、飲み物を頼むくらいで、席を外すことも少なかったように思う。


「シズル=センカワね。確かに前回の遊戯にも参加してる」


 テレビくらいの大きさがあるパソコンを操作して、ツヅリが言った。画面にシズル=センカワの戦績が表示される。


「遊戯には、三年前から参加してるね。ただ、三か月前までは戦績もふつう」


 勝敗や配当金を示すグラフは、三か月前から急に上昇する。シャーロックの目に留まったのもこのためだろう。


「勝ち方は?」

「大穴の遊戯に強いね、彼。特に終盤の選択を誤らない」


 遊戯は基本的には、制限時間十二時間の三回ベット制。

 遊戯開始とともに賭けられる一回目は、戦績が高いチルドレンやお気に入りのチルドレンに皆賭ける。違いが出てくるのは二回目から。戦況やほかの参加者の賭け率をかんがみて、それぞれが「これだ」と思う本命に賭ける。ここで遊戯が終わってしまうこともあるし、この間のようにリミットギリギリまでもつれこみ、三回目のベットが行われることもあった。戦況に大きな変化がない場合は、三回目に賭けるチルドレンは二回目ほどには変化しない。


「この間の遊戯だと、セレネの失敗を受けて、三回目はソルに賭ける参加者が多かった」

「シズルはセツ」


 『死神』に賭けた、そう微笑むシズルの顔がナキの脳裏に蘇る。

 

「ただし、一回目と二回目はソルのほうだね。三回目でセツに変えたんだ」


 三回目のベット時には、セツはワンドとの交戦に失敗して、戦闘不能の様相に陥っていたはずだ。このときセツに賭けたのは、参加者356名中12名。大穴狙いの博打、という印象が濃い。


「彼は博打を好むほう?」

「どうかな。むしろ慎重そうに見えたけど」


 ポーカーにおけるシズルの賭け方は、野心的かつ粘り強い、という印象を受けた。フォールドを繰り返すナキをいたずらに追い込むこともなく、終始慎重にゲームを進めていた。考えなしの博打うち、というのはシズルのキャラに合わない。

 直近三か月の遊戯記録をたどる。それで、ナキもツヅリの言葉の意味を理解した。


「確かに、終盤が強いね」

「だろ?」


 シズルはいつも、最終ベットで選んだチルドレンで勝利している。この間のセツのように、大穴のチルドレンが勝利した局面でも、三回目のベットでは必ず「正解」を選択しているのだ。この意味するところは何か。


「結果がわかってから賭ける――ってできるの」

「それじゃあ賭けにならないじゃないか。ナキ」


 呆れた風にツヅリが首をすくめる。


「最終ベットの入力情報は、締め切られたあと、ノアの館からこっちのメイン・コンピュータに送られる。情報を集約してから演算し、賭け率と参加者への配当金を割り出す。そして遊戯終了後に発表。けど、どのチルドレンに賭けたかは最終ベット時に締め切られているから、遊戯が終わったあと賭け直すなんていうのは……」

「メイン・コンピュータに直接アクセスされたら、できますけどねー」


 コンピュータを修理していたつなぎの少年がのんびりと口を挟んだ。


「たとえば、コンピュータ内に侵入して、情報を改ざんするとか」

「おい、ノッポ。しゃべるより手を動かせよ」

「はいはい」


 肩をすくめ、少年はベルトから磨いた工具を取り出した。ったく、と舌打ちしたツヅリが急に目の色を変え、ナキを振り返る。


「……ありうるな」

「ありうるね」


 うなずきあって、ナキは少し身を乗り出す。


「前例は?」

「ない。ノアの館とメイン・コンピュータはネットワークでつながっている。暗号が設定されていて、それがないと接続はできない」

「つまり、『不正侵入』」


 ツヅリの気弱な目が、ふいに激しい怒りを帯びる。愛する『祝祭』をよその男に知らぬ間に好き勝手されていたというのだから、当然だ。タウン一の働き者の女神。女神を脅かす者をここの男たちは容赦しない。


「ノッポ! 『祝祭』を調べるぞ!」


 ツヅリの一声で、男たちが立ち上がった。時計塔の薄暗い闇にそびえたつ『祝祭』は、今はまだ沈黙を続けたまま。

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