二幕 ノルンの誤算 05
朝、端末から確認すると、魔術師の名で立てられた電脳空間上の掲示板に「七人の囚人のゆくえ」の情報が続々と集まり始めていた。ただ、今のところはどれもジャンク情報ばかりだ。スナフキンのハンドルに肘をつき、ナキもいくつかフェイク情報を打ち込む。こんなものに攪乱されるほど、魔術師もノルンも馬鹿じゃないけど、罠は多く張ったほうがいい。
「トリッキーからの情報はまだなし、か」
囚人のゆくえのほかに、トリッキーには別件の情報収集を頼んである。小伝馬刑務所に収容された囚人について、その罪状と身元、脱走ルート。ダフネがシャーロックの前で言葉を濁して明言しなかった部分だ。タウンの外にある東京の情報は収集しづらく、情報料は格段に上がるけど、幸いにも稼ぎ頭のナキには潤沢な資金があるから、できないことじゃない。
『あんたは物事の裏の裏に目がいくのねーん、ナキちゃん』
小伝馬刑務所の話を頼んだとき、トリッキーは端末越しに、そんな風にわらった。それは前にアギラ=ソンジュの件でも言われたことがあった。――あんたたちは創造主の忠実なる駒なのでしょ? 引き金を引く以外の知性が必要あるのん?
『そんなあんたがアタシは好きだけど、あまり余計なことに首を突っ込むとチルドレンの座を追い落とされるわよ?』
「冗談。――それより、この話、受けるの。受けないの」
『ナキちゃんのためなら、なんだってするわよ。オッケー。久々に腕が鳴るわあ』
ぽきぽきとこぶしを鳴らす音がして、トリッキーが鼻息を荒くする。情報屋トリッキーの本業はハッカー。情報の収集だけではない、必要とあらば盗むことができるのがカノジョのすごいところ。東京ではブラックリストの上位に挙がる犯罪者だけども、今はナキのもっとも信頼できる相棒。
「それとトリッキー」
『はあい? 投げキッスはひとつ? ふたつ?』
「ついでに『魔術師』の名で掲示板をひとつ立てておいて」
『いつもの手口ね?』
「案外、これがいちばんきくんだ」
回想から立ち戻り、分刻みで情報が入り続ける掲示板をざっと確認してナキは端末をしまった。この掲示板を立てたのは、魔術師の名を騙ったナキだ。勝つために、ナキは手段を選ばない。必要なら、小細工もする。非力なナキの味方たち。お金と情報量、あとは少しのずる賢さ。
市街をしばらく走り、旧かもめ橋のたもとで停車する。エンジンを切ったスナフキンを下り、ナキは助手席から紙の包みを取り出した。中には朝自分で作ったサンドイッチが入っている。スナフキンに寄りかかり、ナキはサンドイッチを片手に、タウンと東京の間にかかった旧かもめ橋を眺める。アギラ・ソンジュのときのように現場確認をしに来たわけじゃない。ただ、この海風が常に吹き渡る埠頭がナキのお気に入りであるだけ。
朝のこの時間、旧かもめ橋の上に車の行き来はなかったけれど、民間の商船はタウン側に停泊して荷の積み下ろしをしていた。商船は二日に一度、決まった時間にやってきて、食料や日用品、嗜好品をはじめとした商品をタウンの卸売業者に売りつける。登録上は住民数ゼロの島だけども、実際のタウン内には推定数万近い人間が住んでいるだけあって、積み荷の量も膨大だ。
ハムサンドを食べ終えたナキは、ボンネットに載せていた紙袋が消えていることに気付いた。見れば、車を挟んだ対面にジーンズ姿の少年が寄りかかり、キュウリサンドをかじっている。ナキは息をついた。
「魔術師」
「汁気が多いな、これ」
不満げに呟き、少年はサンドイッチを飲み込む。
神出鬼没の悪童は、ときどき気まぐれにナキの前に現れたりする。たいていはナキがひとりでいるときを狙って。
「何しにきたの」
「おまえ、俺の名前で掲示板を立てただろう」
「ああ、ばれた?」
「もう少しセンスいいネーミングにしろよ。恥ずかしい」
