わるいひと

 テスト期間が終わっても、二年生は神永響弥の話題で持ちきりだった。

 ――響弥は人殺しで、誘拐犯で、ほかにも数々の罪を犯している。警察は意識を取り戻した被害者に事情を聞き、響弥の再逮捕に向けて動いている。

 どうして人を殺すの? という問いにはこう答えた。

 ――目的は藤北の呪い人の復活。響弥はE組の噂を利用して騒ぎを起こそうと目論んだ。だが失敗が続いている。優秀な警察が動いているからだ。

『優秀な警察って?』


 書きこみを眺める朝霧の隣で、「何見てるのー?」と、小坂がモンブランを食べながら覗きこむ。


「あ、学校のサイトだ」

「めぐみにはまだ刺激が強いから、見ちゃ駄目だよ」

「うん!」


 元気に頷く彼女の口元についた生クリームを、朝霧は人差し指で掬って舐め取る。小坂はぶわっと頬を染めて、隠しきれないにやにや笑みを顔いっぱいに浮かべた。


「小坂さーん。あっ、お昼前にそんなもの食べて……。五分前にはちゃんと病室に戻るのよ?」

「はーい」


 談話室を通りがかった看護師に注意されても、小坂は上機嫌のまま。両足をぷらぷらと揺らし鼻歌を口ずさむ。

 再逮捕されるだろう――というのは朝霧の憶測だ。警察が小坂に事情を聞きに来たとき、彼女はその場で犯人の正体を明かした。

 彼は必死に逃げているはずだ。当然警察は神永響弥をマークするし、掲示板を通じて犯罪者の噂が広がっている今、誰も彼を匿おうとは思わない。


 小鳥のさえずりが窓越しに届いた。休日のくすんだ青空に、薄い雲が流れている。

 朝霧は、芽亜凛から聞いた『例の話』を書きこんでいった。『速報』『新事実!』とコメントが飛び交い、掲示板はよりいっそう大きな賑わいを見せていく。

 何時間でもいられそうな、落ち着いた午前だった。朝霧のスマホ画面下部に、赤い感嘆符が表示される。メールボックスの通知だ。

 タップして開くと、届いていたのはセキュリティーシステムのメッセージ。


『不正アクセスを検知しました。

 場所:日本

 時間:2019年7月6日 11:25

 IPアドレス……』


 朝霧は画面を長押ししてアドレスをコピーし、検索サイトに貼りつける。数秒で住所が割り出され、アクセス元の地図が表示された。

 身体を傾け、画面を見た小坂が首をひねる。


「がっこー?」


 朝霧はスマホを切り、「行かないと」と彼女に笑顔を向けて立ち上がる。小坂は「ええっ! やだぁ……」と朝霧のTシャツの裾を細い指先でぎゅっとつまんだ。


「お願い……修、一緒にいて」


 付き合っていた頃の彼女ならば、寂しそうにしながらもわがままは抑えていた。

 だが入院中の小坂は、ここぞとばかりに朝霧に甘える。行かないで、帰らないで、まだいて、ずっといて。襲われたときの恐怖がまだ心のどこかに残っていて、安心感を求めているのだと医者は言った。

 朝霧は膝を折って小坂と目線を合わせる。


「お昼ご飯食べなきゃ」

「一緒に食べよ? ねえ、病院で食べればいいじゃん」

「人と会う予定があるんだ」

「……ひと?」

「うん。人だよ」


 小坂はムスッと膨れっ面になり、「わるいひと?」と瞳を揺らす。

 わがままは、朝霧の身を案じてのことだった。


「違うよ」朝霧は首を振ってなだめる。

「ほんとに? でも学校に行くんでしょ? めぐ、嫌な予感するの。女の勘!」


 笑って誤魔化しながら、鋭いな、と朝霧は思った。しかし「大丈夫だよ」の後に一言付け加える。


「僕一人じゃないから」




 アクセス元は、藤ヶ咲ふじがさき北高校だった。端末は学校のパソコンである。どこからアクセスしようと足がつくのは同じなのに、どうしてわざわざ学校のパソコンを利用したのか。

 考えられる答えはひとつ、


「――遠隔操作?」


 朝霧と校門前で落ち合った渉と林原はやしばらごうが、声を揃えて言った。二人とももちろん私服で、渉は薄地のパーカー、ゴウはアニメキャラが大きくプリントされたTシャツを着ている。


