二幕 ノルンの誤算 08
端末をオンにすると、『はぁい、こちらトリッキー!』とハイテンションな裏声が返ってきた。一度端末を耳から離し、ナキは音量を半分に下げる。
『ナキちゃーん? ちょっとお、いるんでしょ? 聞こえてる?』
「標的の潜伏場所、教えて」
『そんな風にすぐに本題に入るアナタも好きよお。場所は七階の七〇六』
「魔術師の動きは?」
『発砲はまだないみたいだけど、どうかしらん。ちなみに七〇六は西が窓側』
つまりスナイパーの魔術師が陣取るとしたら、西のビルのどこかだ。普段なら妨害策をいくつか仕掛けておくところだけど、時間がない。いくら止血を済ませてあるとはいえ、足を負傷しているのは変わらないし、無駄に時間と体力を使いたくなかった。端末を切ると、ナキは落日に照らされた廃ビルを仰いだ。ビルの周りのひとだかりは、先ほどよりもさらに増えたようだ。一瞥したところ、そこにノルンはいない。何かしらの方法を使ってビルに入ったらしい。遊戯の撮影班はまだ現場に到着できていないようだ。
ナキはモッズコートのフードをかぶると、ひとごみに紛れてビルを見上げる。七〇六号室はブラインドが下りているせいで、地上からでは人の気配の有無はわからなかった。近隣のビルをぐるりと見回す。すぐにナキに見つかるような愚は、もちろん魔術師も犯さない。
「何があったの?」
手始めに、ナキは通行人に状況を聞いてみることにした。
「立てこもりだよ。東京ならともかく、タウンで立てこもりしたってなあ……。自警団すらいねえのに、何がしたいんだか」
呟く見物人の隣で、「あいつら、遊戯の標的だよ」と別の男が口を挟む。
「恐ろしくなって立てこもったんじゃないか。さっきからときどき、スピーカーを鳴らしているし、何かやる気かも」
「スピーカー?」
「音が割れてよく聞こえないんだけどさ。何か喋ってるよ」
「ふうん」
軽く顎を引き、ナキは人ごみから離れる。ホルスターにおさまった『コマドリ』にコートの上から手を這わせつつ、ビルの裏手に回る。先ほどトリッキーから送られてきた建物の間取り図で、内部の部屋の配置や出入り口は確認している。まだ少しびっこをひきながら目当ての裏口にたどりつき、ナキはノブを回した。開かない。髪からピンを引き抜き、鍵穴に差し込む。ものの十数秒で鍵を開け、中に身を滑り込ませる。
念のため、『コマドリ』を構えたが、出入り口付近にひとはいなかった。ところどころ内装が剥げて、床板がめくれた通路が伸びているだけだ。
七人が見張りを立てているかはナキにもわからない。ただ、通行人を人質にとったのだから、ある程度は外に対して警戒していると考えていい。息をひそめ、ナキは猫のような身のこなしで階段をのぼる。廃棄されてだいぶ経つのか、電気や水道はすでに生きているか怪しい。籠城には向かなそうだ
階段の半ばまでのぼったところで一度息をつく。傷つけた太腿は鈍い疼痛が続いている。撃つときに狙いが狂うとまずいと思って、とっさに足のほうを刺したけれど、失敗だったかもしれない。
「……?」
額にぽつんと落ちた水滴に気付き、ナキは天井を見上げた。石膏ボードには、雨漏りのときにできる水染みが広がっている。ところどころ脆くなっているらしく、外れかけているものもあった。露出した天井部分に沿って走る赤錆びた水道管が見える。
そのとき、微かな足音が廊下から聞こえ、ナキは目を眇めた。腰をかがめて壁に身を潜ませ、足音のするほうに耳を澄ませる。隠すつもりはないらしい。成人男性にしては軽い足音だった。そのうち、「誰だ!」と鋭く誰何する男性の声と、きゃっと可憐な悲鳴とが同時に上がる。その声でわかった。悲鳴のほうはノルンだ。
「ご、ごめんなさい。あたし、ここにごはんの出前を頼まれて……」
「出前だと?」
食器がぶつかり合う微かな音が立った。ノルンはおそらく、なんにも知らない無垢な少女の顔をして、震えながら男を見上げているにちがいない。
「ほ、ほら、この住所に届けろって……」
舌打ちをして、「来い」と男が短く言った。きゃっとまたかよわい悲鳴が上がって、もたつき気味の足音が続く。不安そうに俯きながら、こっそり舌を出しているノルンの顔が目に浮かんだ。まんまと追加の人質として七〇六号室に入り込んだノルンは、たぶんこのあと自分が持ってきた出前に男たちが手をつけるよう誘導するはずだ。もちろん、出前には男たちを卒倒させるだけの毒物が仕込まれているはず。一見すれば、どこにでもいる少女然としたノルンだからこそ、できる芸当。ナキみたいな木偶の棒には絶対無理。
――……あと五分。
遊戯開始までは、ノルンも魔術師も動かない。今出遅れているナキにとっては、好都合ともいえた。息を吐き、ナキは穴のあいた石膏ボードに目を向けた。止血した太腿に手を置き、少しの間痛まないよう祈る。軽く息を吸い、たん!と反対の足でナキは壁を蹴った。跳躍してボードのふちにつかまり、破れる前に配管を支えに身体を押し上げる。右脚から悲鳴が上がったが、なんとかこらえて、中に身体を滑り込ませた。
ウェストポーチからペンライトを取り出し、口に咥える。何年も使われていなかった廃ビルの天井裏は、埃がたまっていて、何かのはずみにくしゃみをしそうになる。水道管に沿って這うように進んでいると、突然ビルのスピーカーから音が流れ始めた。
「……電線、まだ生きてたのか」
