燃ゆる水飛沫

「此処か!」


 時速六〇キロメートルを誇る比叡の脚力ならば、障害がなければ尖塔の根元に辿り着くのは、然程時間を要しなかった。眼前に聳える鉄骨の巨塔は嵐を痛痒にも感じず、たゞ〳〵イソラを見下ろすのみ。比叡の主遣い――求道者の眼差しを持つ青年は其の悪夢をもたらす兵器を、熱いにも関わらず何処か底冷えする瞳で凝視する。


「大義、やるぞ。時間がない」


 左遣いの髪を長くした青年が、求道者の青年へ鋭い声を投げた。反駁の余地はない。仲間が送り出してくれた勝機、たゞ凝していたずらに浪費はできぬ。


「わかっている」


 イソラの右手に握られた日本刀――いくら鋭利、いくら強靭でも、建造物の破壊に扱うには不向きな武装だ。此の場に似つかわしいのは、速度と技による高速度の破断の繊細さよりも、もっと野放図かつ大雑把な野蛮さが求められる。


 青年は、背部兵装嚢に備えられた円筒をイソラに持たせた。背部兵装嚢とは言うものゝ、其の容量は決して大きくは無い。息もできぬ高圧が支配する死の海を潜航するイソラには、そも〳〵其の体軀に余剰に使用できる空間などありはしない。そんな厳しい状況の中で持ち出したとなれば、此れこそが今宵の作戦に不可欠であると熟慮された上で選択された存在であるという事は自ずと知れよう。


 円筒を振りかぶるイソラの姿。只の遠投と侮る事なかれ、投げるのは人の領域を遥かに超越した膂力を持つ兵器なのだ。


 猛獣、巨獣の類に人類が勝利してきた歴史は、何も人類が群れての狩りだけで勝ち取ってきたわけではない。虚弱な人類が、しかし、人体の形状的特徴によって得た一つの呀。"投げる"という行為、此れこそが人類が森羅万象の霊長を名乗らせる一つの契機を生み出した利器である。


 ならば、いびつながらも人体をなぞらえたイソラが不可能であるわけもなく――たして、放物線を描いた円筒は廻転で、肌を撃つ雨飛沫を散らしつつ、鉄塔の根元へと転がり込んだ。


「よし、いい位置だ。コツは掴めたか?」


 一投するだけで事足りたと、求道者の青年――大義と呼ばれた青年は、我知らず会心の笑みを溢していた。先の一投で、イソラの持つ膂力由来の投擲は、雷雨でも容易に流されぬ事が証明された。其れに、此の風雨での狙いの定めも既に感触を得ていた。


「ああ。清顕きよあき、効果的な座標を教えてくれ」

「既に調べはついている」


 事も無げに返答したのは、瞑目したまゝの美青年だ。足遣いたる彼は、名称とは裏腹に脚部については殆ど携わってはいない。むしろ、周囲環境情報の精査が主な役割となっている。大義の眼前に表示された鉄塔の意匠図に、赤い丸が点滅している。


「では、往くぞ」


 比叡が、雷雨の風圧水圧を物ともせず、雨雫の紗を纏いて再び駈ける。時折、指定された座標へと円筒を放り投げつゝ一周回った比叡は、鉄塔へと向き直る。


 建造物は物言わず、豪風の中、イソラを――そして大義達を俯瞰していた。軍事的挑発と呼ぶには余りに不遜極まる発射実験で、既に我が国の近海へと幾度となく着弾した弾道ミサイル。其の一部を天へと打ち上げた、此処はミサイルの発射台の一つだった。


 核という、魂の無き大量殺戮兵器。


 此れが、仮にでも祖国の地に着弾したとなれば――地は灼かれ、草樹は炭と化し、燃えて形を喪くした人がさまよう、かくも醜悪な地獄絵図が描かれるのだ。しかも、此の世に三び眼の焦熱地獄が現出するのは、またしても祖国になる――ともなれば、坐して怯えているなどどうしてできようものか。


