二幕 ノルンの誤算 10(終)

 あなたを初めて目にした日のことを今でも鮮烈に覚えている。

 ワンドと呼ばれる猛獣を弾が尽きるまで撃ち続けて殺した、デビューしたての十二歳の少女。現場にはワンドの臓物が四方に飛び散り、彼女自身も頭から獣の血を浴びて、それはもうさんざんたる有様だった。チルドレンは殺しに己の矜持と美学をかける。こんな汚らしい殺し方は、あたし、絶対認めない。テレビ画面を眺めながら、ノルンはひとり憤慨したものだ。

 ナキは強かった。

 ルール違反すれすれの戦い方と力でごり押す殺し方は、客からも非難ごうごうだったけれど、ナキ自身はちっとも気にしたそぶりなんてなく、淡々と遊戯をこなしていく。あっというまにチルドレンは、ナキに戦績を追い抜かれていった。悔しかったけれど、ノルンもまた。


『あたし、あんたのこと、絶対認めないんだから』


 頬に血の痕をくっつけたまま、てくてく歩く少女の前に腕を組んで立ち、ノルンは宣言する。廊下に並んだ窓から午後のけだるい光が射して、モスグリーンのモッズコートとそこからのぞく少女の白い膚にいびつな陰影を落としている。ナキが何故薄っぺらい身体に無骨なモッズコートを羽織っているのか、ノルンはふいに思い至った。返り血が目立たないためだ。それだけで服を選ぶこの子のセンスも最悪だとノルンは思った。


『あんたみたいに美しくない子、あたしはキライ』

『……誰?』


 ノルンの前で立ち止まった少女が、目を眇めて尋ねる。

 この頃のナキはまだチルドレンの名前と顔が一致してなかったからだが、ノルンは面食らってしまって、思わず絶句する。愛らしいノルンは、どこにいても、誰といても、いつだって注目の的だった。天性の容姿と計算し尽くしたふるまい。ノルンを適当に扱う人間なんて、タウンにはいなかった。

 腹立たしさから名乗らずにいるノルンに、ナキは話は終わったものだと解釈したらしい。少し首をひねりながら、ノルンのすぐ横を通り過ぎる。それで、天啓を得たみたいにノルンは理解してしまう。この少女はノルンを見てはいない。気に留めてすらいない。


『ま、待ちなさいよ』

 

 追いかけようと踏み出しかけた足を理性でとどめ、ノルンはナキの背中に声をかける。悔しかった。この少女を振り向かせたい。少しでもその視界に入りたい。あたしがあなたを初めて見たときと同じように。ただその一心で。


『あんたみたいな子、絶対に負かしてやるんだから……っ!』


 だから代わりに宣言した。

 一方的なその「約束」は、三年を経た今もまだ、果たせずにいるのだけども。


 *


 失格となったノルンは、ナキのように制裁を受けることこそなかったものの、しばらくの間、遊戯への出場停止になった。屋上のモルタルに浅く腰掛けたノルンは、短パンから伸びたしなやかな足を組んで、爪にネイルを塗っている。室内でやると臭いが充満してしまうため、外に出てきたのだ。ノルンにナキのようにぼんやりと空を眺める趣味はない。

 階下の街では、今日も遊戯にチルドレンが駆り出されている。緩く三つ編みを結ったアッシュグレイの髪を風になびかせながら、ノルンはそれを眺めた。

 足元に射した影に気付いたのは、そのときだ。目の前に立った白亜の少女を見て、ノルンは息をのむ。


「……ウタ?」

「こんにちは、ノルン」


 いったいいつの間に屋上に上がってきたのだろう。チルドレンである以上、ノルンもひとの気配には聡いほうだけど、ウタの足音には気付けなかった。白いシュミーズドレスにトゥシューズを履いたウタは、首を傾けるようにしてノルンを見つめている。ノルンのように化粧もネイルも、おしゃれだってしていない。なのに、あるがままで宝石のように美しい、白亜のウタ。


「どうしたの?」

「アナタに会いたくなってしまって」


 腰の後ろで手を組んだ少女は、これまで聞いたことがない言葉を口にした。そもそも、ウタがノルンの顔を見て、名前を呼んだことなどあったろうか。いったいどういう心境の変化だろう。いぶかしく思ったものの、胸の高鳴りを打ち消すことはできなかった。あのウタがノルンを見てくれた。ナキではなく、ノルンを。それはノルンに薄暗い優越感を与えた。


「何をしているの?」

「ネイルよ。こうやって爪に……ウタもする?」


 尋ねながら、でもウタはこういうものはぜんぜん似合わない、とノルンは胸のうちで否定する。こんな飾りは、ウタの美しさをむしろ損なうくらい。急にあらゆる自信がなくなってしまって、ノルンはもじもじと身をすくめた。

ふうん、とウタは物珍しげにネイルの小瓶を眺めてから、そのひとつを手に取る。ウタには似合わなそうな、シャイニーオレンジのネイル。それを太陽に透かしたウタは、小瓶をおもむろにモルタルに叩きつけた。ぱりん、と軽やかな音を立てて硝子が割れる。ノルンは肩を跳ね上げた。


「ウタ?」

「あーあ。割れちゃった」


 悪戯っぽく微笑み、ウタは肩をすくめる。ウタが纏う空気が急速に変わりつつあるのをノルンは感じた。手のひらに広がったシャイニーオレンジの粘液を硝子の破片と一緒に握り締め、ウタはうすくわらう。天使の仮面がぽろぽろと剥がれていく。代わりに現れたのは獰猛な男の子のそれ。


「ね。ノルン? 賭けのゆくえをまだ聞いていなかったのだけど?」

「あれは。あ、あたしもナキも失格で――」

「そうだね。それで、ナキが流した血と痛みをあがなうのは、だれ?」

 

 ルールを破って制裁を受けたナキ。あの子が守ろうとしたのは――、ノルンだ。

 ノルンは何故、ここにウタがやってきたのかを悟った。甘く細められた柘榴石の眸は美しく、そのくせどこまでも冷たい。チルドレン十五番『悪魔』のウタ。この子の美貌の恐ろしさをあたし、知っていたはずなのに。


「ナキはアナタの健やかさが好きみたい」


 ネイル液で汚れていないウタの左手がノルンの顎を取る。まるで天使が祝福の口付けを与える前のよう。諦めて目を伏せたノルンの耳朶にひそやかな吐息がかかった。


「めざわり」


 硝子が皮膚を切り裂く嫌な音が聞こえた。


 ・

 ・


 ……あたし、予感してた。

 あたしのことなんて、ちっとも目に留めないで、ひとり頬に血をくっつけて歩いていってしまう女の子。あたしよりかわいくも、きれいでもないあの子に嵐のように胸をつかまれてしまったそのときに。あたしの人生は、きっとこの子に狂わされてしまうんだって。

 まったく、このあたしが情に絡め取られるなんて。

 とんだ誤算ね、『運命の女神ノルン』?



 ……二幕「ノルンの誤算」END.

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