ワレワレハ。
近すぎるため、音が割れていまひとつ聞き取りづらい。ただ標的のひとりが何かを話しているらしいことはわかる。
ワレワレハ。
ニゲテキタ。
マル、イチ、キュー、ケンキュウジョ。
ワレワレハ。
……ニゲテ……ジジッ……
ノイズでアナウンスが途切れかけたとき、閃光のような銃声が窓を割った。
二発。
短い悲鳴が上がり、何かが倒れる音が続く。
「あいつ、フライング……!」
魔術師が攻撃を仕掛けたのは、きっかり三十秒前だった。先に手を打っておいて、遊戯開始と同時に捕まえる算段なのだろう。もはや、隠れていることに意味はなさない。銃撃と悲鳴の中、ナキは音を頼りに走り、天井板を蹴り破った。割れた天井板と一緒に、七〇六号室に降り立つ。いつものようには着地できず、右脚から崩れて半ば転がるようになってしまったけれど。
午後六時ジャスト。
遊戯開始の鐘が街に鳴り響く。
第一回ベットの時間は三分。ナキはすばやく身を起こして、中の配置を把握する。西側の目隠しをしていた窓ガラスが割れ、ふたりの男が肩から血を流して床に倒れている。壁際には人質の青年と、出前の箱を抱えた少女――ノルン。黒髪のかつらをつけて地味な少女っぽい変装をしている。出前の中身はまだ男たちには食べさせてないようだ。むしろ、その牽制のために魔術師がフライング気味に発砲したといえる。残る男の数は五人。皆、おののいた顔で身体を寄せ合い、ナキのほうを見ている。
「な、なんだ、おまえは」
「動かないで」
玻璃のような声でナキは言った。まっすぐ向けられた回転式拳銃をみとめ、男たちは息をのんで沈黙する。
二、二、三。ナキがめざす、ノルンと魔術師と自分の標的の配分を脳裏に描く。魔術師が仕留めたふたりは魔術師にくれてやるとして、さて残り五人をどううまく配分するか……。考えていたナキは、何気なく目に映った向かいのビルで信じられないものを見た。ビルの屋上で、フードを下ろした少年がライフルを片付けて身を翻している。見間違えようもない、魔術師だった。彼はこちらに顔を向けると、たぶんにやりと、歯をむき出しにして笑い、きびすを返した。
「……あの悪童」
怒りにも似た感情がこみ上げる。魔術師は勝敗にこだわらない。いつだって面白いほう、ナキを邪魔するほうへと賭ける。魔術師はノルンとナキの私闘を知っていた。二、二、三――。ひねくれ者の魔術師がナキの計算に素直に乗るわけがない。
残された標的の数は五。魔術師は厳密には生け捕りにできていないから、カウント〇で、七に逆戻りか。どちらにしても、彼が遊戯から離脱した以上、ナキとノルンでこの七人を配分せざるを得なくなる。ひとりの人間を半分に割ることはできないから、これでは明確な勝敗がつく。
つまり、ノルンが勝って、ウタをノルンに差し出すか。ナキが勝って、ノルンをウタに差し出すか。どうしよう。どうするの、ナキ。どちらがマシ。どちらが――……。
考えるうちにオーバーヒートを起こしたみたいに、こめかみがずきずき痛んでくる。最初に、私闘なんて馬鹿げたことを提案してきたのはノルンだ。ウタの脅迫に意地を張って、ゲームに乗ったのも彼女。その結果、ノルンに何が起きたって、ナキには関係ない。自業自得。己の力を過信した愚者は、タウンでは光の明滅みたいに死ぬ。そこに女神の慈悲も、やさしい奇跡もない。けれど。
『あたしはとっとと借金返して、ファミリーを出るわ』
『タウンの外でのし上がってみせる』
あの横顔に焼けるような羨望を抱いてしまった。
わたしが。……わたしも。
愚か者なんだろう、たぶん、きっと。
「何してんのよ、あんた」
おびえる男たちに対して、ひとり立ち上がったノルンが怒声を上げる。
彼女からすれば、不思議でたまらないのだろう。ナキは今、優位に立っている。何故勝ちを取りにいかないのか。取りに行かないのなら――。
あたしがもらう、と。
ノルンの手がポケットから何かを探り出したのを見て取り、ナキの身体は反射的に己の意思を取り戻した。悔しさと敗北感で気が狂いそうになったけれど、一連の動作だけは落ち着きを払って、狙いを定めた『コマドリ』の引き金を引く。
ガンガンガンガンガンッ!
破壊音とともに、五発の弾はすべて男たちの額に命中する。
即死だった。ひっと後ずさる負傷した残りのふたりにも、ナキは銃口を向ける。
「たすけ――――」
ガンッガンッ!
それで終わった。
七つの破壊された頭部から血と脳漿が流れ、ナキのブーツの先まで広がる。人質の青年は失禁したまま泡を吹いていた。ただひとり、ノルンだけは硝煙の中で忌々しげに舌打ちをする。
「……馬鹿じゃないの、あんた」
ややもして呟いた少女にはこたえず、ナキは『コマドリ』をしまってきびすを返した。ビルの外にはいつの間にかダフネが手配した医療班が待機していて、遊戯終了の合図とともに中に駆け込んでくる。すれ違う白衣の男たちが冷凍ポッドを運んでいるのを見やり、ナキは頬にくっついた体液を拭った。ポケットに手を突っ込み、ことん、ことん、と足を少しひきずりながら、ひとり階段を降りていく。
*
最終結果
一番『魔術師』:捕獲〇名/失格
十番『運命の輪』:捕獲〇名/失格
一二番『吊るし人』:七名殺害/失格(ペナルティ)
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