休息の旨味

なつのあゆみ

休息の旨味

タバコ屋のおばちゃんは電卓をろくに使えなかった。

3回ほど打ち直して、ようやく会計ができた。

僕はポケットにキャスターマイルドと110円ライターを突っ込み、早足で喫煙所に向かった。


初めての煙草でドキドキしている。

年齢は二十歳、健康を害する覚悟もできている。

ショッピングモールまで来た。いつもトイレに行く時に素通りするそこでは、大人達が煙草を吸っていた。


なんとなく、いいな、と思ったのだ。

その輪の中に入りたかった。

煙を吸うことがどういうことか、知りたかった。


僕はうつむいてドアを開けた。

サラリーマン1人が煙草を吸っていた。壁にもたれて、口に煙草をくわえて、目を閉じていた。

オールバックにした髪の一筋が角張った額に流れている。鼻が高く閉じた目の端に色気があった。

ネクタイを少しゆるめて、首筋が見えている。


僕の緊張はどえらいことになった。


シケモク吸ってそうな、小汚いおっさんの前だと初煙草も気にならない。

こんなカッコイイ人の前で無様な吸い方はできまい。

僕はぐっと拳を握って灰皿の横に立ち、煙草のパッケージを開けた。金の紙を開き、一本抜く。

煙草をくわえてみる。ライターで火をつける。まるっきり見た目は100円ライターなのに10円高かった。

その差の10円はなんやねん、と心の中で突っ込みながら煙草に火をつける。先端が黒くなる。

軽く吸ってみた。火が消えて、煙が出ない。

もう一度、火をつける。ただ灰になるばかり。


「兄ちゃん、吸うんや。火ィつけるやろ、それで軽く吸い込むんや」


僕はおそるおそる、サラリーマンを振り返る。

煙草を親指と人差し指でつまみ、渋い顔でこちらを見ている。


「ハ、ハイ、スンマセン」


謝ってしまった。僕は言われた通りにした。


僕は盛大に咳き込んだ。


「アホか、吸い込みすぎや。兄ちゃん、煙草初めてなんやな」


サラリーマンが僕の背中をさすりながら、笑う。


「ずば、すぃません」


「しゃーやいな、教えたるわ」


サラリーマンは手にしていた煙草を灰皿で丁寧に消し、新しい1本を手にした。

口にくわえてライターの火を手で覆う。一筋の煙が立つ。吸い込んだ煙を細く長く、彼は吐き出した。


「しまった」


サラリーマンは時計を見て呟いた。


「会議の時間、もうすぐや。せやから、ちょっと急ぎで教えたる」


「あ、でも、時間ないならいいですよ・・・・・・」


「ええねん、俺が教えたいの。ええか、煙草っちゅーもんはじっくり口の中に含んで味わうもんや。スパスパ吸うのはモッタイナイ。歩き煙草をとかアホのすることや。見てると脛を蹴ったろか思うなぁ、アレ。

煙草はじっくり休息するための嗜好品や」


「は、ハイ」

「吸ったらアカンとこでは吸うな。煙草吸わんヤツの前では吸うな。妊婦の側で吸うやつはどついてもええヤツや。実際、しばいた」


「それからな!」


急に大声を出されたので、僕は震え上がった。


「煙草のポイ捨てはやめろや! 絶対やぞ!

休息と旨味をくれた煙草に敬意を払えや!

ええか、一本一本、味わって吸うんやぞ!」


「もうアカン!遅刻や! じゃあな!」


サラリーマンはそう叫ぶと足早に去っていった。

会議に遅刻して怒られないだろうか・・・・・・。


僕はもう一度、煙草をくわえて、サラリーマンの真似をして吸った。今度は慎重に、ゆっくり吸った。

少しむせそうになったけど、慣れてきた。


口の中で広がった煙は、たしかに味がした。

苦くて、甘くて、ゆっくりとした呼吸をうながす。


細く長く吐き出す。

一筋の煙を僕は目で追った。


煙草は、休息の旨味。



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