幸弘様
「さて、
和室に通された
「実ハ結城サンニ戦時中オ世話ニナッタ者ガオリマシテ、ソノ方ニ結城サンノ調査ヲ依頼サレテイタノデス。ソノ方ハモウ先ガ長クナク、是非結城サンニオ礼ガシタイト仰ッテイマシタノデ……」
「左様でございましたか……。しかし、結城様も既に鬼籍に入られて久しく……残念ながら、お跡継ぎもいらっしゃらず、結城家は断絶しました」
渡辺老人は過去への遡行の旅を懐かしむような声で、しかし眼前の外国人の語った目的には叶わない事を告げた。勿論
「確カ、調査ノ途中デ息子サンガイタト聞イテイタノデスガ」
「幸弘様ですか……」
遠い眼をした老人が見ているのは過去の情景だろう。黒四二二八号の足取りを掴んだとみた
「ヨロシケレバ結城サンノコトヲ教エテクダサイ。私モクライアントニ説明義務ガアリマスノデ。ドウカオ願イシマス」
頭を下げる。此の、警戒心を人生の途上で置き忘れたような老人ならば、誠心誠意――と見せかけた――で語れば、容易く落ちると踏んでの事だ。そして、
「結城様は――元は、此の田舎では名家の一つでした。戦前はかなりの富豪だったそうですが、戦後は此の屋敷以外の財産は手から離れてしまったと聞き及んでおります。当主であらせられた
老人のゆっくり身体に沁み行き渡るような口調で語られる、結城家の遍歴。しかし、本当に重要なのは、先ほど名前の出た『幸弘様』だ。
「幸弘サマ……。先ホドモ仰ッテイマシタガ、ソノヨウナオ子サンガイタナラ、結城家ハ断絶シナカッタノデハ?」
「あれは、まだ昭和も二〇年ほどの頃でしょうか。結城家にご長男が誕生されました。名を幸弘様。私は、結城家に残った唯一の侍従の一家であり、歳も近い事もありましたので、幸弘様のお世話係を仰せつかったのです」
「ソレデ、ソノ幸弘様ハ?」
「幸弘様は……まだ一〇歳前後の頃でしょうか……神隠しに遭われました。旦那様――玄洋様も必死になって捜索をしていたのですが、戦後に資産の殆どが失われた結城家では……。余程心身に衝撃を受けられたのでしょう。結局、旦那様、奥様共に心労が祟って、八年後にお亡くなりになりました。あと、数年生きておいでなら……」
「アト数年……?」
数年生きていれば何があるというのか……。もしや、と思う心を苦労しいしい押し隠し、
「ええ、神隠しに遭われて、約一〇年後、ふらりと我が家に姿を現した方がいらしたのです」
老人は再び、過去へと意識を遡行させた。
そう、そういえばあの日も暑い夏日だった。当時の、玄洋様のご厚意により、既に渡辺家のものとなったお屋敷の門前に、青年が訪ねてきたのだ。
年齢にして二〇歳前半ほどか。痩せぎすの身体は、線が細いものゝ貧弱というわけではなく、研ぎ澄まされた刃のような印象を受ける。気品ある端正な顔立ちは、日本人にしては若干彫りが深く、何処か亡き旦那様を彷彿とさせた。だが、最も印象的だったのは瞳だ。まるで、世界の終わりを一度覗いたような虚無めいた何かが、其の瞳には宿っていた。
「久しいな、渡辺」
帽子にスーツの出で立ちは、此の田舎では――特に当時に於いては大変珍しかったが、其の青年には何の外連も感じさせぬ気品があった。夏の太陽に帽子の庇で生まれた翳が色を濃くし、青年の相貌を曖昧にさせていく。あたかも、太陽を避けているが如くに。
「どちら様でしょうか」
見覚えの無い相手に、当時の渡辺も訝しく思う警戒心を持ち合わせていた。若干険の含まれた渡辺の声に、しかし青年は朗らかに笑う。刃のような風貌に反して、其の声は穏やかだった。
「ああ、分からないか。僕だよ、幸弘だ」
幸弘――。同年代の若旦那、一〇年ほど前にお姿を消された結城家のお跡継ぎの名だった。
「幸弘様……結城、幸弘様でございますか?」
蘇る面影と眼前の青年が重なる。少し彫りの深い端正な顔立ちは、幼き頃の稚気は影を潜めてはいたが、確かに幸弘様に似ている……。
「ああ、そうだよ。息災だったか? 残念ながら、父様と母様は逝かれたようだね」
「幸弘様は神隠しに遭われた際の事は黙して話されませんでしたが、現在は輸入雑貨を扱っているご職業に就かれていると仰っておいででした。私がお屋敷をお返ししようとしても、『既に蓄えはあるし。家を継げずに断絶させた僕には此の屋敷は重すぎるよ』と仰っておりました。其処で今に到るまで、勿体なくも拝領したお屋敷に住まわせていただいております」
老人の声を――
「幸弘サンニモオ話ヲ伺イタイノデスガ、今幸弘サンハドチラニイラッシャイマスカ?」
居ても立ってもいられず、
「……其れは叶いません。幸弘様はどなたともお会いになりません」
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