巡り合わせ

 凛が千里といる頃、芽亜凛は小坂の新しい入院先を訪れていた。

 A組担任の籠尾かごおは場所をあっさりと教えたが、小坂のことをまるで厄介者扱いするように、代わりに芽亜凛を欲しがった。不謹慎な人。芽亜凛は冷たく目を細め、「考えておきます」と流し、病院に向かった。


 昨日に続いて、つい先ほど。響弥きょうや逮捕の詳細を知りたくて、芽亜凛は二日続けてネコメに電話をかけた。だが繋がらなかった。

 響弥はすでに釈放されている自由の身。殺し損ねた千里や小坂の安否は、警備は大丈夫なのだろうか。

 様々な不安を胸に、こうして凛と二手に分かれて訪れた。茉結華まゆかとはいえ、警察に姿を見られているのだ、白昼堂々と襲ったりはしないだろう。慎重に動きたいはずだ。


 小坂の入院先は、ケアが必要な特別病棟だった。ナースステーションが近く、扉の前には大柄の警備員が椅子に腰かけている。

 芽亜凛はそこで、病室に近づく一人の少女に目を留めた。自分よりも一足先にこの病院を訪れていた、三つ編みのおさげがよく目立つ中学生――朝霧虹成にいなだった。

 警備員は手を伸ばして彼女の出入りを防ぎ、


「ごめんねー、ご家族以外は入れないんだよ。何か渡すものがあればお預かりしますよ」


 虹成はぴたりと止まって後ずさり、「……結構です」と踵を返した先で芽亜凛と視線を交わす。藤北の生徒に会いたくなかったのか、すぐに顔を伏せて通り過ぎようとする彼女に、芽亜凛は「待って」と声をかけた。


「私も小坂さんのお見舞いに来たの。クラスは違うけど、友達だから。……少しだけ、お話してもいい?」


 運命が、揺れ動いているのを感じる。同じテスト期間だから巡り会えた、この機を逃す手はない。

 虹成は何とも言えない表情でこちらを一瞥し、それから小さく頷いた。


 廊下を進んで談話室を見つけた。芽亜凛は自販機でアイスココアをふたつ買い、片方を虹成に渡して椅子に座る。虹成は冷たい紙コップを両手で包みこみ、「朝霧虹成です」と丸テーブルに声を落とした。


「私はたちばな芽亜凛よ。誘拐事件の第一発見者」


 言葉を選んで興味を引くと、虹成は視線を上げて「そう、ですか……」とため息混じりに語調を緩めた。


「あれですよね、トランクに入ってたっていう」

「うん」

「……最悪ですね」

「命に別状がなくてほんとによかったと思ってる」


 そう言って芽亜凛が黙りこむと、虹成は居心地悪そうに身体を揺らして「物騒ですよね……」と続けた。沈黙を作るとストレスが発生して相手が話しやすくなる、とネコメに教わったテクニックだ。


「めぐ……小坂さんの誘拐や、藤北には逮捕された生徒もいるとか。昨日は警察が襲われたみたいだし、それも藤北の近くで」


 虹成は苦いものを食うような渋顔でココアを一口飲む。響弥の逮捕は報道されていない、ただの噂でしかないのに、中学生にまで届いているようだ。

 テレビニュースに疎い芽亜凛は瞠目し、


「待って。警察が襲われた? し、死んだの……?」


 と声を振り絞る。虹成は首を横に振り、


「いや、そこまでは……。死亡とは出てなかったので、生きてると思いますけど」


 同タイミングでネコメと連絡がつかなくなった。芽亜凛は察して、その上でどうか違っていてほしいと願った。

 さらに虹成は淡々と続ける、「もしかしてその人、この病院にいるんじゃないですか」と。他人事だからこそ言える台詞で、頭が柔らかいゆえに浮かぶ発想だった。


「被害者がいる病院なら警備も一緒にしやすいだろうし。小坂さんの件で警察が出入りしてるんだから、負傷した警察官が運ばれてもそんなに目立たないですよね、大きい病院ですし」


