二幕 ノルンの誤算 06

 遊戯開始が間近に迫っても、情報屋から確定的な情報は入らないままだった。魔術師名義で立てた掲示板のほうの動きも芳しくない。


「……ん」


 スナフキンのシートを倒して仮眠をしていたナキは、ぶるっと震えた端末に気付いて薄く目を開ける。時間を確認すると、午後二時。遊戯が始まるまであと数時間ほどだ。身体にかけていたモッズコートを取って、ナキはポケットから車のキーを探し出す。それで別のことに気付き、ああ、と顔をしかめた。

 やけに身体が重ったるい気がしていたけれど、このせいだったらしい。車のダッシュボードを開けるが、あいにく薬の持ち合わせがなかった。舌打ちして、ナキはもう一度時計を確認する。まだ間に合うか。考え、スナフキンのエンジンをかける。

 向かった先は、タウンの中心市街と呼ばれるところ。東京の客がやってくる歓楽街とはちがって、住人向けの日用品や食料が売られる市場があり、ほかにも酒場や賭博場、安い売春宿などが狭い区画にひしめている。

 郊外に車を置いて、電線がごちゃごちゃと張りめぐらされた雑多な街を歩く。ミニテーブルにエールを置いた住人が賭け事に興じる横では、客引きの娼婦。彼女たちは歓楽街には身を置けない二流品や三流品だ。まとわりつく女たちをやんわりと払い、ナキは小さな箒の看板がかかった店の扉を叩いた。どうぞ、とすぐに中から若い男の声が返る。


「……おじゃま、します」


 木製の扉を開けるなり、中から大型犬が飛び出してくる。この人懐っこいあほ面のもこもこした犬がナキは苦手。ところかまわず顔を舐めまわしてくる犬に手を焼いていると、「こら、モップ!」と青年の喝が入った。モップというのはこの大型犬の名前である。


「『魔女』」

「おや、ナキじゃないですか。いらっしゃい」


 奥の部屋から現れたのは、二十代半ばの青年だった。彼が『魔女』。タウンではそれなりに名の知れた医者である。何故、男なのに魔女なのかと前に訊いたことがあったが、先代魔女から魔女の名を継いだのだから仕方ない、というわかったようなわからないような答えが返ってきた。シャツにジーンズというおよそ魔女らしくない格好をした彼は、「ちょうどお客さんが来ていたところなんですよ」と苦笑する。


「お客さん?」


 眉根を寄せたナキと、円卓で優雅に茶を啜っていた少女の目が合う。そして、同時に「あ」と呟いた。


「ナキ。あんたまさかあたしを尾けてきたの!?」

「……ノルン」


 『運命の輪』を冠する少女が金切り声を上げて、ぷりぷりと詰め寄る。ナキにとっても、これは不幸な偶然だった。まさかノルンが魔女のところにいるなんて。


「ノルンも魔女に用事?」

「別にあたしがどこでお茶飲んでたっていいでしょ」

「ノルンは薬草茶をもらいにときどきここへ来るんですよ。ね?」


 穏やかな魔女の声に、ノルンはしぶしぶ顎を引く。「あんたは?」と尋ねられ、「似たようなもの」とナキは曖昧な返事をした。いまひとつ信じきれていないようだったが、ノルンもそれ以上の追及はしない。ノルンだって、薬草茶をもらいにここにやってきているなんて絶対に嘘だ。きれいなものが好きなノルンは、魔女の顔を見に足繁く通っているだけ。ナキはそう断言できる。


「ナキはいつものですか?」

「うん。お願い」


 ノルンを慮ってか、必要最低限の応酬しかせず、魔女は奥の部屋に引っ込んだ。しばらく待っていると、カラフルな錠剤が入った小瓶を持って戻ってくる。


「せっかくだから君も一杯いかがです? どうせ、遊戯が始まるまでは暇でしょう?」


 ナキも、そしておそらくはノルンも、すでにある程度の準備は済ませて、情報屋から連絡が入るのを待っている。ナキが魔女の店に寄ったのは必要に迫られてのことだけど、同じエリアで待機していたのなら、ナキが七人の囚人の潜伏場所としてあたりをつけたエリアとノルンの予測は一致している。魔術師もおそらくは近い場所に身を隠していると考えてまちがいない。よい進捗だとナキは思った。

