コネクト
「エヤミくん、あぁ、よく覚えてますよぉ」
風田らの通っていた中学校の元教師は、よたよたと杖をついて移動し、長海を客間に案内した。三十年も前の生徒のことを問うのは、長海にとっても賭けであった。
「悪い噂があったと聞きましたが」
「ええ、そりゃあ彼には前科がありましたから」
「前科……」
それはどのような、と話を促す。元教師は手持ち無沙汰を紛らわすように、かさかさと手の甲を擦り、乾いた音を鳴らした。
「まだ中学に入る前ですよ。彼は二度逮捕され、二度刑期を終えていたと。当時の教師は全員が知っていました」
「まさか、傷害事件……?」
「それもあったでしょう。しかし逮捕されたのはいずれも殺人だと聞いていました」
ある程度予想はしていたとは言え、はいそうですかと簡単に受け入れられるものではなかった。
「まさかこんな小さな子供がと、私も思いましたよ。でも彼の様子を注視していると気づくんです、ああ、この子は人で遊ぶのが好きなのだと。そこには大人も子供もありませんでした。猫が鼠をいたぶるように、あの子はその気になれば、我々教師をも手にかけたでしょう」
中学に入るまでに二度の殺人と刑期……。想定していたよりもずっと、エヤミツクルは凶悪で、神永詠策に酷い悪影響をもたらしたらしい。
「エヤミは賢い子でしたよ。いえね、成績ではなく地頭がいいんです。いかにすればより相手を懲らしめられるか、常に考えているような生徒でした。教師はみな手を焼いていましたよ」
「中学で殺人事件は?」
「……起きましたよ。こんなことは認めたくありませんがね、でも逮捕には至りませんでした。証拠不十分でね……母親の
長海は、思ってもみない矛盾点に眉をひそめる。
「母親は放任主義ではなかったのですか?」
「いいえ、完全には言い切れない感じでしたねぇ、あれは……。母子家庭でしたから」
「世話はしていたようだと?」
元教師は口を固く結び、うぅん……と喉を鳴らした。話すべきか渋っているようだった。
「男遊びの激しい人でしたよ。でも、息子のことも……愛していたようですね」
その一瞬の間に、長海は『同じように』という言葉を呑みこんだように見えた。息子としてではなく、まるで『男』として愛していた、と言いたげな。
長海は今日得た情報を持ち帰り、整理した。
男遊び、母親の歪んだ愛情、異常家庭、加虐嗜好、殺人。エヤミを取り巻く悪環境は、彼を犯罪の道に誘うには十分すぎた。そしてその要素は、神永響弥にも揃っている……。
エヤミから詠策へ、そして響弥へと影響を及ぼした呪いのような病魔。
知っていくほどに、神永響弥が哀れに思えた。長海が大人としてそばにいたら、助けてやりたいと願ってしまいそうなほどに。
土曜日。長海は昨日いてやれなかった分、今日は極力ネコメのそばにいようと病院に足を向けた。
長海の謹慎解除が言い渡されたのは、ネコメの飛び降り未遂があった直後である。病院の廊下で風田に呼び止められ、「来週から正式に復帰だ」と知らされた。「礼なら
もともと朱野警部は長海の謹慎処分には反対だったが、最終的に風田班長の意思が尊重され、決定したのだという。
「どうせ一人でこそこそ動いてたんだろ? 相棒のために、なあ」
暗いカラーレンズの奥の瞳に見透かされ、長海は心臓が縮む思いだった。上司のあなたのことを調べているとは口が裂けても言えない。しかし、これからまた堂々と捜査できるのは喜ばしいことだ。綾瀬たちとも情報共有できる。
入院中とは言え、相棒のもとに朝から行くのは気恥ずかしさが勝り、結局長海は昼になって病院を訪れた。病室を覗くと、見覚えのある女子高生が三人、ベッドの傍らに腰かけていた。
彼女らは確か――
「あ、猫さんのー!」
「飼い主殿であります」
「はわっ! こ、こここ、こんにちは!」
そうだ、ユキが家から出て迷子になっていたとき、見つけて保護してくれた藤北の生徒たちだ。
ふわっとウェーブがかったヘアスタイルの少女は「ジュリリンでーす」と言い、古風な口調の少女は「ワカナン」と敬礼し、緊張気味に顔を赤らめる少女は「ゆ、
「きみたちどうしてここに……」
「金古せんせーのお見舞いだよー」
「うむ。まさか刑事だったとは」
「うん、びっくりした」
口々に話す三人組の横で、ネコメは無感情に肩をすくめている。いきなりせんせーと言われても、記憶のない彼には理解できなそうだ。
長海はぽりぽりと額を掻いた。
「えっと……誰に聞いた?」
「看護師さん! あ、でもー」
「せんせーのことは掲示板で知ったであります」
「掲示板?」
「これー」とジュリリンの見せるスマホを受け取り、長海は雷に打たれる。
(これは……)
学校の掲示板――
『その警察官は学校にいる』
『警察官は教育実習生』
『彼は神永響弥を調べるために潜入捜査していた』
『突然学校からいなくなったのは神永響弥に襲われたため』
『彼は今、入院中の二年A組の生徒と同じ病院で治療を受けている』
まるで、こちらの情報がだだ漏れだった。決して当てずっぽうや悪ふざけではない、誰かが明確な意志を持って書きこみ、掲示板を煽っている。
ネコメの正体を知っていて、且つ神永響弥でない人物。――間違いない、ネコメの情報提供者であり、協力者だ。
長海は画面をスクロールし、最新の書きこみを見つけた。
『神永響弥は学校のパソコンを遠隔操作している』
『学校の情報は筒抜けで、クラス替えも自分で操作した』
『呪われた二年E組にならぬよう調整することも可能である』
すべて神永響弥に結びつけている、この書きこみ主の意図はいったい何だ。響弥の心を煽り、焦らせるのが魂胆か。
書きこみには真実のほかに、無理やり事件を結びつけたようなデタラメと憶測も含まれている。だがこの、パソコンを遠隔操作しているという突飛な発想は信憑性が高い。証拠に基づいて書きこまれた意志を感じるのだ。
――学校のパソコン……。
おそらくまだ刑事の誰も掴んでいないネタだった。パソコンを調べれば、響弥のもとに辿り着ける……もしくはまだ見ぬ敵のもとに。
長海は三人組に礼を言って、「金古を頼む」と病院を後にした。休日の今がチャンスだと、捜査意欲を奮い立たせる。
校舎から銃声が聞こえたのは、藤ヶ咲北高校に着いた直後だった。
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