二幕 ノルンの誤算 07
――標的の潜伏場所は、タウン三区画24番地のビル。
――通行人を人質に立てこもり。
同じ情報はおそらくノルンのもとにも入ったのだろう。目配せひとつ交わさずにナキとノルンは走り出す。『遊戯開始』まではあと一時間。魔術師もたぶん、どこかのルートから情報をつかんで現場に向かっているにちがいない。離れた場所に止めたスナフキンのドアを開けると、対面のドアが開いてノルンが助手席に乗り込んだ。これにはさすがのナキも眉根を寄せる。
「アナタも乗るわけ」
「ナビはするわよ。早く! 魔術師に先越されたくないでしょ?」
それを言うなら、ノルンだって競争相手のチルドレンだ。といっても、ここで押し問答をするのは時間が惜しい。ナキは嘆息して、スナフキンのエンジンをかけた。アクセルをめいっぱい踏みこんで加速。道に張り出してエールを飲む住民たちを轢きかねない勢いで、タウンの狭路を走り抜ける。
「そこ右。あんた運転荒いわよ! ナキ!」
「悪童に先越されたくないんでしょ」
ナビをする、というのは嘘ではなかったらしい。的確に指示を出すノルンに従って、ハンドルを切る。三番区画までは車で十分くらい。チルドレンは正義の味方でもなんでもないので、遊戯が始まるまでは標的に手を出すことはない。その間に人質が死んでしまっても関係のないことだ。この街で運命の女神に見離された者はみんな死ぬ。
遊戯開始前に標的の居場所が特定できたのはよかったけれど、この様子だとノルンと魔術師を「出し抜く」のは無理だ。七人中とりあえずふたりを生け捕ることはできるだろうか。ナキが忙しく計算するかたわらで、ノルンは魔女に包んでもらったらしいクッキーを齧っている。ちらりと物欲しげな視線を送ると、そのうちの一枚をナキの口に突っ込んだ。
「ナキ。囚人たちの正体はだいたいつかんだ?」
「まあね」
今の口ぶりだと、ノルンも彼らがただの囚人でないことは把握しているようだ。
彼らはおそらく、どこかの施設で臓器売買用に飼育されていた人間。逃げ出してきたのは、刑務所ではなく、飼育施設だったというわけだ。トリッキーの話だと、臓器売買は東京でも裕福な層を対象になされているビジネスであるようなので、飼育人間たちはタダで捨てるには惜しい存在だったのだろう。何らかの利害調整があったあと、ダフネが派遣され、タウン内で彼らを捕獲するよう手を打った。「脱走した囚人を捕まえる」という名目をわざわざ用意した理由は、よくわからなかったけれど。
ダフネはシャーロックと付き合いが長いから、飼育人間の話を持ち出すと話を受けないと思ったのかもしれない。シャーロックは強欲なゲームマニアのくせに、ときどき気まぐれみたいに人に肩入れすることがある。特に彼は――、虐げられている人間たちに少し、弱いところがあるようだった。気のせいかもしれない。ナキたち子どもを使って稼いでいるのはシャーロックであるので、本当にただの気まぐれかも。彼に良心や善意を期待してはいけない。
クッキーを食べ終えたノルンは、小ぶりのリュックから手鏡を取り出して化粧直しを始める。遊戯開始前、ノルンは必ず念入りな身づくろいをする。自分がどのチルドレンよりも参加者の目を惹くように。あるいは、遊戯に応じて変装をすることもある。自分の外見をころころと変え、その都度、印象操作をかけるのは、ノルンの得意とするところだ。実際、ノルンにはファンが多く、彼女の名前ひとつで大勢の客が集まる。そして積み上がった賭け金の一部は、報酬としてノルンのポケットへ。ノルンがおしゃれに気を使うのは、きれいなものが好きだからだと勝手に思っていたけれど、さっきの話を聞くとそれだけではないようだ。
ノルンは誰よりもファミリーを抜けたがっている。
そのために冷徹に金稼ぎをしている一面が、この少女にはある。
「そういえば、魔術師の名前で掲示板立てたの、あんたでしょ」
「そうだけど」
ばれてたのか、と思いつつ、悪びれずにナキはうなずく。
「おかげで情報操作しやすくって、よかったけどね」
唇にベビーピンクのルージュを引いて、ノルンはコンパクトの鏡を閉じた。
掲示板を立てた理由はふたつ。タウンの住民からの情報収集。そして標的への情報操作。ナキと、そしてノルンと魔術師は掲示板に次々、あてずっぽうな「潜伏場所」を書き込んだ。五番地、六番地、七番地……。標的がそれに気付けば、書き込まれた潜伏場所は避けるようにするはずだ。そして徐々に追い詰められていく。チルドレンが遊戯しやすい場所へと標的は誘導されていく。あとは有能な情報屋による特定を待つだけだ。百戦錬磨の狩人たちに、標的は勝てっこない。だってわたしたち、子どもの頃から獲物の狩り方ばかりを教え込まれて育ったのだから。
「そこ左。そろそろ目的地のビルが見えてくるはずよ」
三番区画は、廃ビルがいくつも残るエリアで、市街地のような露店や市場のにぎわいはないが、雨風がしのげるため、不法滞在者たちの恰好の寝床になっている。標的を見つけたのも、そんな滞在者のひとりらしい。遠目にひとだかりが見えてきたので、ナキはハンドルを左に切った。目当てのビルから少し離れた別のビルの影にスナフキンを止める。