 実際、病院に着いたとき妙に慌ただしさを感じた。赤バッジを付けた私服警官も何人か見かけたし、小坂の事情聴取だろうと思っていたが……。


「でも……確かめられないわ」

「まあ、普通に考えて危ないですよね」


 刑事と知り合いの藤北の生徒、なんて。犯人に――茉結華に知られたら、まず危ないだろう。茉結華はネコメの情報提供者を今でも知りたがっているはずだ。

 芽亜凛はココアを飲み終えて冷や汗を誤魔化した。

「虹成さんは、小坂さんをあんな目に遭わせた犯人をどう思う?」と、学年一天才の妹に問う。


「どうって、そりゃ早く捕まってほしいですよ」

「もし、藤北の生徒のなかに犯人がいるとしたら……どう戦えばいいと思う?」

「アドバイスが欲しいんですか?」


 少し意外そうな、興味を持ったような、そんな顔で虹成は聞き返す。芽亜凛は一呼吸置いて頷いた。視点も発想も可能性も、多いほど役に立つ。


「生徒だったら……あの掲示板見てるんじゃないですか。あの……あの人が運営してる、悪趣味なサイト」


 虹成が嫌悪感を示す人物はこの世で一人しかいない。

 芽亜凛は、朝霧修の運営する裏掲示板を利用する作戦に耳を傾けた。


    * * *


「お前の親友逮捕されたんだって?」

「やりそうな奴だったよね」

「親友が犯罪者とかこえー。オレ登校できねえわー」


 けらけら、けらけらと。今朝聞いた、宇野うのたちの笑い声が頭にこびり付いている。

 やめろよと萩野はぎのが庇ってくれたが、渉はテストがはじまる前からすでに疲れを感じていた。意外にも新堂しんどうは悪口に乗らず、黙っていたおかげでその場はすぐに冷めたようだったが。

 渉は重い足取りで廊下を進み、A組の教室に顔を出す。朝霧の周りから生徒がいなくなるまでドア前で待機し、タイミングを見計らってなかに入った。

 朝霧は渉の顔を見て開口一番。


「呼ばなくても来てくれるようになったんだ」

「毎回脅されるのもウザいからな」

「えー、別に脅してないよ?」


 渉と朝霧の、度胸試しならぬ友達試しは続いている。

 友達でしょ? 友達なら来てよ、と何かと理由をつけては呼び出され、連れ回され、ああしろこうしろと試される。それも他人に迷惑のかからない、『三回回ってわん』などという幼稚な嫌がらせなのだからたちが悪い。


「呼ぶなら周りの奴らどうにかしろよ。こえーんだよお前の取り巻き」

「クラスメートをそんなふうに言う?」

「でも実際ぴりぴりしてるし」

「テスト期間だからね」


 言いつつ朝霧が腰を上げたので、自然な流れで教室を出る。たとえテスト期間中であっても、一位の男こと朝霧は普段と変わらず余裕そうだ。


「憂鬱だな」

「今日の天気は曇りだよ」


 ――じゃなくて……。

 雨が降っていなくとも気分は落ちこんでしまう。その理由をみなまで口にせずとも、朝霧は察して肩をすくめてみせた。


神永かみながくんのことか」


 渉は喉の奥で「うん……」と低く呟いた。こういう察しのいい部分はよき相談相手として頼れるのになぁと、横目に朝霧を窺う。

 響弥は休学届を出した、あくまで噂である。学校に迷惑をかけたくないからと、少し早い夏休みだ。逮捕騒動が収まるまで、家でゆっくり過ごしたいのだろう。渉は、溜まっていく響弥の未読スルーに焦燥感を募らせながらも、今ではとっくに心配が勝っていた。


「噂は噂なんだから、考えても仕方ないよ」

「それはそうだけど……」

「ほかのことに気を取られて成績落とすなんてもったいないだろ。テストが終わったあとに悩んだら?」


 生徒玄関で靴を履き替えた朝霧は、トントンと爪先を鳴らした。

 まったく彼の言うとおりだが、人間なのだ、いつだって感情が邪魔をするだろう。答えの出ないことに悩み続けるよりは、できることをしよう、とは思っているが……。

 朝霧の言うようにきっちり遮断できたら、悩みなんてこの世からなくなっている。


「お前はいいよな……悩みごともなさそうで」

「悩みくらいあるよ」


 さらりと朝霧が返すので、渉は「何?」と食いついた。朝霧は、「荷物を取りに行くこと」と彼なりの悩みを打ち明ける。


「僕って一人暮らししてるだろ? 頼んだ荷物が今でもたまに実家に送られちゃってさ。取りに行くのが面倒なんだ」

「別にいいだろ、たまには顔出してやれば」


 何が面白いのか、朝霧はくすくすと笑って「まあねー」と間延びする。


望月もちづきくんは自分の常識で物事を見る癖があるね」


 突き放した言い方だった。

 えっ……と硬直する渉を置いて、朝霧は身軽に段差を下りていく。みるみるうちに距離ができて渉は慌てたが、朝霧の身体は駐輪場を向いて歩き出していた。一緒に帰る気持ちはあるんだ、とほっと息をついてしまう自分が憎い。

 渉は朝霧の背中に追いついて、「一人で行くのが嫌なら俺も付いていくよ」と精一杯のフォローをする。朝霧は片足を軸にしてくるりと振り向き、「ほんと?」と嬉しげに声を弾ませた。


「今から行くんだけど」

「え?」


 突拍子もない優等生に最後まで振り回されて、朝霧家に着いた渉は、門扉の前で少女らと鉢合わせする。

 昼食のハンバーガーとポテトを買った渉たちと同じく、芽亜凛と虹成もまた、ドーナツの箱を抱えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る