 死には尊厳がなければならぬ。たゞ死すのではない、其処に美しさがなければ、人として生を受けた意味すら喪失する。戦いの中で力及ばず犬死する……其れも結構、たゞ美しいままで人生を完結させる……其れも結構、生きるがために生きて己に課した命題に挑み続ける、それも結構。

 しかし、死の覚悟の無い女子供に到るまでいたずらに死を量産する、魂の無い――在るがまゝに生命を刈る核兵器に灼かれる死など、人間の死ではない。少なくとも、大義はそう考えていた。


「去れ、猜疑に狂った忌まわしい象徴め」


 吐き捨てる大義の声を契機に、轟音が豪雨に響く。東方で恐れられた眠れる龍の咆哮か、響音は断じて雷鳴の其れではなかった。


 土台を破壊され、あたかも巨木が倒れるかの如くに折れる鉄塔。其れが、一つの価値観が倒壊する光景に大義には見えた。


 ――やり遂げた。


 感慨が胸を満たすも、足遣いの清顕の身じろぎで現状を思い返した。今はまだ、事を成したと言い切るのは早計に過ぎる。まだ、他のイソラは立ちはだかる敵と丁々発止の立ち回りを演じているのだから。


此方こちら、比叡。此方、比叡。我、目標の倒壊に成功せり! 今より戦闘に復帰する!」


 左遣い――長髪が軟派な印象を与えるが、瞳に堅い意志を秘めた青年の名は、いさむと言った――が、電信に声を伝えると、大義は倒壊する尖塔に背を向けてイソラを奔らせた。奔馬の如き疾駆はやがけ、特殊カーボンの板撥条が水溜まりを刎ねて散らす。基地の照明は雨煙にけぶり、刎ねた雫は虹を見せぬ。


* * *


 比叡が戻った時には、其の場は雷雨に砲煙弾雨を上塗りした、忍び寄る幻想の退廃を含有した戦場の光景と化していた。


 舞台を踊るのは、装甲車、歩兵、遅まきながら戦場へといざなわれた戦車、そして――イソラ。


 にわかには信じられぬ光景ではある。全長七メートルの巨人が、近代兵器を相手取り剣舞を舞っているのだ。しかも、雨の飛沫に彩られ、銃声の連太鼓を背景にしての其れは、現実と幻想の入り混じったの様相を見せていた。


 イソラの各艇はいずれも健在で、斬り伏せられた装甲車が雨のものではない火焔由来の煙を断末魔に上げるも、豪雨が断末魔諸共火焔を消却する。


『遅っせーよ、比叡丸!』


 金剛丸からの電信に応えず、貳號艇比叡丸は速やかに戦舞のへと雪崩込んだ。


 時折さめ〴〵と哀愁漂う鳴きを見せたかと思えば、怒号の激しさで戦場を飾り立てる雷鳴を太棹ふとざおに、今宵最後の段が演ぜられる。


* * *


 刹那を白濁させる閃光の後に哭く甲高い雷鳴は、急を告げる糸の鳴動。震える弦糸により、今宵最後の公演となるは開幕した。


 雷轟が太棹ふとざおならば、銃砲が哭く声は太夫の情感溢るゝ語りに似た。イソラが舞う早演舞、雷雨という天然の舞台が呼び寄せた美事な三業さんぎょうの融合が、血腥さと火煙けぶる筈の舞台を裏腹な優美で飾り立てゝいる。


 質量と速度、そして技――三位を一体化させた一刀が兵士の生命を散華させ、のたうつ血煙が雨圧に流される様は、瀧に流れるもみじの如くなり。堅い複合装甲を刃が割り、熱を持った破片が火花となる様は、水煙の中で泳ぐ朱い蝶の如くなり。


