第十四話

衝動

「ああ……はい。戸川とがわなら、僕が殺して埋めました」


 逮捕後、取り調べを担当した別府べっぷ刑事の問いに、類巣るいす一真かずまは淡々と答えた。いまだに黙秘を続けている稗苗ひえなえ永遠とわに反して、類巣はあっさりと容疑を認めたのだった。


「まだ見つかってないんですか?」

「じゃかあしいわ!」


 別府は額に血管を浮かばせて、取調室の机を拳で叩く。

 類巣は逮捕の際に片目のレンズが割れた赤縁眼鏡を掛けたまま、虚ろな瞳をゆっくりと持ち上げた。目線は合わない。彼は別府のネクタイをゆらゆらと注視している。


「殺して埋めた言うんなら場所も覚えとるんやろな?」

「……はい。県境の山中に――」


 別府刑事は、類巣の話したその山奥へ至急捜索隊を連れて向かった。人の管理から逃れた枯れ葉に覆われた地面を踏みしめ、藁を掻き分けて奥へ奥へと捜索する。やがて類巣は立ち止まると、「あの辺りです」と指をさした。

 大量の落ち葉に覆われているため警察犬を用いた正確な遺体の捜索が難しいなか、彼が目印にしたのは、ピラミッド型に積み重ねられた平らな石だった。野生動物に掘り返されるのを避けた、明らかに人為的に積まれたものである。


 遺体の捜索は夕方まで続いた。鑑識課を中心に急ピッチで掘り返されていく間に、少し離れた場所でもうひとつ同じ目印が発見されたためである。

 計二箇所、冷たい土から掘り出されたのは、よく似たデザインのスーツケース。そしてそのなかから、類巣が殺した戸川隆幸たかゆきの遺体と、稗苗永遠の叔父、稗苗敏雄としおの遺体がそれぞれ見つかった。

 散らばっていた点と点は繋がり、包囲網となって茉結華まゆかを取り囲む。残るはひとり。茉結華および、神永かみなが響弥きょうやだけだ。


    * * *


 茉結華がりんの家にやってきたのは、テスト三日目の放課後のことである。芽亜凛めありと昼食を食べたのちに別れて、通学路を小走りで帰ってきた凛を、彼は庭の敷地から顔を覗かせて呼び止めた。


「りーんちゃん。しばらく匿ってよ」


 遊びに誘う口ぶりで彼はそう歌った。深々と被ったキャップ帽の下から、にこりと笑う口元だけが見えている。

 凛が女の子だと思っていた白髪の子供は神永響弥であり、彼は男として成長し、七年ぶりに突如として姿を現した。防犯カメラ越しではなく、直接的な再会であった。

 茉結華は雨樋を器用に伝って、凛の部屋の窓までよじ登った。家の構造を把握されている。が、家族に危害を加える気はないという意志の表れか。


 凛が部屋に行ったときには、茉結華は窓の外でピースしていた。どうしてこのときすぐに警察に委ねなかったのだろう――彼を匿うつもりはなかったけれど、話をする気持ちは最初から固まっていたのかもしれない。


「お邪魔しまーす」


 鍵を開けた窓から、茉結華は靴を脱いでお邪魔する。ぴょこんと床に着地した際、茉結華の服からゴトンと何かが転がり落ちた。


「あっ、いけないいけない」


 重みのあるそれを、茉結華は吐息混じりに笑って拾い上げ、ズボンとウエストの間に挟みこむ。自動式拳銃――ピストルだった。おもちゃや偽物の軽さではない、実弾の入った本物の……。

 茉結華はふふんと鼻で笑って「護身用」と白い歯を見せる。凛の目につくように、わざと落としたのだ。わかっていたのに、動けなかった。

 今だ、動ける、捕まえられる。凛の頭のなかで何度もスタートが切られたが、身体は一向に動こうとはしなかった。銃を見たときはさすがに指先が震えたが、それでもなお、目と鼻の先にいる茉結華を捕まえようとはしない。


「大丈夫だよ、凛ちゃんのことは信用してるから。を破るほど不誠実じゃないでしょ? あと武器はこれ以外にも持ってるからよろしく」


 馬鹿なことは考えないほうがいい、と茉結華は暗に言っている。信用しているのかしていないのか、一秒単位で手のひらがころころと返される。何もかもが虚勢に見えた。本物の強者は武器など持たないのだから。


「何か言ってよ凛ちゃん。黙ってたら怖いよ」

「今日、響弥くんちのこと調べてきたよ」


 凛が淀みなく言うと、茉結華は唇を結んで許可なくベッドに腰掛ける。茉結華は、響弥と呼ばれたことを訂正しなかった。ふーんと相槌を打ち、


「掲示板のことかな」


 と肩をすくめる。

 期末テスト三日目の今日は、朝からクラスで乱闘騒ぎがあった日だ。掲示板に流れた神永響弥の噂を巡って、二年生全体の均衡が崩れていた日。

 凛は、聞くより自分で見たほうが早いと思い、放課後芽亜凛に頼んで図書室へ調べ物をしに向かった。藤ヶ咲ふじがさき北高校の過去の事件と、神永分寺にまつわる新聞の切り抜きに目を通してきたところだ。


