アジフライ

 漁師の茂吉は、怒っていた。


 魚料理を出す店が最近出来たのだが、変わった料理の仕方で、抜群に旨いという。

 特に「あじ」に関しては、今まで食べた事のないような見事な調理法だというではないか。


 その噂を聞いたとき、最初はそんなはずはない、と笑った。

 しかしその噂を何度も耳にする度に、本当に腹が立った。


 鯵は、刺身にして食べるのが一番旨い。

 しかし腐りやすい魚であるため、本当に鯵を旨く食えるのは漁師だけなのだ。

 焼いたり、干物にしてもそれなりに食べられるが、やはり一番旨い食べ方は刺身だ。


 茂吉としては、その味は鯛より上だと思っていたし、そんな料理が食える漁師という職業を、誇りに思っていた。


 しかし、ある人物から、

「その店の料理を食いもせず、なぜ刺身よりもまずいと言い切れるのだ」

 といわれ、それで余計に腹が立ち、こうやって半日かけてわざわざ食いに来たというわけだ。


 茂吉はまだ十六歳。世間を知らぬ若造扱いされることにも腹を立てていた。

 早朝に出かけた甲斐があって、まだ昼には少し早い時間に目的の『前田美海店』に辿り着いた。


 暖簾のれんは出ていたので、早速入ってみることにした。

「いらっしゃいませーっ!」

 と元気な女の子の声に迎えられ、ちょっと拍子抜けする。


 もっといかつい、職人肌の板前と、腕っ節の強そうな店員のいる店だと勝手に勘違いしていたのだ。


 店内を見渡すと、この時間でも何人か客がいる。繁盛しているというのは本当のようだ。

 座敷に案内され、一人分の膳を用意してくれた。


 そしてお品書きを渡される。

「お決まりにになりましたら、呼んでくださいね」

 と、売り子は笑顔を残して忙しそうに厨房に帰っていく。


 この時点で怒りはほぼ収まってしまい、ただ可愛らしい店員に声をかけられたことにどぎまぎしてしまっていたが、いや、こんなことでは騙されない、料理店ならば味で判断するんだと、彼は改めて気を引き締めた。


 そのお品書きを見ていると、目的の「アジ」料理が存在した。

 しかし、そこに書かれていた料理名は『あじのふらい』。


(……ふらいって、なんだ?)

 今までに聞いたこともない料理名だ。

 早速さっきの店員を呼ぶ。


「はーい、お決まりになりましたか?」

(う……かわいい………いや、そうではなくて)

 ちょっと顔を赤くしながら、この「ふらい」とはどういう料理なのか、素直に聞いてみた。

 この店員にならば、質問することに抵抗はなかった。


「はい、えっと、衣をつけて、ぱん粉……えっと、小麦を焼いて膨らませて砕いてツブツブにした物をつけて、油で揚げたものです」

「油で……ふーん、天ぷらみたいなものか」

「はい、そんな感じです」

 にっこりと微笑む売り子。またどきりとしてしまう。


「じゃあ、これで……」

「はい、あと、定食にするとご飯と味噌汁、漬け物がつきますが……」

「なるほど……そう書いているな……これで二十文、か。なら、それで」

「はーい、ありがとうございますーっ!」

 売り子は元気に帰って行った。


(……なるほど、天ぷらにするのか。まあ、新鮮な刺身には叶わないだろうな……)

 と、未だに敵対心を燃やしてはいたが、店に入る前とは違い、特に怒ってはいなかった。


 しばらくして出てきたその鯵の姿に、彼は驚いて声を上げた。

「これが……アジ?」

「はい、アジふらいです。お好みで、醤油か、この『れもん』を絞って汁をかけるか、白い『たるたるそーす』をつけてお召し上がりくださいね」

 相変わらず笑顔の店員は、そう言い残して帰って行った。


 茂吉は、しばらくその皿を凝視していた。

 千切りにされた葉っぱ? の上に、開きにされた『あじふらい』が二匹、乗せられている。


 想像していたのは、前に一度食べた事のある『きすの天ぷら』なのだが……それよりも大分、色が濃い。


 想像と大分違っていたが、熱いうちに食べた方がうまいだろう。

 まず、一匹目の半分に、醤油をかけて一口、かじってみる。

(……うまいっ!)

 熱々で、さくっとした歯ごたえ、次にあふれてくる衣の香ばしさとアジ特有の旨み。


 醤油自体の塩気も適度であり、口の中に豊かな香りが広がった。

 それだけだとちょっと濃いので、次に白飯を口に運ぶ。


 こちらも旨い。

 さっきの濃い味のフライと淡泊で控えめな飯が混じって、何とも言えぬ絶妙な旨みの連携が、口のなかで構築された。

 結局最初の一匹を、醤油と飯の組み合わせて食べてしまった。


 残りの一匹、せっかく調味料を用意してくれているので、これをつけてみる。

 まず、れもん、とかいう名前のこの実。


 蜜柑か橙の切片に似ているが……これを『アジふらい』の片側だけにかけ、食べてみる……と、そのすっぱさに最初は驚いた。


 しかし、それがこの料理の脂っこさを中和してくれるようで、先程とはまた違う、さわやかな食べ心地だ。これは飯なしの方が良さそうだった。


 次に残り半分を、『たるたるそーす』、という調味料につけてみる。

 真っ白な味噌のようにも見えるが……


 それをつけ、口の中に運ぶと……それは、他の調味料よりずっと衝撃的だった。

 わずかに酸味と甘みがあり、それにコクが加わる。


 それが『アジふらい』の、ズシンという力強い鯵、衣の味と絶妙に絡み合う。

 あとから食べた飯との相性も良く……彼は、かき込むように残りの飯と味噌汁にも箸をつけ、あっという間に平らげてしまった。


 そして店員に、

「その下に敷いている『きゃべつ』も美味しいんですよ」

 と促され、これも醤油やタルタルソースをつけて食べてみると、シャキシャキとした歯ごたえの上にさっぱりしていて、確かにちょっと脂っこい『アジふらい』の後にはちょうど良かった。


 茂吉はこの料理に、心から満足した。

 そして認識を改めた。


 この店は、本当に魚のおいしさを引き出そうと工夫して、こんなに旨い調理法を編み出したのだ、と。また、刺身以外でも、あじという魚は工夫すれば、こんなに旨くなるのだ、と。


 また来よう、と彼は思った。


 そして彼は何度もこの店に足を運ぶようになり、店員にもすぐに顔を覚えられ、次に『うすたーそーす』という新しい調味料が追加されたアジフライの試食をさせてもらうぐらい、常連になったのだった。

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