二幕 ノルンの誤算 03
ナキは不機嫌だった。
ノルンとスナフキンに乗り込んだら、三人目のチルドレンが我が物顔で、助手席に滑り込んできたためだ。左折のハンドルを切りながら、ナキは助手席に向かってこれみよがしに息をつく。
「何でウタもついてくるの。外に用事なんかないでしょ」
「だって、ドライブするのでしょ? ウタも行くにきまってる」
柘榴石の眸を細め、ウタは悪気なんてちっともない顔で微笑んだ。助手席を陣取ったウタは、小雨の降る灰色の街を水滴のついた窓越しに眺めている。いつものシュミーズドレスに白のケープを羽織り、外を眺めるウタは、まるで天使か何かのよう。後部座席に座ったノルンは、羨望にも似た眼差しを前方に向けている。チルドレン一の人気を誇る少女も、ウタには昔から骨抜き。ウタを下ろそうとしたナキに、頬を染めて反対したのもノルンだった。
「ね、ウタ。何、見てるの?」
「んー……」
「ノアの館の次の公演はいつ? 前にステージで歌っているあなたを見たとき、とてもすてきだった。あなたのアリアは澄んでいて、心が洗われるようで……」
「あっ、ナキ。あれを見て、ほら」
ノルンの質問にはおざなりな相槌を打つだけで、ウタはあくまでナキとしか会話をしない。ウタはいつもこうなのだ。認識しているのはせいぜいシャーロックとピアニストのシュエくらいで、ほかのチルドレンは顔と名前が一致しているかすら怪しい。ウタの屈託がない無関心さに、ノルンは目の端を染めて俯いた。気が強いぶん、傷つきやすくもある少女の目に涙が滲む。ナキはそっと息を逃して、アクセルを踏んだ。雨のじくざぐ道を小型のスナフキンはふすんふすんと排気ガスを出しながら進む。
「……ノアの公演。次はいつあるの」
「んー、日曜!」
「だって。ノルン」
フロントミラー越しに視線をやると、ノルンは頬を赤くしたまま、不愉快そうに唇を噛んだ。ナキとしては会話のないふたりにすこし、気を使ったつもりだったのに。もともと気ぃ使いじゃないから、ぜんぜんうまくできなかったようだ。見るからにノルンの機嫌が悪化したのがわかる。
「あっ、『時計塔』」
ウタののん気な声が車内に響き、ナキはスナフキンを『時計塔』と呼ばれるのっぽの建物のそばに止めた。遊戯を支えるメイン・コンピュータは、タウン郊外にある『時計塔』で常時稼働している。その名のとおり、時計塔を改修して造られた工場で、止まったままの文字盤はいつも零時を指している。時計塔には、コンピュータをメンテナンスするための作業員が住み込みで働いていて、仕事のかたわらでシャーロックが拾ってきたガラクタやタウンの住人が持ち込む機器の修理をしてくれた。シャーロックは彼らに旧かもめ橋の防犯カメラの解析を頼んだようだ。
「やあ、ノルン! 待っていたよ! あと、ナキにウタ」
スナフキンのドアを開くより早く、入口から小柄な青年が飛び出してくる。作業用のツナギと瓶底みたいな分厚い眼鏡が特徴の青年はツヅリといって、この時計塔のチームリーダーを務めていた。機械いじりをいっとう愛するツヅリのもうひとつの顔は、チルドレン・ノルンの信奉者。ツヅリは汚れた手をツナギでこすってから、顔を赤らめて、ノルンに握手を求めてくる。
「久しぶりだね、ノルン」
「……そうね」
ノルンはあからさまに頬を歪めて、ナキをツヅリのほうへ突き出した。ナキの背に隠れてしまったノルンに、ツヅリはどことなく残念そうに手を下ろす。
「シャーロックから話が通ってると思うんだけど。防犯カメラの件」
「君とノルンと魔術師が指名されたらしいね。聞いたよ」
遊戯の指名発表あるなり、さっそくタウンでは暇人たちによる下馬評が立てられ始めていた。ターゲット数の多さもあって、今のところは多勢に利のあるノルンが優勢。それに魔術師、ナキの順。
「僕も君に賭けるつもり」
熱い眼差しを送るツヅリに、ノルンは心底気味が悪そうに「あっそ」と呟いた。噛み合わない恋のゆくえなんてどうだっていいウタは、ガラクタの山が時折発する電子音や光に楽しそうに手をかざしている。