「逮捕されたって聞いてたけど、すぐに出られたんだね」

「誤認逮捕だよ。でも逃げてる。間抜けな刑事がしつこくてさ」

「そうなんだ。何もしていないなら学校に来ればいいのに。警察から逃げる必要もないじゃない」

わたるくんも寂しがってる?」


 凛の言葉を先読みしたように茉結華は薄く笑う。そうだ、いつもの凛なら――何も知らない凛であれば――渉くんも寂しがってるよ、と付け足していただろう。

 でも今は違う。彼と渉を結びつけたくない。できる限り離したい、話題に出したくない、そのつもりだった。


「ほんとは渉くんちに行ったんだよ。でも余計な奴が付いててさ。それで凛ちゃんちに来たってわけ」


 茉結華はキャップ帽の下で赤く目を光らせて、凛の反応を窺っている。渉くんの家に行った――茉結華の見えない動きに、凛の心臓がドクドクと高鳴る。渉は無事なのだろうか。今すぐスマホに手を伸ばして確認したかった。


「渉くんをどうしたかったの」

「え? 凛ちゃんと同じで匿ってもらおうかなーって。やだなあ、まるで私が渉くんに危害を加えようとしてるみたいじゃない。そんなことしないよ」

「……ふーん」


 千里ちさとのように連れ去る気だったのではないのか。どちらにしろ、一度逮捕されたのちにあらぬ噂が立てられている今、彼にそんな余裕はないのかもしれない。今だけは、渉のそばにいた人に感謝しよう。

「そうだよね」凛は片頬を吊り上げて笑みをこぼした。


「渉くんより、私のほうがいいよ。うまくやってあげる。何日もつかわからないけど。殺したいときは私を先にしてね」


 ――でないと私があなたを殺すから。


「なんてね」


 口元だけで笑う凛に釣られて、茉結華はくしゃりと苦笑いを浮かべた。


「愛し合ってるね」




 私のそばが一番安全だと凛は言った。それがまさか一番危険な場所になってしまうとは、誰が予想できただろう。

 テストが明けて通常の学校生活がはじまると、凛は自分の弁当を茉結華の昼食にと渡した。茉結華は家の者がいない間にシャワーを浴びて、不自由ながらも快適に過ごしているようだった。凛も、家族に気づかれないよううまくやっている。


 だが休日はどうだろう。近隣の幼馴染は、凛の心の人質だ。目を離した隙に窓から抜け出し、渉のもとに向かう可能性だってある。

 つまるところ形として、凛は銃撃事件当日も茉結華を見張ることになってしまった。本当は千里のお見舞いに行きたかったし、芽亜凛と休日をともに過ごしたかった。

 お昼時が過ぎると、茉結華はおやつが食べたいと言い出した。ケーキが食べたい、シュークリームが食べたいと、念仏のように唱えている。

 仕方がなく、凛はコンビニでエクレアをふたつ買ってきた。茉結華は最後に見たときとまったく同じ姿勢で窓際に呆けており、帰宅した凛を見て「おかえりー」とへらり笑う。


「コンビニのだけど」

「いいよーありがとー。うわ、エクレアだ。大好きぃ」


 茉結華はコンビニ袋をガサガサと漁って、念願のおやつにかじりつく。もう片方を「凛ちゃんもどうぞ」と差し出したが、凛は「いいよ、ふたつともどうぞ」と断った。茉結華は目を丸めて「やったぁ!」と顔を綻ばせる。


「響弥くんさぁ……いつまでいるつもり?」

「潔白が証明されるまでだよ」


 もちゃもちゃとクリームを味わいながら茉結華は当然のように言った。潔白が証明されるまで……そんな日は来るのだろうか。それとも何か考えがあってここにいるのだろうか。

 凛が椅子に腰を落ち着かせたとき、ポケットのなかでスマホが着信音を奏でた。外出中の母からであった。


『もしもし凛? 今大変よ、知ってた? 渉くんがね――』


 渉くん。

 渉くんが事件に巻きこまれた。学校で銃撃、不審者が入って、怪我人もいっぱい出たって――母は詳しく事を話していたが、凛の頭のなかにはそれらの単語が断片的に吸収されていく。


『もしもし凛、聞いてる――』


 通話を切る。凛は茉結華の胸ぐらを掴むと、ぎりぎりと絞めつけるようにしてベッドに押し倒していた。「んぎゅ!?」とうめき声を上げた茉結華の唇から液状の生クリームが噴き出る。


「渉くんに何したの」

「ぎ、ぎうううう、ぐるじいよ、りんぢゃん」

「渉くんに何したのっ!」


 凛の激しい追及に茉結華は真っ赤になって窒息しかけながらも、手を伸ばし、テレビのリモコンに指をかける。部屋でつけることは滅多にない報道番組が産声を上げた。


『こちら、現場となった藤ヶ咲北高校の様子です。犯人はすでに取り押さえられました。死傷者四名! 死傷者四名を出した銃撃事件が起きています。亡くなったのはこの学校に在籍する小坂こさかめぐみさん――』


 渉くん。渉くん、渉くん、渉くん……。

 テレビには藤ヶ咲北高校が映し出されていた。幼馴染の名前は一向に上がらない。凛の暴れる心臓は徐々に落ち着きを取り戻す。頭はまだ混乱し続けていた。

 茉結華はずっとここにいた。彼の犯行ではない。ならば誰の?


 凛の下で、茉結華は軽く咳きこみ、「潔白、証明されたね」と手の甲で唇を拭った。服に飛び散ったクリームを見て「うげぇ、べとべとー」と文句を垂れる。凛はテレビに釘付けになったまま、自分の特別な友達の名前を飲みこんだ。

 ――芽亜凛ちゃん。

 守るべき命がひとつ消えた。この事件は、彼女の自殺衝動に必ず揺らぎをもたらすだろう。

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