遺書
大好きなみんなへ。
今までありがとう、ごめんなさい。……それだけ書こうと思ったけど、私がいなくなった理由とか、このあと起きる事件や捜索について、心配される前に書こうと思います。
まず、私がいなくなったのは私の意思です。誰かに脅されてるとか、仕方なくとか、そんなんじゃありません。私は私の意思で、約束を守ります。
私には、ずっと前に果たせなかった約束がありました。ずっと心に残っていて、ずっと後悔していた、ある女の子との約束。
彼女は私に、助けを求めました。助ける、と私は約束をして……約束をしたにも関わらず、それっきり会うことはありませんでした。
私がこれまで生きてきたのは、彼女を助け出すためです。警察官になって彼女を救うこと。それが私の夢であり、私のひとつの目標でした。
何を言っているのか、大体の人には伝わらないかと思います。でも私の心には残っていました。
彼女がまだ約束を憶えているのなら、私は守りたいです。彼女が助けてと言うのなら、私はその約束を果たしに向かいます。
この手紙が読まれているとき、私はこの場にはいませんが、きっとどこかで生きていると思います。もし生きていなかったとしてもそれは私の意思です。探さないでください。……と言っても、おそらく捜索されると思っています。
心配かけてしまってごめんなさい。でもこれは遺書ではありません。私の意思です。私が望んで書き残していることです。
今までありがとうございました。
* * *
渉がトークアプリの通知に気づいたのは教室に到着したときだった。姉の果奈から連投された不在着信の間に、『ねえ』『早く出て』『あんた学校行くの早すぎ』とメッセージが挟まれている。朝から騒々しいな、何事だ。
眉をひそめて折り返しの電話を入れると、すぐに果奈と繋がった。
「なんだよ」
『凛ちゃんいる?』
「は?」
『凛ちゃん学校にいる?』
果奈は苛立たしげに声を荒らげて、渉ではなく凛を呼ぶ。渉は、なんで朝から怒鳴られなきゃいけないんだと思わずスマホから耳を離して、
「もういるんじゃねえの。朝部活とか、いろいろあるだろ」
『ほんとにいるの? ちゃんと確認してる?』
「直接本人に聞けばいいだろ」
『だから、聞けないんだって』
「……はあ?」
途端に語気を弱める姉に渉は呆れ返る。落ち着いていられたのはここまでだった。ひゅっと喉を通った甲高い吐息が聞こえたのち、
『凛ちゃんいなくなっちゃったよ!』
果奈の震えた声が鼓膜を叩いた。
『今朝、部屋まで行ったらいなかったって。書き置きがあって、メモみたいな……遺書みたいな……家にスマホを置いたままで連絡も取れないんだよ。あんたは先に家出ちゃったけど、そのあとお母さんが来て、何か聞いてないかって尋ねてきて……。学校にいるならいいんだよ、こっちはすごいパニクってて、警察に言おうかどうしようか悩んでるの。ねえ聞いてる?』
「聞いてるよ!」
渉は自分のクラスを飛び出して、C組の教室を覗いた。朝練に向かう前にクラスメートと雑談する千里の姿が見える。が、凛の姿はどこにもない。
D組、B組、A組……すべての教室を見て回った。職員室へと階段を駆け下りて、廊下、事務室にも目を配る。……凛の姿は見られない。
まだ登校していないだけだろうか? いつも渉より早く登校し、朝練に向かう凛が?
教室に鞄はなかった。だが学校に着いて武道場に直接向かった可能性は残されている。――渉は、果奈と電話を繋いだまま廊下を走り抜けた。
外靴を脱ぎ捨てて武道場に上がりこみ「凛は?」と部員たちに訊く。彼らはきょとんとした顔で首を横に振った。
「いない……駄目だ、まだ来てないって」
渉が言うと、電話越しに深いため息が聞こえた。
『私ももう行くけど、もしかしたら
「知らねえよ……でもわかったら連絡する」
『わかった。了解』
体育館の前を通り過ぎながら、果奈との通話を終了させる。廊下を歩く足に苛立ちがこもる。渉は額に滲んだ汗を拭った。
冗談であってくれよ……間違いであってくれよ。つい昨日まで一緒にいただろうが。それがなんで、たった一日で行方がわからなくなるんだよ。
遺書なんてありえない。凛は絶対にそんなことしない。自ら命を絶つなんて馬鹿な真似、凛は絶対にしない。脅されているんだ、響弥に。
一緒に来いと言われて、それで最後にメッセージを残したんだ。それも響弥の指示だったのか、凛の意思だったのかはわからない。だが事実、凛はいなくなってしまった。
――凛の居場所……響弥の居場所……。
思い当たる場所は、ないこともないが。とても潜伏できる先ではないだろう。隠れたいのなら、どこか宿泊できる家かホテルを選ぶはず。
考えに浸りつつ教室に戻ると、登校したばかりの芽亜凛が席に着いていた。これからテニス部の朝練に向かうというところで、渉とばちりと視線がぶつかる。彼女はそのまま涼しい顔をして渉の横を通り過ぎていった。
……まだ気づかれていない。大丈夫だ。
凛の失踪を彼女が知る前に、居場所を割り出さなくては。先を越されれば昨夜のように、彼女は一人でも向かうだろう。下手をすれば凛か響弥か、もしくは芽亜凛自身が死ぬことになる。
――誰を頼ればいい? 姉貴、ヌギ先輩、
わかるものは。
海馬に直接手が触れたような感覚が走った。
ある。者ではなく、物ならある。
『お揃いだけど……あれ、発信機が入ってて』
『それでわたしは助けられたんだけどね、事件を思い出すから……しばらくはお預け』
『だから凛ちゃんにあげちゃった。お守りだよ』
生徒玄関で交わした千里との会話が鮮明に蘇ってくる。凛に託したGPS……千里とお揃いの赤い髪留め。
もし凛がそれを身に着けていたとしたら、これは確かな手がかりとなる。
渉は呼吸を整えるために深く息を吸って吐いた。ドクンドクンと周囲に聞こえそうなほど大きく心臓が蠢いている。
閃いたのはほんの小さな可能性だった。しかし無意味とは言い切れない。賭けてみる価値は十分あるだろう。
だがひとつ、大きな問題がある。髪留めの位置情報を知っているのは千里ではなく、凛と芽亜凛だ。
凛の居場所を知るには、芽亜凛の協力なしでは成り立たない。
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