三幕 愚者のラストゲーム
三幕 愚者のラストゲーム 01
イチニ、サンシ、ニーニ、サンシ……
高い塀の向こうから聞こえてくるかけ声に、ナキはモッズコートのポケットに手を入れたまま、顔を上げた。
かつての小学校の跡地に建てられた『教練場』は、今はナンバー無しのチルドレンの養成所になっている。孤児。娼妓や犯罪者の子ども。あるいは自ら家族を捨てた子ども。そんなどこにも行き場のない子どもたちがシャーロック・ファミリーには集まってくる。ナキは娼妓の子どもだった、らしい。物心つかない頃に、母親から二束三文でファミリーに売り飛ばされたのだとここの訓練士が言っていた。
「よう、ナキ。久しぶりだな」
有刺鉄線の張られた高い塀を見上げていると、特徴のあるだみ声が前方からかかった。閉鎖された校門の通用口から出てきたのは、三十代半ばほどの男である。右脚が悪く、引きずるような歩き方をしているからすぐにわかる。
「ナガレ」
男はこの教練場で、チルドレンの訓練士をつとめるひとりだ。名をナガレという。元はナンバー付きのチルドレンだったナガレは、二十歳になる前にファミリーへの借金を返し終え、その後は訓練士になったのだという。外には休憩のために出てきただけらしい。煙草に火をつけたナガレが「今日はどうしたんだ?」と気安く尋ねてきた。
「シャーロックから伝言。D棟からチルドレンをひとり、ナンバー付きに昇格させるんだって。オメデトウ」
ナキはモッズコートの内ポケットに入れていた封筒を取り出した。ペナルティのせいで遊戯に参加できず、自室でトレーニングをしていたナキにマダム・ロロが運んできたのだ。中身は見ていない。興味もない。チルドレンはこの間ひとり『死神』が死んだから、その代わりがさっそく選ばれたのだろうなと思っただけだ。
シャーロック・チルドレンと呼ばれるナンバー付きは、ぜんぶで二十人。零番『愚者』と三番『女帝』は常に欠番状態にある。ナンバーを持たない子どもたち『ノーナンバー』は皆、まずはナンバーを獲得することをめざす。でなければ、この塀の内側で朽ち果てていくしかない。ナンバー付きのチルドレンが命を落としたとき、塀のうちでは歓声が上がる。自分たちがめざす椅子がひとつ空いたということだから。
「こいつはまた……」
封筒の中身に目を通したナガレは、皮肉っぽく口端に笑みを乗せた。煙くさい息を吐いて、靴の底で吸殻を踏む。用はもう終わったとばかりにきびすを返そうとしたナキに、「たまには寄ってけよ」とナガレが言った。
「どうせ暇なんだろ? 先輩の心得を後輩たちに聞かせてやれば。きっと喜ぶぜえ」
「……面倒」
「ちなみにきのうもらったナッツのタフィーが中にあるんだが」
くるりと返しかけていた足をナキは止める。タフィーひとつで飢えた犬みたいにつられてしまうのだから、ナキは安い「稼ぎ頭」である。にやにやと笑うナガレの脛を蹴る。それでもタフィーは見過せない。あのカリカリのナッツと糖蜜を煮詰めた濃厚なタフィーが織り成す極上のハーモニーの誘惑ときたら。ノアの館の一流娼妓たちの比ではない。
ナガレに続いて校門をくぐると、イチニ、のかけ声がさらに大きくなった。校庭では、三歳ほどの子どもから十代半ばの少年少女がいくつかの班に分かれて訓練をしている。基礎の走り込みをしている班。縄を使って校舎をのぼっている班。組手。銃をはじめとした武器の扱い方。
チルドレンは、ただの殺し屋ではない。わたしたちは色を売らない『娼妓』。子どもたちの『遊戯』は歓楽街でいっとうのエンターテイメントであり、見世物だから、銃器の扱いひとつ、刃物の捌き方ひとつ、身のこなし方ひとつをとっても、洗練した美しさが求められた。実際、人気のチルドレンには、賭け金が多く集まる。東京の資産家がパトロンを申し出ることもあり、中にはチルドレンの背負う借金を肩代わりしたうえ、莫大な金額を払って落籍する者もいた。ナキには、そういうありがたい御仁はひとりもいなかったけれど。
「ナキ!」