時計塔の内部は日中でもひんやりと涼しく、コンピュータを守るために窓にも目隠しが張られている。ツヅリのほかにも数人の作業員がいて、せわしなく巨大なコンピュータの前を行き交っていた。
「解析はもう済んでる?」
「うん、ノルンのために徹夜で。見ていくかい?」
「できれば」
そっぽを向いているノルンの代わりにナキがうなずくと、ツヅリは散らかったデスクから小さなチップを持ってきた。これが防犯カメラの録画データのようだ。小さいね、と呟いたナキに、ツヅリが何故か誇らしげにうなずく。
「すごいよな、東京の技術って。あとで解体してしくみを確認するんだ」
ツヅリが電源をつけると、旧式のテレビに白黒の粗い映像が映った。下のほうに日付と時間とが記録されている。
「ノイズは俺のほうでだいぶ消したよ。あと明度を上げて……だいぶ見やすくしたはずなんだけど」
「ターゲットが出てくるのは?」
「午前四時過ぎくらいかな」
ナキは数日前の夜明け方にタウンに響いたサイレンを思い出した。数分に渡って鳴り続けていたサイレン。確かあれは東京の方向から鳴っていた。
工具や修理中の機器が転がっているせいで、塔の中は足の踏み場がない。空いていたスツールにナキとノルンが腰掛け、ウタはナキの膝のうえに抱っこされた。画面には、旧かもめ橋の東京側のゲートが映されている。有刺鉄線の柵の前には、ふたりの警備員。カメラは彼らの後方に設置されているようだ。
タウンと東京の間のゲートには常時見張りが立ち、特にタウンから東京側への侵入は厳しく規制されている。犯罪者、娼婦、違法滞在者……。タウンの顔ぶれを考えれば当然だろう。反対に、東京からタウンへは住民票さえあれば、比較的容易に入ることができた。このため、警備員たちの注意も自然とタウン側に向いている。同じ景色を映し続けるカメラに飽きて、ナキはリモコンで早送りをかけた。ちょうど四時を少し過ぎたくらいのところで、警備員の背後に人影がよぎる。
「ストップ、行き過ぎ」
少し巻き戻して、ノルンとナキは画面へ身を乗り出す。やがて現れた人影が、警備員の頭を背後から殴りつけた。音声のないカメラの中で、警備員の身体が何度か大きくしなり、くずおれる。襲撃者の手に握られているのは、ブロックかなにかのようだ。警備員を取り囲んだ男の数は四人。
(刃物や銃は持っていないか)
このかんじだと、アギラ=ソンジュのときのように逃亡の支援者がいたわけではないようだ。警備員の持っていたIDでゲートを開き、待機していたトラックに四人が乗り込む。刑務所から逃げてきた、というダフネの話を信じるなら、盗難車だろう。念のため、読み取れた車のナンバーをトリッキー宛に送る。さすがにどこかで乗り捨てていると思うけれど、彼らの足取りを追う手掛かりのひとつにはなるかもしれない。
ノルンもナキも画面を無言で凝視するだけで、疑問を口にしたり、テープを止めたりはしない。話し合いなんてもってのほか。相手をどう出し抜くかを計算するのは、チルドレンの基本。やがて映像が途切れ、画面が暗転した。
「映像データはもらえる?」
「用意しておいた。あとで渡すよ」
「そういえば、魔術師は? もう来たの?」
「直接は来ないね。あいつはいつもそう。カメラのデータだけ専用のアドレスに送っておいたけど」
スナイパーの魔術師は遊戯中もさることながら、プライベートでも人前にほとんど姿を見せない。屋敷にはほかのチルドレンと同様、魔術師にあてがわれた個室があるけれど、そこにも寄りつかず、タウンのどこかで寝泊まりをしているらしい。シャーロックだけは魔術師の居場所を把握していて、必要があれば呼びつけたりもしていたけれど。
神出鬼没の魔術師は、遊戯もトリッキーな展開を好む。
今回なら、七人の一網打尽を狙ってくるはずだ。一流のスナイパーでもある彼にはそれを可能にするだけの腕がある。ノルンと魔術師の特性を考えると、ひとりひとりを確実に仕留めていかなければならないナキは圧倒的に不利。
