タコ焼き
ある冬の日の夕刻。
当代随一の剣豪と噂される
『秋華雷光流剣術道場 井原支部』の師範である彼は、午後の剣術指導を終えた後、なにか軽く食べられるものはないかと、すっかりなじみになった『前田美海店』を訪れた。
すでに『夜の部』の準備中のようで、
しかし彼は知っていた。
この時間帯、たまに新作の料理を試作していることがあり、運が良ければその試食にありつけることを。
また、最近
「新しく始めようとしている料理があるので、よかったら来てみてくださいね」
と誘われてもいた。
「ごめんっ!」
と大きな声を上げて、引き戸を開ける。
「……これはこれは武清様、いらっしゃいませ」
と、店内の掃除をしていた料理長のナツが声をあげ、そして笑顔でお辞儀する。
武士の娘である彼女にとって、剣豪として名の知れた武芸者である伊東武清は、あこがれの存在でもあった。
若く、凛々しく、礼儀正しく美しい彼女の挨拶に、ほんの少しどぎまぎする剣豪。
「う、うむ。この間、新しい料理を考えている、と言っていたではないか。今日、たまたま暇が出来たので、もし準備できるのであれば、一度試食してみたいと思ったのだが……」
実際には腹が減っていただけで、別にその料理でなくとも食べられるものがあればそれで良かったのだが、もちろんそんなことは口には出さない。
「ええ、そうでしたね。すぐ準備しますから、ちょっとだけ待ってくださいね」
どうやら、それほど手間のかかる料理というわけではないようだ。
待つこと、しばし。
「お待たせしました」
と、彼女が運んできたのは、丸く、きつね色に焼かれた小さな饅頭のようなものが六つ。
長く四角い皿に盛られている。
上部には黒っぽいタレのような何かがかけられ、さらに緑色と、茶色の粉がかけられている。
「……これは、なんという料理なのだ?」
「はい、『タコ焼き』です」
「……タコ? 蛸が入っているのか?」
「はい、そのつまようじで刺して持ち上げて、口に運んでください。 ……熱いから気をつけてくださいね」
と、にっこりと微笑むナツ。
とはいっても、初めて見る料理に戸惑ってしまう武清。
箸ではなく、つまようじを使うのはなぜかと聞いてみると、
「店の主人の話では、仙界ではそういうしきたりらしいです。二本使うのは、一本だとたこ焼きがくるりと回ってしまったり、生地が切れてしまったりするからですよ」
と話してくれた。
なるほど、仙界ではそのような心遣いが為されているのか、しかしなぜ箸ではダメなのだろうと思った武清だったが、それ以上深く追求することはなかった。
二本の爪楊枝で丸いその固まりを持ち上げ、豪快に口の中に放り込む。
最初、少し熱いぐらいにしか思わなかったそれを噛みつぶすと、より熱く、濃厚なトロトロの中身が出てきて、彼は思わずホフホフと口の中を冷ました。
少し驚いたが、なるほど、これはいい。
季節は冬、例えば水ようかんなどの菓子は逆に冷えてしまうし、普通の饅頭にしたって、体を温めてくれる物ではない。
その上、食感もいい。
トロトロの中身と、ふんわりとした外側の生地、それだけでは物足りないところに、コリコリとした食感の固まり――これがおそらくタコ――が歯ごたえを与えてくれて、絶妙の相性となる。
味は、生地の適度なコクに、今まで味わったことのないような甘辛いタレがよく合っている。
また、こんな小さな塊なのにいくつもの食材を使っているようで、単純なようで奥深い「旨み」が存分にあふれていた。
彼は一言、
「旨い……」
と呟いた。
武清の表情をじっと見つめていたナツは、手を叩いて、笑顔になって喜び、逆にそれを見た彼の方が照れてしまった。
六個全て完食した彼は、素直に
「いや、これはいい。適度に腹にも溜まるし、満足感もある。この冬の寒さで冷えた体にもいい。手軽に食べられるところも満足だ。なにより、旨かった」
と、絶賛した。
そして、いくらにするつもりなのか、値段を聞いて驚いた。
この仙界の料理が、たった十文だというのだ。
かけそば一杯が十六文、それよりずっと安い事になる。
「……しかし、どうやってこれほど丸く、旨く焼くことができるのだ?」
と、疑問に思った事を口にする。
「ええと、実は……見て貰った方が早いですね」
そう言って彼女は、店の奥から、丸い窪みがいくつもできた鉄板を持ってきた。
「これに、ダシで溶いた小麦の粉を流し込んで焼いているんですよ」
「なんと……この料理を作るためだけのそのような道具があるのか?」
「はい。これも『仙界の道具』です」
武清は、半分驚き、そして半分呆れもした。
仙界の料理に対するこだわりは、こんな専用の道具を作ってしまうほどの物なのか。そしてそれほど豊かな世界なのか……。
「もうひとつ、この料理には利点があるんですよ」
と、ナツは満面の笑みを浮かべていた。
――半刻の後、道場で自主練習を行っている門下生達に、武清は差し入れを持って来た。
今まで見たことのない、白く、柔らかい容器に入った、香ばしく良い匂いのするタコ焼きを見て、彼等は目を見張った。
そしてまだ熱いそれを口に入れ、みんな旨いと絶賛した。
熱いまま「お持ち帰り」が出来る、夕刻限定の料理。
この「タコ焼き」もまた、『前田美海店』の人気のお品書きとなるのだった。
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