校舎に入ったナガレが戻ってくるのを待つあいだ、外階段に座ってナキがあくびをしていると、離れた場所から手を振る少年が見えた。先ほどまで走り込みをしていた班がちょうど休憩に入ったらしい。少年は汗だくの顔に明るい笑みを浮かべて、こちらに駆け寄ってきた。
「どうしたの? ナキがここに帰ってくるなんてめずらしいね」
「セツ」
息を切らして膝に手をつく少年をナキは見上げる。柔らかそうな焦げ茶の髪に、やさしげな顔立ち。セツは数年前、ナキがまだこの場所にいたとき、ともに訓練をしたノーナンバーのひとりだった。あのときはナキの肩に頭が届く程度だったのに、ずいぶん背も伸びた。確かナキのひとつ上なので、今は十六だったはずだ。
「シャーロックから用事を言いつけられて。もう用も済んだし、帰るつもりだったんだけど」
ナッツのタフィーが。
ナガレが入ってしまった校舎に、ナキは恨めしげな視線を向ける。たぶん、新しくナンバー付きになるチルドレンの話を訓練長に話しているのだろうけど、はやく大切なナッツのタフィーのほうを持ってきてほしい。
「この間の遊戯は、残念だったね」
「ああ」
ナキの隣に腰掛けつつ、セツが言った。ナキの顔にはまだうっすらと数か月前の制裁のあとがある。薄くなった大小の痣に気付いて、「痛そう」とセツはそばかすの散った頬を歪めた。
「ちゃんと魔女に診てもらった? 放っておくと、痕が残っちゃうよ」
「別に、もう痛みは引いたし」
「……俺は痕が残るかもってはなしをしたんだけどなあ……」
苦笑して、セツは息をついた。
セツがシャーロック・ファミリーの扉を叩いたのは、大家族の生活費を養うためだったらしい。父はロクデナシの犯罪者。昔、霞がかった青空を見上げながらセツが言っていた。どこにいるかもわからない。母さんと弟や妹たちの食い扶持は、だから俺が稼がないと。
出自のせいか、セツはほかのチルドレンに比べて少し変わっている。
ノーナンバーのくせに、ナキの心配をしたりする。銃の的当てはうまいのに、組手になるとてんでだめ。痛そう。つらそう。苦しそう。対峙する相手に想いを馳せるあいだに、想像力なんてものが皆無のノーナンバーに返り討ちにされる。セツはやさしい。やさしいがゆえの「ノーナンバー」。教練場でもセツはもう、最年長。
「ナキがここを出て、三年だっけ」
「それくらいかも」
「すごいね、ナキは。三年もナンバー付き、しかもトップの成績なんて」
目を細めるセツは、心底憧れる眼差しをしている。ナキは薄紅の膝こぞうを抱いたまま、目を伏せた。すごいとかすごくないとか、あまり考えたことがない。生きるためにやってきた、死に物狂いで。それだけ。
そのとき集合の笛が鳴って、訓練長と一緒にナガレが校庭に出てきた。休憩をしていた班も、訓練中の班も、統制された動きで校庭の中央に集まっていく。ごめんね、と詫びて、セツも走っていった。その背中を眺め、ナキは三年前を回想する。ナキもまた、訓練の最中に集められ、ナガレから告げられた。
――ナキ。ナンバー十二『吊るし人』。おまえの番号だ。
周りの子どもたちから落胆とどよめきが沸き起こる。ナキは。教練場での成績が決してよくはなかった。だからといって落ちこぼれというわけでもなかったけれど。並。特筆すべき点も、個性もない。それが十二歳のナキだった。どうして自分がシャーロックの目に留まったのかは今もわからない。チルドレンは単純な能力だけでなく、「見世物」として面白くなるよう人選を行うから、単にそのとき「顔も成績も平均」というキャラクターが欲しかっただけかもしれないけれど。
以来、ナキはチルドレンの稼ぎ頭として君臨し続けている。
「ナンバー十三『死神』」
先日死んだチルドレンの番号をナガレが読み上げる。校庭に集められた三十人ほどの子どもたちの顔に緊張が走った。次に読み上げられる名が、番号を獲得するチルドレンだ。ナキも少しだけ興味を引かれて、自分の競争相手となるチルドレンの誕生を待った。
「セツ」
三年前のあの日のような、落胆とどよめきが起こる。子どもたちの羨望と懐疑の眼差しを一身に受け、セツは呆けた顔で口を開けていた。
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