名前を騙ったことより、騙り方のほうが魔術師の不興を買ったようだ。スナフキンを挟んでそれぞれ別方向を向いているため、互いの表情はうかがえない。サイドミラーに映った少年の背中をちらりと盗み見る。ダメージジーンズに髑髏のロゴ入りパーカー。品の悪い金髪頭に、耳にはじゃらじゃらしたピアス。おまえがセンスを語るな、とナキでも文句をつけたくなるくらいのセンスの悪い恰好。カメラの前に顔を見せないせいで、一部でミステリアスだなんて評判の魔術師だけども、本物の彼を見たら、きっとみんな幻滅する。悪童。この呼び方がいちばん的確だ。
「刑務所じゃないみたいだぞ」
パーカーのポケットに両手を突っ込んで、魔術師はぽつりと言った。
「何?」
「あいつらが脱走してきたの。刑務所じゃねえみたい」
「ふうん」
それは実は、少し前に知ってた。
トリッキーからの中間報告。
『小伝馬刑務所からの『脱走者』はいなかったみたいよ? ナキちゃん』
報道はもちろん、警察が付近に出動した記録もないという。脱走がなかったのだとしたら、彼らはいったい東京のどこから、何から逃げてきたのか。
「ダフネが言ってた内臓を傷つけるなってどういう意味だと思う?」
普段、チルドレンの誰ともやらない「対話」をナキは魔術師には試みることがある。魔術師もそれをしにナキのところに姿を現す節があった。
「外のパーツには興味がない」
「価値があるのは中身。……たとえば、臓器?」
「臓器の売買って、あっちではふつうにあるらしいぞ」
呟いた魔術師に、ナキは軽く肩をすくめる。
「こっちにはそれができる医者がいないからね」
「臓器売買用の家畜が七体か。ひひっ。家畜と家畜の追いかけっこなんて、楽しいねえ」
「ダフネはどうして正直に言わなかったんだろう」
「そりゃー、体面とかあるんじゃねえの。補佐官には」
そこで一度沈黙が流れ、ナキと魔術師は再び考え込むように別方向の空を仰ぐ。
これは協力ではない。まして馴れ合いでも。むしろ絶対にこいつとだけは馴れ合わないとわかっているからこその「対話」。ひとりで考えていると思考が停滞する。思考をほどよく刺激するための相手を互いに欲している。そういうとき、魔術師はナキの前に現れるし、ナキもまた彼の話に付き合う。
「シャーロックはわりと、行き場がないひとに寛容だから。臓器売買の話をすると、引き受けないって思ったのかも」
「二億も報酬を要求したんだろ? 絶対わかって言ってるね。あいつは結局、信念も思想もない、ただの強欲ゲームマニア」
「――生け捕り。自信ある?」
「おまえのほうは?」
愚問とばかりに、魔術師が聞き返す。魔術師はスナイパーだ。しかも超一流。まちがって殺してしまうなんて彼に限ってはありえない。
「ノルンと私闘をやってるらしいじゃん。余裕だな」
「あれは勝手に巻き込まれただけ。正直、面倒くさい」
ナキが嘆息を漏らすと、かかかっと魔術師が品のない笑い声を上げた。話はそれで終わったようだ。ナキがサイドミラーに目をやると、魔術師の姿は幻みたいに消え失せていた。残されていたのはボンネットのうえの紙袋だけ。風に巻き上げられそうになった紙袋をつかむと、中からかえるの玩具が飛び出した。
「……っ!?」
一瞬声を失してしまってから、ナキはぶん、とかえるの玩具をあさっての方向に放り投げる。あの悪童。いくつになっても年甲斐がない。
空になった紙袋を畳むと、ナキはスナフキンのドアを開けた。こんな風にかえるの玩具の応酬で済んでいるのは、遊戯の外でだけ。ひとたび遊戯が始まれば、魔術師はためらいもなくナキに銃口を向ける。殺意はない。ただ悪意があるだけ。ナキもまた、わずらわしさに任せて彼に発砲するだろう。それが異常なのではない。
こんな風にふたり背中合わせにサンドイッチを食べている時間のほうが異常なんだ。ナキも魔術師もそれを知っている。
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