受け取ったディスクを思案げに見つめるナキをよそに、ツヅリはもじもじとノルンに声をかけている。
「ねえ、このあとは空いてる、ノルン? 近くでごはんでも――」
「さっさと行くわよ、ナキ」
ツヅリの誘いをわざとらしく無視して、ノルンはナキの腕に手を絡める。ナキとしてもツヅリにはもう用事がなかったから、ウタを促して立ち上がった。いちおう労いのチップを渡しておくことは忘れない。ありがと、と添えたナキの声は聞こえてすらいない様子で、ツヅリは捨てられた子犬のようにノルンの背中を見送った。
「ねえ、ナキ」
時計塔を出たノルンが何かを思いついた様子で振り返る。可憐な少女の顔に浮かぶのは、勝負師の笑みだ。
「今回の遊戯、ちょっと地味じゃない?」
「そう?」
「だって、ターゲットは生け捕り。内臓を絶対に傷つけないって条件は面白くなくもないけど、燃えるってほどじゃないし」
確かに銃が得物のナキに対して、毒物を扱うノルンは対象に気付かれず睡眠薬さえ盛ることができれば、チェックメイトだ。ナキも毒物の扱いはひととおり学んだけれど、経験やテクニックはノルンのほうが数段上のはず。
「だから、あたしたち何か別に賭けない?」
「……どういう意味?」
「勝ったほうが負けたほうの賭けたものをもらうの。どう? つまらない遊戯が楽しくなるじゃない?」
「『私闘』がしたいってこと?」
ノルンが誘ってきたのは、ノアの館で行われる通常の遊戯とは異なる、チルドレン同士の私的な賭け事だ。ナキはあまりやらないけれど、チルドレンの中には興奮や刺激を求めて、さらにやっかいな条件をつけたり、何かを賭けて遊戯に臨む者たちがいる。シャーロックも特にそれを止めてはいない。
「いちおう聞くけど。何を賭けたいの?」
一抹のわずらわしさを感じながら尋ねると、ノルンは口端を上げた。
「ウタ」
「は?」
「あんたのウタをあたしにちょうだい」
ナキの腕に手を絡める少女をノルンが指差す。ふわふわと白銀の睫毛をはためかせ、ウタはいまひとつ話がわかっていない様子で首を傾げた。
「ウタはわたしのじゃないけど」
「シャーロックのでしょ。知ってる。でもあのおっぱい星人はおっぱい以外に興味なんかないから、ウタがあたしのになっても気にしないわよ。ねえ、あたし。ウタが欲しい」
ややこしい申し出は、ウタをめぐる先ほどの一連のやりとりの意趣返しか何かだろうか。ありうる、とナキは思った。チルドレンは基本的にやられたらやり返す。どんなに些細なことでも徹底的に。特にノルンは、チルドレンの中でもひときわプライドが高い。ウタが自分のものにならないならいい。だけど、自分に懐かないウタがナキにだけ懐いているという状況は、絶対に認めない。そういうものの考え方をする。
「いいよ?」
ケープについたレースの飾りを揺らして、こたえたのはウタだった。柘榴石の眸は甘い誘惑を湛えて、ノルンを見つめている。わるいことを思いついたときのウタの表情だ。
「ナキが負けたら、アナタにわたしをあげる。なんなりとご自由にどうぞ。だけど、もしアナタがナキに負けたら――」
ウタの白い手のひらがノルンの頬に触れた。ふわりとこぼれる凍てた呼気の気配。眇められた赤い眸。
「アナタのこと、壊してもいい?」
「ウタ」
鋭い制止をかけたナキに、ウタはきょとりとして首を傾げる。
「どうして怒るの、ナキ? ちょうだいって先に言ったのは、この子のほうなのに」
「わたしのことをあなたが勝手に決めないで」
「――いいわよ」
ウタがノルンに触れたのは一瞬だったけれど、ノルンの顔はすっかり蒼褪めてしまっている。それでいてやっぱり、この少女はシャーロック・チルドレンなのだった。餌をぶらつかせたら、飛びつかずにはいられない。賭けには乗らずにはいられない。自らの矜持と美学を賭けて。
「あたしとあなた。どちらが勝つか、見ものじゃない」
小さく呻いたナキをウタは愉快そうに眺めている。
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