一幕 No.12の歌えないナキ 07
「ウタ!」
舞台袖で水を飲んでいた妹――ウタとシュエをまとめてふたり捕まえる。直後、数発の銃声が館を貫いた。華奢な身体を抱き寄せ、舞台から転げ落ちる。肩や背中を階段に打ち付けたが、きつく頭を引き寄せていたので、妹たちに怪我はなかった。銃声の方角も、ちがっていた気がする。
「ナキ?」
「しずかに」
ウタの唇を塞いで、ナキは身を起こす。
ホールの円卓のひとつから女の悲鳴が上がる。ソファの前の遊戯盤に仰向けで斃れていたのは、シャーロックそのひとだった。鉄仮面の上から眉間を撃ち抜かれ、爆ぜた脳漿が絨毯を赤黒く染めている。
「避難を! 皆さんこちらへ!」
我に返った警備員やフットマンが誘導を始める。第一回ベットの結果が中央画面に表示されたが、客は誰も見向きもせず、我先にと戸口を目指す。さして広くもないホールはパニックに陥った。ナキは逃げ惑うひとびとの間に視線をさまよわせ、銃撃の方向を探る。
「ねえさま? なにが起きているの?」
「シュエは心配しなくていい」
盲目の妹シュエをひとまず安全なダストボックスに隠す。シャーロックの鉄仮面をつついていたウタが何かに気付いた様子で、あっ、と呟いた。可憐な横顔につかの間冷ややかな悪意が乗る。
「すごくざんねん」
「ウタ。こっちにおいで」
「それは命令? わたしのナキ?」
脳漿にまみれた絨毯の上でも、ウタの蕾の美貌はちらとも穢れることがない。愛らしく小首を傾げたウタは、背後から近付く人影を見上げて、ふふっと微笑んだ。微笑んだまま、剥き出しの腕に羽交い絞めにされる。ウタの痩身はあっけなく床から浮いた。
「チルドレン・ナキ。銃を置け」
ノアの館のボーイ服を着た青年が命じる。手には真新しい硝煙のにおいを発する拳銃。彼が襲撃者であることは間違いないようだ。見たところ、ほかに仲間はいない。単独犯。少し意外に思いつつも、ナキは鋭い眼差しを男に向ける。
「妹をはなして」
「断る」
ボーイは、引き寄せたウタのこめかみに銃を押し当てた。弾が飛び出たばかりの銃口は高温だ。ウタが嫌そうに眉根を寄せて、首を振る。
「今撃ったのはアナタ?」
「ああ」
「輸送車を襲撃したのも。……アギラ=ソンジュを殺したのも」
ボーイは答えなかったが、暗い表情が肯定を示していた。
トリッキーの情報をもとに立てる推論はこうだ。
タウンの解体を唱えるアギラ=ソンジュに同調した青年将校たちは、ソンジュのタウン行きが決まると、彼を助けるために輸送車を襲撃。逃走した。彼らの目的はタウンの解体。そのために、歓楽街のシンボルであるノアの館でシャーロックを殺害する話をソンジュに持ちかけた。彼らのあいだでどんなやりとりがあったかは想像することしかできないものの、ソンジュが銃殺されて発見された以上、話は決裂したと考えてまちがいない。そして青年将校のひとりがノアの館へボーイに扮して紛れ込み、シャーロックに向けて銃弾を放った――。
「最下層の都市は、警備まで底辺だな」
ホールからいつの間にか客や警備員ははけていた。残っているのはボーイとナキ、それにウタとシュエ、シャーロックの死体。それだけ。シャーロックの殺害を完遂した高揚からか、うっすら頬を染めてボーイはわらった。
「今回はノアの館の下調べとシャーロックの確認が主な目的だった。まさか、シャーロック本人を殺害できると思っていたわけではないさ。けど、警備はあまりに手薄。誰ひとり俺に気付きゃしない。まったく抜けているんで、仕留めちまった」
「……そう。安心した」
「なんだと?」
「外の人間も案外、いかれてるんだ。わたしとそうちがわなくて、安心した。あと、残念だけど、シャーロックは死んでない」
「まさか、そんなはずが……」
相手に動揺が走ったのをみとめ、ナキはひと息に身を起こした。撃鉄を指で跳ね上げ、引き金を引く。だが、飛びのくボーイの動きのほうがわずかに速い。
(はずした)
一撃ごとに撃鉄が落ちる『コマドリ』は、連射が得意じゃない。代わりに、自動式拳銃よりずっと賢くナキの命じたとおりに弾を吐き出すけれど。ボーイは腕に抱いていたウタを離して、自動式拳銃の引き金に指をかけた。近くの円卓の下に飛び込んだナキに、銃弾の雨が降る。いくつかは防いだが、円卓の天板は削り取られて吹っ飛んだ。
「矜持を貴ぶチルドレンが逃げるのか?」
安い挑発には乗らない。