「面倒ね。野次馬が集まってきてる」
端末を確認していたノルンが眉間を寄せて、「ナキ」と呼ぶ。のぞきこんだ画面の中では、七人の男たちが拘束した人質の前で何かを喋っていた。音源が悪いせいで、よく聞こえない。
「なんて言ってるの」
「我々は……にげて、きた……。我々の、い、の、ち、は我々のもの……。声明ってやつ? 東京側にはどうせ流されないのによくやるわ」
「あちら流のストライキかな」
「あたしたちもやる? ストライキ。賃金低いし、労働環境最悪だし」
「冗談」
肩をすくめ、ナキはエンジンを切ったスナフキンの鍵をポケットに入れる。『コマドリ』はベルトに固定したホルスターに常に装着してある。今回は、ビル潜入用の道具もいくつか車のダッシュボードからウェストポーチに突っ込んだ。ドアを開けて、モッズコートを羽織る。
遊戯開始まであと四十分――……。
そこでナキの視界がぐらりと傾いた。スナフキンに手をついて、そのまま地面に座り込む。強烈な吐き気と眩暈。何が起きたかわからないまま、地面にうつ伏せたナキの前にすらりと伸びた二本の足が立った。
「あんた、ほんとちょろいのよ。ナキ」
腕を組んだノルンが不敵に笑ってナキの前に立っていた。それで気付く。ノルンの得物は「毒」。――盛られたのはいつだろう。魔女の店で薬草茶を飲んでいたときか。あるいは車内でクッキーを分けてもらったときか。この少女の前で食物を口に入れるなんて、自殺行為に等しかったのに。
「大丈夫。強烈な睡眠剤だから、死にはしないわ。後遺症もナシ。チルドレンに必要以上の危害を加えると、遊戯失格になっちゃうしね」
「ノルン……」
「負けられないの、あたし絶対に。あんたにだけは負けたくない」
それが正々堂々競う、なんて発想にならないのはナキもわかっている。そもそも、このいかれた遊戯に正々堂々なんて言葉は存在しない。チルドレンはほかのチルドレンをいかに出し抜き、遊戯に勝利するかに自分の美学と矜持を賭ける。ヘマを打ったのは、自分だ。
「ここまで運んでくれて、ありがとうね? じゃ、おやすみなさい」
ノルンはかがんで、ナキの頬にキスをした。ルージュの湿った感触が頬に触れる。気まぐれだろうか。ノルンはきれいじゃないものには絶対に触れたりしないのに。ましてキスなんて。それとも、自分が薬を盛った相手には愛着めいた感情が湧くものなのか。力なく地面に転がったナキを見つめ、「バイバイ」とノルンは呟いた。徐々に遠のいていく足音を、ナキは地面に頬をくっつけたまま見送る。
視界に淡い霞がかかり始める。
眠りそう、とナキは思った。いつも寝付けなかったぶんが今一気に襲いかかってきたみたい。このまま眠ったら、ノルンか魔術師のどちらかが勝って、起きた頃には遊戯も終了しているだろう。面倒くさくなって、それでもいいんじゃないか、と思う。ノルンにウタを取られるのは癪だけど。もう疲れてしまったし。眠いし。
あしたなんか来なければいいって、わたし思っていたし。
ナキは震える指先で、ウェストポーチのチャックを開く。指先まで凍ってしまったかのようで、ファスナーがうまくつかめない。何度か手間取っているうちに、ふふ、と無意味なわらいが咽喉を震わせた。あしたなんて来なければいいなんて気取りながら、本当はぜんぜんそんなこと思ってない。まだ、すこし。もうすこし。
ウタと一緒にいたい。
いつか断たれてしまうとわかっていながら、果敢ない望みを捨てきれない。ノルンの言うとおり。ウタに固執しているのは、わたしだ。
ポーチから引っ張り出した開錠用のナイフを回して、太腿に突き立てる。
「――……っ」
深く息をついて、ナキはナイフを引き抜いた。……大丈夫。血管は傷つけていない。コートの下のトップスを裂いて、手早く止血を済ませる。それでも、焼けつくような痛みに、ナキの意識は何度も明滅を繰り返す。息が荒い。ナイフを折ってポーチにしまうと、ナキはスナフキンを支えに立ち上がった。
これくらいの出血では、ひとの身体が機能を止めないことをナキは知っている。
ずるずるとつたない足取りで歩き始めたナキは、一度つんのめって、水たまりに突っ込んだ。腹を強打したせいで息が途切れ、また意識がどこかに飛びそうになる。血管は傷つけていないはずなのに、心臓の鼓動に合わせて、太腿の痛覚が暴れ出す。耳奥でわんわんと嫌な反響音が鳴り始めた。死んだら地獄に落ちるだろうなってナキはずっと思っていたけれど、今息をして、這いつくばっているこの瞬間、この場所のほうがずっと地獄のようだ。
(……いい、それでも)
わたしが欲しいのは、天国でも楽園でも、まして希望に満ちた明日でもない。
あなたとうずくまるこの地獄のほうが、よっぽどいとおしい。
だからどうか、狂って壊れた世界よ、永遠に続け。
この世界が冗談みたいに続いている限り、わたしは生きてゆける。
「あと、十五分」
こぶしを握り、ナキはひと息に立ち上がった。端末で時間を確認して、そびえたつ廃ビルを見据える。
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