一幕 No.12の歌えないナキ 06

 ホール内に設けられたボンボン時計が五時半を告げる。

 チルドレン十七番『星』、盲目の妹シュエのピアノに合わせて、ウタは落とされた灯りの下で歌い始めた。伸びやかな歌声は教会の鐘にも似て、荘厳でうつくしい。この世のきよらかなものをかたちにすると、ウタになるのではないか――そう思えるほどに。

 聞き惚れる客たちをよそに、シャーロックは誰と親交を深めるでもなく、ソファの上で遊戯盤に夢中になっている。シャーロックは屋敷以外ではほとんど素顔をさらさないので、今日もくるぶしまでを覆い隠す怪しげな黒ローブに特注の鉄仮面をつけていた。これでは気味悪がって誰も話しかけはしまい。


「チルドレンのナキ?」


 ボーイから受け取ったホットチョコレートに息を吹きかけていると、客のひとりが横に並んだ。着崩した上着に、金色の蜂のバッチ。東京とタウンを行き来する民間の商船のしるしだ。タウンへの物資輸送が彼らのおもな仕事だけれど、ときどきノアの館に交じって商談をしていることもある。ナキが視線だけを向けると、「お目にかかれて光栄です」と男は媚びた仕草で手の甲に口付けた。


「私は商人のサシダ。あなたがノアの館にいらっしゃるのは珍しいですね?」

「今日はウタの誕生日だから」

「三十分後には『遊戯』が始まるのに? さすがチルドレン一の稼ぎ頭はちがう」


 サシダはにやにやと探るような目をナキに向けてくる。内心では不快さが疼いたが、ナキはあいまいに顎を引くにとどめた。遊戯開始前にチルドレンがどこにいようと自由だけど、ノアの館でホットチョコレートを啜っていたら、余裕と思われて当然だ。と言っても、情報屋からめぼしい情報が入らない以上はむやみに動いても意味がない。それに、アギラ=ソンジュが持っていた思想やシャーロックの動向で気になっていることもある。もしナキの勘が正しければ、遊戯開始までは気がするのだ。


「標的は見つかりそうですか」

「さあ」

「アギラのことはわかりませんが、彼の逃走を助けた一味に銃器を売った男の話なら小耳に挟みましたよ。私もまた聞きですが」

「へえ?」


 ナキはそこではじめて眉を少し上げる。普段は精緻な人形のような無表情を張り付けているナキであるので、少し表情が動くと、とたんに目を引く。武骨なコートを羽織った少女が、実はダイヤの原石のような容貌をしていることにひとが気付くようになる。ナキはそのことに、一部で自覚的だった。

 少女の細い指先がポケットから銀色のコインを取り出す。男の空になったグラスに、ナキはそれを一枚ずつ置いた。一枚、二枚、三枚。ちょうど三枚目を置いたところで、ようやくサシダが口を開く。


「銃器は『機械人形』。東京で流通している最新式の自動式拳銃ですね。輸送車襲撃の一週間ほど前、東京で購入したようです」

「何丁?」

「十はないようです」

「一味の誰に売ったの?」

「そこまでは。若い男だったようですがね」


 そこでネタ切れとなったらしい。サシダはコインが数枚積まれたグラスを下げて、「微力ですが、お役に立てれば幸いです」と恭しく目を伏せる。ナキはポケットの中で摘まんでいたコインを下ろした。

 サシダがどのチルドレンに賭けるつもりかは知らないけれど、偶然出会ったナキにひとつ恩を売っておこうかくらいの気まぐれ心は持ち合わせていたのだろう。

 タウンの解体を唱えていたアギラ=ソンジュ。彼を信奉していた青年将校。手に入れた銃器は十以下。彼らは今どこに。


(先を読んで)

(ほかのチルドレンの誰よりも早く)


 勝たなければならない。

 勝ち続けなければならない。

 その理由が、ナキにはある。

 ウタの歌声がふつりと途切れ、拍手と歓声がノアの館を包む。館の中央にあるボンボン時計が六時を指したのはそのときだった。機械仕掛けの人形が時計から現れて、六時のメロディを流す。中央の画面が点灯。十番『運命の輪』のノルン、十九番『太陽』のソル、十二番『吊るし人』のナキ。チルドレンの名前が表示され、第一回のベットが始まる。手元の端末からチルドレンを選択する参加者たちをナキは目を眇めて眺めた。ベット・タイムは三分。参加者たちのベットが終わると、すぐに巨大なコンピュータのある『時計塔』に情報が送られ、賭け率が計算される仕組みだ。

 

『――ナキちゃん。いる?』


 賭けに興じる参加者たちをうかがっていると、ポケットに入れていた端末が急に振動した。画面には情報屋トリッキーの名前。視線はウタに固定しつつ、「何」とナキは端末を取る。


『すんごぉい情報よ。買う?』

「いくら?」

『やだー、ナキちゃんたら今日は積極的。トリッキーどきどきしてきて困っちゃう』

「はやくして。切るよ」

『そんなナキちゃんにも痺れるわあ。じゃあ、キス一回で』


 うふん、と通話口越しに投げキッスを寄越して、トリッキーは咳払いをする。


『一度しか言わないからよーくお聞きなさい? アギラ=ソンジュはすでに死んでいる。今朝方、タウンのごみ投棄場から銃殺死体を発見。死後、五日は経っている、も・よ・う』

「どういうこと?」


 アギラ=ソンジュが標的に指定されたのは、きのうだ。トリッキーの話だと、その時点で、ソンジュは死んでいたということになる。チルドレンの仕業ではない。そもそも、遊戯開始前にチルドレンは絶対に動かない。それが遊戯の掟だからだ。では、誰が。


『ナキちゃん、ようく考えてよ。アギラ=ソンジュを輸送車から救い出したのは誰なのか』

「彼の仲間?」

『そうよ。そしてアギラは死んだ。つまり、彼らの関係は何かが原因で決裂した。彼らの目的は何なのだっけ?』

「タウンの解体……」

『その方法如何で決裂したと考えて、まちがいないんじゃなあい?』


 場内にちらりと光るものを見つけて、ナキは端末を一度耳から離した。ベルトに固定したホルスターから拳銃『コマドリ』を引き抜く。年代物のアンティーク。うっすら光沢を放つシリンダーとグリップの曲線が美しい、わたしの得物。ナキの動きに気付いたサシダがひっと悲鳴を上げた。


「どいて」


 サシダは遊戯の標的じゃない。けれど、ナキは正義の味方でも、慈善業者でもないので、サシダを流れ弾から守ってやる義理はなかった。男を突き飛ばし、ナキは談笑する客の間を駆け抜ける。


「つまり? トリッキー」


 ステージを中心にいくつもの円卓やソファが並んだノアの館。ウタはどこからでも視認可能な舞台の上だ。


『つまり、そこ危ないんじゃなあいっていう忠告よん。がんばって?』


 端末をナキは切った。

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