 この遊戯、ナキははじめから勝つ気がない。

 ただ、ノルンは勝たせない。ウタをとられるのは嫌だから。

 魔術師をひとり勝ちにもさせない。あの悪童のにんまり顔を見るのは癪。

 ただし、自分が勝ってもいけない。ウタを止めるのはわたしの役目だ。

 三人の微妙なパワーバランスをはかりながら、ナキは遊戯の準備を進めている。

 理想は二、二、三。悔しいけど、ウタの言うとおりだ。ノルンが二、ナキが二、魔術師が三。この配分で七人を捕まえられたら、――わたしの勝ち。

 考えながら、ナキは錠剤の入った小瓶の蓋を開けた。

 魔女お手製の錠剤は、あやまって糖衣が溶けると、たいそう苦いので、口に入れるや水で流し込んでしまう。薬缶からお湯を注ぎ足していた魔女が、ナキのぶんのハーブティーを淹れた。数種のハーブを調合した茶葉から、爽やかな香りがくゆる。それから、円卓の籠に盛られたチョコチップクッキー。

 ……

 ハーブティのカップを置くと、ナキははしっと三枚を手に取った。


「あんたさ」


 それを見ていたノルンが頬を引き攣らせて呟く。


「大好きよね、クッキー」

「………………それがなに?」


 三枚を秒速で平らげたあと、ナキは尋ねた。


「あんたそれだけ食べててどこに脂肪……、まあもういいわ」


 ノルンは途中で面倒になった様子で嘆息する。その手がチョコチップクッキーに伸びる気配はない。美容に気を使って薬草茶を飲んでいるほどのノルンなので、ナキのように甘味を暴食したりはしないようだ。今日もきれいに整えたネイルにふっと息を吹きかけ、角度を変えて照明に手をかざす。


「はあ、憂鬱……。あたし、こういうねちねちと詰めていくゲームって、ほんとうに苦手」

「そう」

「あんたはいつでも同じテンションでいいわね。機械みたい」


 ノルンの目に自分はそう映っているのか。意外に感じつつ、ナキもあえて訂正はしない。実際のところ、ナキだって今回の遊戯は相当にテンションが低い。その理由の大半は、目の前の少女が私闘なんて面倒なことを仕掛けてきたからなのだけど。とはいえ、ノルンと愚痴を言い合う趣味もないから、ナキは無言のままクッキーを齧った。


「じゃああたし、もう行くわ」


 ハーブティを飲み干したところで、ノルンが席を立つ。それからナキのほうを振り返って、微妙そうな顔をした。


「……ちょっと。帰らないわけ、あんた」

「クッキーがまだあるし」


 両手にクッキーを持っているナキを呆れたように見つめて、「あっそ!」とノルンはつんと唇を尖らせた。何故かはわからないけれど、ナキはまたこの少女の不興を買ったらしい。魔女に対してはきちんと相応のチップを置いて別れるノルンに一瞥をやり、ナキは食べかけのクッキーをほおばる。大きな音を立ててドアが閉められた。部屋に残った魔女は苦笑顔だ。


「彼女、君が好きなんじゃないですか? もっとやさしくしてあげればいいのに」

「ノルンが好きなのはウタだよ」

「わかってないなあ、ナキは。乙女心というのはそんなに単純じゃありませんよ。あの子が意識しているのはウタじゃなくて、君。たぶん昔からずっと」


 意識は、もちろんしているだろう。何しろ、ノルンとナキはデビューした時期がかぶっている。ナキが稼ぎ頭に君臨し続けたということは、ノルンは二番手に甘んじ続けたということ。あの気位の高い少女がそれをよしとするはずがない。


「まあ、嫉妬や羨望なんて、似たような感情ですからね」


 よくわからないことを言って、魔女はナキの対面に座った。世間話はそれでおしまいにしたらしく、少し真剣な顔で、円卓に置かれた小瓶に触れる。


「僕から言うのもどうかと思うけど、あんまりおすすめできる薬じゃありませんよ」


 カラフルな形をとってごまかされたそれ。


「君の身体を壊してしまう。まだ十五なのに」


 そこにざらざらと入った錠剤は、少女の月経を止めている。一年前、ナキの身体に訪れた少女の証。腿を伝い落ちた経血。それは無理やり薬で止められている。少女の兆しがこれ以上身体を変えてしまうことのないように。