 決して脚を止めぬイソラ各艇は敵の狙撃を其の速力で袖にし続けていた。

 そも〳〵設計思想が水陸機動による奇襲を旨とするるイソラは、正面からの戦闘には不向きである事は前述の通りである。

 故に、戦闘に際しては回避を前提とした運用が要求される。銃撃の数発ならば突破されずとも、対戦車砲の成形炸薬弾が生み出すモンロー・ノイマン効果による液体金属噴流の前には、如何な潜水仕様の耐圧殻もこうべを垂れる。


 しかし、疾駆けで雷鳴映す白刃を振るうイソラには、其の周知の事実に対する危うさが失せていた。


 初投入故の未知という優位性、戦車や装甲車には叶わぬ旋回性の高さという優位性、繊細な動作にも対応しうる精密さという優位性、そして残る優位性――反射速度の高さが、危うい筈の天秤をイソラへと傾けているのだ。そう、今や、西洋に伝わる勝利の女神はイソラに微笑みを浮かべていた。


 榛名丸が装甲車のサーチライトを刎ねつゝ側面へと抜け、返す刀とたい、そしてひねる脊髄を勁力として、複合装甲を物言わぬ残骸へと帰した。

 しかし、車輌のむくろには安寧は許されず、弾丸か燃料に引火し、乱舞する迦具土神カグツチに其の身を捧げる結果となった。


『金剛合わせろ』

『承知ぃ!』


 宙を舞う刃金が水飛沫の一つ一つを斬り、斬り飛ばされたサーチライトの白光が映し出し、白刃に寸毫の虹を添える。肆號よんごう霧島が放った一閃は、戦車の上部を虹の刃筆で線を引いた。

 砲塔ごと割断された戦車の上部がれ、更に履帯が残る下半分を示し合わせていた金剛丸が上下に破断。十文字の輝跡が刎ねる飛魚の速やかさで、敵の生命を奪う。


 歩兵を始末しつゝ、比叡は最後の装甲車へと奔っていた。揺籃、速度調整の妙、旋回機動――全てが幾何学的に統合され、時間の流動さえも利用した数理的な美麗たる様を見せる。いくさの芸術とも言える、傀儡舞くぐつまいは禁じられるべき演舞でありが、今宵最後の獲物へと迫る。


 銃口、砲口が逸れた角度――此処に勝機を見て、今、イソラ貳號にごう艇は艇体に許された最高時速八五キロメートルの走力で、装甲車へと一気駆けを敢行した。


 砲塔が、銃身が、己を指そうと動く様をを通して睨み続ける。冷える蟻走感が駆け上る脊髄を吹き出る汗の熱さが否定し、結晶結合した比叡丸が更なる臨界点へ挑む。

 頭脳が結晶の掠れ合うような感触を訴える一方、耐圧殻という肌が豪雨を切っていく感覚さえ、大義青年は感じられた気がしたが、此れこそ彼の脳髄に接続された潮盈珠シホミツタマとイソラの潮乾珠シホフルタマの結晶結合率が高まっている証左なのだ。


「タアッ!」


 雷霆が閃く、まさしく紫電一閃の一太刀。通常の斬撃は刃筋や軌道を定める必要があるが、鞘という軌条により指向性を与える鞘走りによって、持ち得る最速の剣速を其のまゝに斬撃へと収束させる。


 ――斬。


 急停止に特殊カーボンの義足が水溜まりを掻き分ける。足を止めぬが旨のイソラにとって、最大の悪手ではあるが、既に敵が絶えたとなれば、奔る理由もない。


 雷轟が降り注ぐ中、対人を大前提として連綿と培われてきた剣術は、イソラにて美事に対装甲車、対戦車の武芸として昇華された瞬間だった。水煙幕は更に濃密となり、今宵の修羅のの幕引きを担う。撃つ雨叩きが拍手の代わりか、イソラの陰翳を押し隠す。


 既に、生存者はおらず、たゞ降る風雨と稲妻の光だけが此のの観客となった。

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