一幕 No.12の歌えないナキ 09(終)
「まぁた汚い殺し方をしたのか、十二番は」
シャーロック・ファミリーのお抱え掃除夫は、ぶつぶつと文句を垂れて、バケツにモップを突っ込んだ。清掃物はもちろん死体。ノアの館に散らかったそれをぞんざいに荷車に放り、大理石の床にモップをかける。この街の住人に墓はない。屍には花を。それだけ。
「絨毯も替えておいて。追加料金はいつもの口座から引き落としで」
「まいど」
慣れた手つきでモップを動かす掃除夫に、多めのチップを握らせておくと、ナキはきびすを返した。ノアの館の入口には、清掃中につき立ち入り禁止のトラロープが張られている。チルドレンの『遊戯』もしばらくはおやすみ。
猥雑な通りを抜けて、市場で焼きたてのドーナッツを買い、スナフキンを走らせる。朝のタウンは灰色のまどろみに沈んでいる。橋の向こうには東京のビル群。巨大な鉄橋をのろのろと連なって走る青色のトラックを見つけて、今日はごみの投棄日だったっけ、なんて思い出す。
青年将校によるシャーロック襲撃は未遂で終わった。
――とてもざんねん。
ウタが肩をすくめて呟いたとおり、あのときノアの館にいたのはシャーロック本人ではなく、その身代わりだった。シャーロックは屋敷の外ではいつだって黒ローブに身を包み、怪しげな鉄仮面をつけている。皆がシャーロックだと思っている人間の何割か――あるいはほとんどはシャーロック本人ではないのだった。それは、シャーロック自身とチルドレンしか知らない秘密だ。
『ほかの一味は捕まったの?』
屋敷に戻ってから尋ねたナキに、シャーロックは顎を引いた。
『十九番が見つけたらしい。あいつも働き者だよな。ぜんぶまとめて吹っ飛ばしたらしいぜ』
アギラ=ソンジュも青年将校たちも死んでしまったので、事の真相はもう推測することしかできないけれど、彼らはタウンの解体を目的に、シャーロックの殺害を目論んだようだ。といっても、企てたのは青年将校たちのほうで、その旗頭に担がれそうになったソンジュはたぶん、拒んだ。そして逆上した青年将校たちの手で殺害され、ゴミ山に遺棄。青年将校たちはシャーロック殺害を行動に起こしたというわけだ。
ひとつ気にかかっていたことがある。
『ノアの館に身代わりを置いておいたのは、わざと?』
シャーロックはあの日予約席をとり、黒ローブに鉄仮面という派手な格好の身代わりをノアの館に派遣させていた。それにボーイ自身にも指摘されるほど杜撰な警備。ナキがその場に居合わせることも織り込み済みだったにちがいない。まるでシャーロックが用意した遊戯盤に、青年将校を招いたかのよう。
『さあな。まあ、働き者の十二番には清掃費くらいの小遣いは出しておいてやるよ』
肩をすくめ、シャーロックは目の前のチェスボードに駒を置く。シャーロックは嘘吐きのひねくれもので、本当のことはだいたい教えてくれないし、今は目の前のゲームに夢中でさっさと部屋を出ていけといわんばかりだ。アギラ=ソンジュに関する遊戯は、標的死亡で流れてしまったので、ナキに入る報酬はなかった。タダ働きというやつである。でも清掃費がもらえるならまあいいか、と思ってナキはうなずいた。
『あとタフィー十個。ひよこ印のやつ』
『……おまえもたいがいだな。わーかったよ。手配しておく』
この件は結局、清掃費とタフィー十個で手打ちになった。
郊外にあるシャーロックの屋敷の前でスナフキンを止め、ナキは部屋に戻らず、屋敷の屋上にのぼる。外はすがすがしく晴れていたが、それを見上げている物好きなんてチルドレンではナキくらいしかいない。梯子をのぼって貯水槽の丸いハッチのうえに寝そべり、ベルトから外した旧式のラジオのツマミを回した。