『コマドリ』を胸に引き寄せ、ナキは円卓越しに状況を確認する。商人のサシダの話だと、ボーイの手に握られているのは、量産製の自動式拳銃『機械人形』。タウンにはまだ出回っていない最新式。
(『機械人形』は単調で、すばやいだけの馬鹿で嫌い)
呼吸を落ち着かせる。
肉刺が潰れて手のかたちが変形するほど、銃は握った。走るのもだめ。腕力もない。爆弾を作る器用さだってない。わたしには『コマドリ』しかなかった。だから、『コマドリ』のことならわたし、隅々まで知ってる。みんな同じ顔をしたすばやいだけの『機械人形』には負けない。
「そのまま隠れているなら、『白亜の宝石』はもらっていくぞ」
過度の装飾彫刻がうねる円天井。その中央に向けて、ナキは発砲した。キン、と金具が壊れる音がしたあと、頭上のシャンデリアが落下する。直後、床を蹴った。ボーイの注意がそれた隙に、一気に距離を詰める。『機械人形』のぽっかりあいた口が連続で弾を吐き出すけれど、飛距離が長いぶん、近距離での命中精度はそう高くない。命中率は五割以下。
走る。弾に向かって。
いかれてやがるとボーイが呟いた。
ナキははじめて人間らしくわらう。
「そうだよ」
技術の差なんて、シャーロック・タウンでは意味がない。運命の女神はいつだって、いかれているほうに微笑む。それをわたしは知っている。
――勝ってきた、わたし。
そうやってこの手で。死体の山と同じだけの勝ちを手に入れてきた。矜持も美学もぜんぶドブに捨てたって、この場所にしがみつく理由がわたしにはある。
懐にもぐりこんだナキを驚愕の表情でボーイが見下ろす。その手が盾を求めてウタをつかみ寄せたが、遅い。ナキは『コマドリ』の引き金を引く。跳ね返る薬莢の高らかな音。
「……『魔術師』」
ナキの放った銃弾はわずかに軌道がそれて、ボーイの左胸――ではなく肩口をかすめていた。窓の外でちらついた光に気付き、とっさにナキが身を引いたためだ。思ったとおり、窓の外から放たれた銃弾は、ナキがもといた場所を貫き、床に亀裂を走らせていた。薬莢に刻まれたナンバーは「1」、チルドレン一番『魔術師』。呼ばれてもいないのに、冷やかしにやってきたチルドレン一の悪童だ。たぶん今夜も離れた場所から、ライフルを片手にナキたちをにやにやと観察しているにちがいない。位置を確認しようと窓の外へ目をやったナキは、直後、後頭部に走った衝撃で、膝から崩れ落ちた。
「ぐっ……」
「なめやがって。餓鬼が」
顔をいびつに引き攣らせたボーイが『機械人形』の銃床を握っていた。被弾した肩を抑え、ボーイは床に転がったナキをブーツの底で蹴りつける。あえて銃床で殴ったのは、弾切れのためらしい。ナキの腹をブーツで潰し、もたつきながら右手だけで『機械人形』に弾を補填する。鋭い踵で腹を押されると、胃の中のものが逆流してきた。胃液の酸っぱさと、口内に広がる苦い血の味。
「ふん、いいざまだな」
(――……最悪)
愉快犯の『魔術師』は、今頃してやったりという顔で銃をばらしているにちがいない。きっとこちらの妨害をしてくるはずだと注意していたはずなのに。ナキは痺れて感覚のなくなった手を『コマドリ』に伸ばす。それをボーイのブーツがはばんだ。
「チルドレン・ナキ?」
唇を噛んだナキに、ボーイは尋ねる。
「脳味噌ぶちまけて死ぬのと、ハチの巣にされて死ぬのとどちらを所望だ?」
指先が届かない銃を求めて宙をまさぐる。みっともなく。
くすりと、そのとき背後で誰かがわらった。
「ナキ?」
ウタが柘榴石の眸をすぅと眇めて、ナキを見つめていた。
「ねえ、ナキ?」
「……」
「ナーキ? 呼ばないの、ナキ?」
「ウタ」
それ以上の誘惑を拒むように、ナキは目を瞑る。期待する答えが返ってこなかったウタはひどくつまらなそうな顔をする。けれど、ボーイが再度踵を掲げると、唇を綻ばせた。――そう。ウタは確かに微笑んだのだった。
「あ……?」
直後、ボーイの首から鮮血が噴き上がる。何が起きたのかすらわからない様子で、ボーイは首を押さえて立ちすくんだ。ウタの手には、先ほどいじっていたシャーロックの鉄仮面の破片が握られている。猫が滑り下りるように、トゥシューズが絨毯を踏む。イブニング・ドレスを赤く染めたウタは、手を後ろに組んで、首を傾げた。
「汚い雄。ぼくのナキにさわらないで?」
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