「そう。これなら犯人の足もつかないし、管理人は生徒のいたずらって考えるだろう」

「でもその管理人は朝霧?」


 ゴウの問いに「そう」と答える。インターネットに詳しいようなのでこうして渉と一緒に来てもらったが、彼にはサイトの詳細は伏せたままだ。


「いったいどんなサイトだよ」

「それはヒミツで頼むよ」

「エッチなサイトじゃないよね?」

「だったら共有してるよ」


 芽亜凛の話から推理しても相手は本物のハッカー。もしくは響弥が直接細工をし、バレないように操作しているか。


「要するに、犯人は安全な場所からアクセスしてるってことだろ」

「そういうこと」

「捕まえられねえじゃん」


 へそを曲げる渉に、朝霧とゴウは「え?」と瞠目した。


「渉……」

「これだから脳筋は困るよ」

「え? だって犯人は遠くにいるんだろ。なんで俺ら学校に来たの?」


 ゴウはふうと息を吐いて、「これからパソコンを調べるんでしょ」と理解を示した。


「犯人は学校のパソコンを経由してる。ならパソコンを調べればその痕跡が見つかる。そうだよね朝霧」

「警察に言っても信じてもらえないだろ? だから直接見に行くってわけさ」

「なるほど。そのためのお前らか」

「そういうこと」


 ネットに疎い渉には理解しづらい話だ。林原くんを呼んで正解だったな、と朝霧は進んで表門を抜けた。


 グラウンドを飛び交う野球部の声も、校舎に入ってしまえば掻き消える。テスト明け直後だというのに、運動部はもう活動を再開していた。休日にも関わらずご苦労なことである。

 三人は上履きに履き替えて職員室から鍵を借りた。第一と第二でふたつのコンピュータ室がある藤ヶ咲北高校。渉は「第二でいいのか?」とこの場に適した質問をした。


「Good question ! 生徒が使うのは三階の第一コンピュータ室だ。でも遠隔操作するなら気づかれないほうがいい、つまり?」

「もうひとつのほう、と」

「簡単な予想だけどね」


 授業や文芸部で使用されるのは第一コンピュータ室である。頻繁にパソコンを触っている文芸部がハッキングに気づいていないのだから、向かう先は必然的に四階、第二コンピュータ室だ。

 藤北の文化部は基本的に休日部活がないため、生徒のいない校舎は不気味なほど静かである。

 四階に行くまでの階段で、ゴウは早くも息を切らしていた。彼と同じ帰宅部の渉は呆れた顔で先を行く。渉ならゴウをおんぶしてでも余裕で上がれるだろう。

 けれど、主役は頭脳と知識。渉の肉体労働は、今回はお預けである。


 コンピュータ室に入って早々、朝霧が電気をつけて、ゴウがパソコンを一斉に起動させる。

 生徒の使う数十台のパソコンは、すべてひとつのパソコンに繋がっている。ゴウはその起動履歴を見て、「一番のパソコンだ」と指をさした。窓際の最前列だ。

 朝霧と渉は一番の席に着く。


学校うちのパソコンってAJISAI社なんだね。いいパソコン使ってるー」


 ゴウは悪気なくそう言うが、渉は毒を飲んだ顔で「え」と引きつった。朝霧は足元のパソコン本体を見て、AJISAIの文字を確認する。

 学校のパソコンは、大手企業AJISAIメーカーのもの――渉の因縁の相手、紫陽花あじさい刻輝きざきの実家。


「紫陽花くんに聞いてみる?」

「は?」


 鋭く朝霧を見て、渉は嫌悪感をあらわにする。


「聞くって何をだよ」

「お宅のパソコンのセキュリティーはどうなってるのかって」

「ぜっ……たいに嫌だ。聞いて何になるんだよ」


 何にもならないだろう。会社に問い合わせたところで、調査するのは警察の役目だ。協力くらいにはなりそうだが。渉の反応が楽しくて、朝霧はついいじめたくなる。


「こっちから仕掛けることってできないの? お前ら詳しいんだろ、逆に攻撃するとかさ」

「うわぁ……無茶言うー」

「相手はコソコソしてる卑怯者だろ。こっちから何かできないのか?」


 血気盛んな渉にゴウは苦笑して、「ハッカーと戦うなんてごめんだねー」と一番の席に椅子を持ってきた。

 二人が話している間に朝霧は、パソコンにインストールされたソフトを一覧で調べる。が、怪しげなソフトは見当たらない。乗っ取られているのはこのパソコン本体か。

 画面をデスクトップに戻し、朝霧が手を止めたと同時に左右の二人が「え?」と声を漏らす。

 インストールされたブラウザやショートカットが並ぶデスクトップ上に、『勇敢な……』というタイトルのファイルが追加されていた。


「さっきは、なかったよな……?」


 三人は顔を見合わせる。もう、開くしかないだろう、という流れだった。朝霧はアイコン上にカーソルを持っていき、ダブルクリックする。

 パッと画面中央に小さなウィンドウ――ポップアップが表示された。


『勇敢なきみたちへ

 プレゼントを用意した。

 気に入ってくれるかな。』


 突如、校内放送のチャイムが鳴り響き、キィンとスピーカーがハウリングした。ジジジ……とノイズ音が聞こえて、女性の声が流れる。


『校内にいるみなさんにお知らせします。お客様がいらっしゃいました。施設棟にいる先生はお茶の準備をしてください。繰り返します……』


 喉の奥に力をこめて冷静を装うような震え声だった。お客様がいらっしゃいました。「お客様って……?」とゴウが呟く。

 朝霧は言った。


「不審者の隠語だ」


 体育祭のはじまりを告げるピストルよりも何倍も大きな銃声が轟き、撃ち抜かれた窓ガラスが爆散する。まるで目の前で花火が上がったかのように。音の暴力が腹の底にこだまする。


 一瞬にして殺意の塊が、何もかもを奪い去っていく。ガラス片が飛び散り、鮮血が視界を穿った。

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