『ザーザザ……ジジッ……』
適当にチャンネルを合わせてみたが、今日はなかなか音を拾わない。諦めて、ナキはドーナッツをかじった。ここに来るまでの間に少し冷めてしまったけれど、表面にかかった砂糖とかりかりのドーナッツ生地がおいしい。ナキの無類のスイーツ好きは、ナキ自身は秘密にしているつもりだけども、周囲にはすっかり公然の事実となってしまっていた。
ドーナッツを咀嚼しながら、端末を操作する。今日もまた死と悦楽の街では、客を相手にした『遊戯』が繰り広げられている。ナキは頭の包帯に指で触れ、チルドレンと賭け率が表示された画面を見つめた。
「ナキ?」
足元から呼びかける声に、半身を起こす。シュミーズドレスの軽装をしたウタが白亜の髪をビル風になびかせて、こちらを見上げていた。返事をしないでいると、たどたどしい足どりで梯子をのぼってくる。仕方なく最後の数段のところで抱き上げた。ウタはうれしそうにナキの首に腕を回してくる。冷たい髪がさらりとナキの頬に触れた。
「なにを見ていたの?」
貯水槽のうえに再び仰向けになったナキにウタが尋ねる。
「別に、なにも」
「ナキ?」
「しいていえば、空」
まだ昼にはなりきらない青空から目を離し、ウタの髪に指を絡める。澄み切った空を映してウタの髪も痩せた身体も青く染まって見えた。
チルドレン十五番『悪魔』のウタ。
八年前、D棟の子どもたちを殺しつくしたあと、シャーロックはウタからすべての武器を取り上げ、小さな足には戒めのトゥシューズを履かせた上、少女として育てることを決めた。恐れているのだ、と教練場の教官たちは噂した。シャーロックもまた、前のシャーロックを出し抜いてその名と街の支配権を奪った。だから、いずれ長じたウタに取って代わられることを恐れたのではないかと。
けれど、本当にそうなのだろうか。シャーロックは無類のゲームマニア。今は気まぐれを起こして、ばけものの子どもを育てているだけで、ウタすらも盤上の駒のひとつに過ぎないのではないか。シャーロックの思い描くゲームの全容がナキにはまだ見えないけれど。
ただ、唯一言えること。
――謳えぬ金糸雀には、死を。
あのばけものが目を覚ましたとき、ウタはその手をわたしたちへと伸ばすのだろう。ファミリーの何もかも。この街の何もかも。ちぎって、もいで、壊してしまうんだろう。だってウタの前では、わたしたちはみんな無力な『謳えぬ金糸雀』だ。
「ナキ?」
それでもウタは、今は未来のことなどちらとも知らない顔をして、柘榴石の眸を甘く細めている。風が吹き抜けて、ウタの髪をふわりとさらった。
(させない)
「ナキ。昔のように、うたって?」
(ウタをうしないたくはないから)
だから、交換こ。ウタの代わりに、わたしは殺し続ける。チルドレンの誰よりも、この街の誰よりも多くの屍を築き続ける。わたしが約束を守る限り、ウタもまた、人の皮をかぶって隣にいてくれるはずだ。
チルドレン・ナキは殺し方が汚い、とほかのチルドレンはわたしを忌み嫌う。矜持も美学もない殺し方を彼らはゆるさない。だけど、それでわたしはよかった。わたしのたったひとつの宝物はウタだから。
手には拳銃。足元には屍。
ここは、シャーロック・タウン。どこへも行けない、いきどまり。
歌をねだる少年を見つめていると、泣きわらいのようなものがこぼれた。涙が溢れだす前に、ナキは目を伏せる。貯水槽のうえから見る空は皮肉なほどにすがすがしい。
「うたえないよ。……もう」
果敢ない吐息が、瞬きみたいに消えた。
……一幕「No.12の歌えないナキ」END.
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