「最悪、子どもが産めない身体になってしまいます。……聞いていますか、ナキ?」


 黙って小瓶を見つめているナキの前で魔女が手を振った。それでようやく焦点を取り戻し、ナキは一度瞬きをした。

何故、魔女はそんなに先のことを真面目な顔で心配するんだろう。今日とあすの変化におびえているナキにはぜんぜんわからない。あしたウタが隣にいて。あさってもウタが隣にいてくれるなら、わたし。その先の未来なんかいらない。


「――ありがと、魔女」


 お代を置いて小瓶をさらい、それをモッズコートのポケットに押し込む。魔女はいつも数か月ぶんの薬しかくれない。そして次のぶんを渡すときに決まってナキに問うのだ。続けるのかと。面倒だけど、しかたがない。魔女はたぶん、ヤサシイヒト、なんだろう。お節介なやさしい魔女。

 足元で寝ていたモップがナキの足音に気付いて、長い尾っぽを振る。じゃあね、とふたりに言って、ナキは扉を閉めた。背の高い雑居ビルが多いこのエリアは、午後を過ぎると、ビルの影でどこもかしこも薄暗い。その暗がりに身をひそめるように、対面の壁に背を預けるノルンに気付いて、ナキは眉をひそめた。気配が残っていたから、そうだろうなとは思っていたけれど。


「あんた、そういうの、かっこ悪いわよ」


 目の前を通り過ぎようとしたとき、ノルンが言った。


「……盗み聞き?」

「あら、いけない?」


 ノルンはどこか挑発をするように腕を組んだ。


「あたしね。わかってるのよ」

「なにが?」

「ウタがあんたに執着してるんじゃない。あんたがウタに執着してるの。涼しい顔しちゃって、あんたちゃんとそういう自分と向き合ったこと、ある?」


 清冽とした少女の声音に、ナキは目を細める。あたしは、と腰に手をあてて、ノルンは宣言した。


「あんたとはちがう。とっとと借金返して、ファミリーを出るわ。ダフネみたいに。タウンの外でのし上がってみせる」


 子どもたちを一人前にするまでにかかった経費、生活費。それらは借金としてチルドレン一人ひとりに背負わされている。ウタのような例外はさておき、ふつうのチルドレンなら相応の稼ぎをあげると、借金を返してファミリーを抜けることもできた。その前に命を落とすほうが何倍も多いのだけども。

 ノルンなら宣言どおり、ファミリーを出るだろう。

 この少女にはそれだけの胆力と才覚がある。

 前を見据えるノルンの横顔を眺めながら、ナキの胸にふいに兆したのは、羨望、だろうか。ノルンのしなやかな肢体には少女の生命力と自信が満ち、どこへだって駆け出すことができそうだ。ナキは。ゆけない、どこにも。ぶかっこうで、少女でも少年でもなくって、中途半端で。生きていく価値なんてほんとはちっともない生きものが立って息をしているだけだ。くるしい、とナキは思った。

 くるしい。それが、ナキに残った数少ない人間らしい感情のひとつ。

 はやく――……はやく、おしまいにしちゃいたい。

 片隅で終わりを願いながら、勝利にしがみついて、トリガーを引く。

 それがわたし。わたしというばけもの。


「あんたはどうなのよ、ナキ」

「……わたし?」

「いつまでもウタと取り替えっこできると思わないで」


 そのとき、ナキとノルンの端末が同時に着信音を鳴らした。それを契機に、どこか霧がかっていた思考がもとの自分を取り戻す。通知画面に表示された名前はトリッキー。ボタンを押して「はい」と出たとき、ナキの声はいつもと変わらなくなっていた。


『あら、よかった。つながったあー。ナキちゃん、急いで。今、ネットのほう、とんでもないことになってるわよ』

「どういうこと?」


 ノルンに聞かれないように声をひそめて、壁際から離れる。ノルンもまた電話口の相手と似たようなやり取りをしていた。


『標的の潜伏場所が特定されたの。タウン三区画24番地のビルよ。情報提供した通行人が人質になってる』

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