焼き飯

 正徳六年一月。

『前田美海店』には、新しい店員が雇われていた。


 名前は『おりょう』、数え年で十八歳。満年齢に換算すると、十六歳だ。

 実は彼女、阿東藩主の娘の『涼姫』であり、父親により「世間知らずの彼女を修行させるために」と身分を伏せて入店させられているのだった。


 料理長のナツはその事実を知らず、ただ「武家の娘」とだけ聞かされていた。

 そんなお涼だったが、少し天然で誰に対しても愛想が良い性格が幸いし、この店を経営する三姉妹とも仲が良かった。


 ちなみに、同い年のナツからは単に『涼』、二つ年下で、双子の姉であるユキからは『お涼ちゃん』、妹のハルからは『お涼さん』と呼ばれている。


「涼、ちょっと空いてきたから、先にお昼にしていいよ。奥に『焼き飯』作っているから。ユキも一緒に食べな」

 と、未だ調理中のナツから声がかかった。


「はい、ありがとうございますっ!」

 と、涼は元気に返事をする。

 いそいそと店の奥に歩いて行くと、ユキが小走りでやってきた。


「お涼ちゃん、いっしょに食べようっ!」

 と、明るく声をかけてくれる。

 涼にとって、彼女の明るさは本当に魅力的で、自分ももっと元気に接客せねば、と見習う思いだった。


 そして二人が奥の小さな部屋で、『ちゃぶ台』という名前の折りたたみ式のお膳を出して、二つの平たい皿に盛られた『焼き飯』を乗せる。


 朝から昼過ぎまでずっと立ちっぱなし。

 まだ慣れていない涼にとって、座って食べられるこの瞬間はほっとする。

 そして、その『仙界の料理』からは、香ばしい良い匂いが漂ってきて、思わずうっとりとする。


 ここの仕事は、『まかない』がつく。

 しかも、どれも城で食べる冷めた料理より、ずっとおいしい。

 これだけ店が繁盛しているのも十分納得できる。


 それにしても……『仙界の料理』の発想の凄さには驚かされる。

 まさか、飯を『焼く』なんて……。

 何度か注文を受けて運んでいた料理だったが、みんな美味しそうに食べているのを見て、一体どんな味なんだろう、食べてみたいな、とずっと思っていたのだ。


 その念願が、遂に叶う。

 ユキと二人で「いただきます」を言って、さじでその飯粒を掬う。

 積まれた飯の塊が、はらりと崩れて匙の上に乗る。

 なるほど、焼く、正確には炒める事によって、粘り気のある飯がパラパラ、ふんわりとした感触になっている。これなら、箸より匙の方が具合がよさそうだ。


「……この黄色いの、玉子ですよねっ!?」

 と、しげしげと匙の上の具材を見つめてユキに尋ねる。


「そうだよ。ここのお店ね、玉子使った料理、いっぱいあるの」

 ユキはさも普通の事の様に答えて、ぱくっと自分の匙を咥える。

 この当時、玉子は貴重品だった。


「どうしてこのお店、こんなに玉子、使えるんですか!?」

 つい、疑問が口に出てしまう。


「……ふんぐっ……ああ、ユウ姉が毎朝、仙界から持ってきてくれるの……あむっ!」

 ユキが次々と焼き飯を食べながら話す。


「やっぱり、優さんは……いえ、貴方達は、天女なんですか?」

「……もぐっ……ううんっ……普通の女の子だよ……そんなことより、冷めちゃうと美味しくなくなるよ」

 と、ユキは早く食べるように笑顔で促す。


「あ、そうですね、ごめんなさい。私、また悪い癖がでちゃいました……」

 疑問に思うと、質問せずにはいられない。これは涼が自覚している欠点だった。


 匙にのった飯と具材を、そっと口の中に運ぶ。

 途端に広がる、香ばしい香り。


 ゆっくりと咀嚼すると、さらにその香ばしさが強まると同時に、玉子のまろやかさ、玉葱の甘み、飯粒の旨み、葱の食感と刺激……それらが渾然一体となって口の中が満たされる。


「……おいしいっ!」

 つい口に出してしまった。

「……でしょ?」

 ユキも満面の笑みだ。


 もう一口、さらにもう一口……。

 匙を持つ手が止まらない。

 単に飯と具材を焼いただけとは思えない。


 何か、特別な調味料を使っているはずで、それがこの一件シンプルな料理に、奥深い味わいを与えているようだった。

 と、ユキは手を止め、なにか黒い液体が入った容器を傾け、それを焼き飯にかけていた。


「ユキちゃん、それって……お醤油ですか?」

「ううん、これは『うすたーそーす』っていう、仙界の調味料だよ。醤油と間違える人がいるから、普段はお客さんに出さないの。一部の常連さんと、私達だけが使っているの。お涼ちゃんもかけてみてっ!」

 と、勧めてくる。


 あまりかけすぎると塩辛くなりすぎるとのことなので、少しだけかけて、その部分を匙で掬って、口に運ぶ。


「……っ!」

 涼は、目を大きく見開いた。

 新たに加わった、酸味と塩気と甘みの、複雑にして絶妙の味。


 決して強すぎることなく、焼き飯本来の素材の味をさらに引き立てる。

「……ね、美味しいでしょ?」

 確かに、ユキの言うとおり、味が変わって、また別の美味しさが生まれていた。


「……これって、どうやって作るんですかっ!?」

「……うーん、私も知らない。それより、冷めちゃうと美味しくないから……」

「あ、ごめんなさい。またやっちゃった」

「ううん、ぜんぜん謝ることじゃないけどね」

 ユキは、明るく、元気な上に優しい。


 涼は、感激していた。

 焼き飯のその美味しさ、一緒に仕事をしてくれる少女達の気遣い。

 彼女たち……特にユキやハルは、自分より年下なのに、ずっと大人に感じてしまう。


 天女と呼ばれるこんな方々と一緒に働けて、一緒に食事が出来て、幸せだ。

 仙界の知識だけでなく、いろんな貴重な経験をさせてくれるこのお店で、ずっとずっと働いていきたい……。


 彼女は、自分をここに導いてくれた父親、仙人様、そして神様に感謝しながら、皿に盛られた焼き飯が無くなるまで、夢中で匙を運び続けたのだった――。

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