誤認逮捕

「――だからそれ、昨日も断りました」


 一夜明け、二度目の取り調べがはじまって早々、響弥は眠気と苛立ちを混ぜて答える。


「俺殴られてるんですよ? おまけにいきなり捕まって家にも帰れねえし。その間他人に家を漁られて、いい気持ちする奴いないでしょ」


 現状、証拠不十分で裁判所からの令状は取れない。おまけに両親不在の彼の家を調べるには、彼自身の許可が必要だった。だが響弥は頑なに捜査を拒み続ける。


「叔母さんと連絡はついたんすか?」

「いや、ついていない」


 取り調べを担当する風田はデスク上で指を組む。神永詩子ともこに連絡がつけば家宅捜索の許可も取りやすいが、当然その連絡はつかない。本物は入院中、偽物は檻のなかだ。

 叔母さんしかいません、と響弥は昨夜自ら家庭環境を明かした。稗苗ひえなえ永遠とわの逮捕は彼にとっても痛手のはず。なのに疑惑の彼女の存在を臆せず公言したのは、意外の一言に尽きる。

 探られても平気なのか、と長海は疑問に感じた。

 ノートパソコンで記録を取る綾瀬は、透視鏡越しの長海に目配せした。彼女と目は合わなかったが、家宅捜索は無理だ、と諭すような視線だった。


「逮捕されたときのことを話してくれるか」

「それも昨日言った」

「警察は何度も同じことを訊くんだ」

「なんで?」

「繰り返し訊いて、別の情報を引き出すためだ」


 響弥は呆れたように天を仰ぎ、大きく息を吐いた。昨日よりも、目に見えて態度が悪化している。

 雨に濡れた彼は同情を誘ったが、留置所の服に着替えた彼はただの被疑者である。飯は支給された安い弁当で、風呂にも入れない。一夜明かしただけで相当ストレスを溜めこんだようだ。


「えっと……あの刑事が来て、金古はどこだって言ってきて。俺は知らないって言いました。急にそんなこと言われても、わけわかんねえし」

「いつ殴られたんだった?」

「開かない扉があって。開けろって言われて、無理って言ったら殴られました」


 響弥は淡々と事実を述べていく。透視鏡の向こう側で、長海は反論したくて堪らなかった。これでは長海が悪者に聞こえるではないか。


「どうして逮捕されたかわかるかい?」

「知るわけないでしょ」

「火のないところに煙は立たぬ。何か心当たりがあるんじゃないか」

「何もないっすよ……」


 自分は何もやっていない。何もやっていないのに突然逮捕されたと、響弥は連日訴える。そんな馬鹿な話があってたまるかと、長海は唇を噛んだ。

 スマホが返ってくれば、あの家でネコメが襲われたことを証明できる。休日で人手不足だったのか、データの解析には時間を要しているようだが、ほかの捜査と仕事を抱えている鑑識課に文句は言うまい。

 うんざりと肩を落とす響弥は「あ」と、思い出したように顔を上げた。


「あの、金古って……金古せんせーのことっすか? せんせーとあの人は知り合いってこと?」

「彼は刑事だ」


 訊かれなければ黙っていたであろうそれを、遂に風田は明かした。互いに関係者となってしまっては、どのみち隠し通すことは難しかった。

「刑事……?」と、響弥は怪訝な顔をする。


「ある事件の捜査で、教師のふりをしていた」

「どういうことっすか班長!」


 ガタッと俊敏な音を立てて、綾瀬が勢いよく立ち上がる。この場でネコメの潜入捜査を知らないのは綾瀬刑事だけだった。


「俺が許可したことだ」


 風田は斜め後ろに顔を向けながら諫めるように言った。綾瀬はぽかんと口を開いたしかめっ面で、透視鏡の長海を探る。どういうことだ長海、お前は知っていたのかと、その目は告げていた。


「それで、せんせーは来たのかい」


 話を戻し、響弥に問う。風田の落ち着いた声色によって、綾瀬は諦めたように座り直した。

 響弥は、ううん、と首を横にした。


「来てないっす。もう何日も会ってないっす。生徒の間ではもう実習期間が終わったんじゃないかって言われてました」


 嘘だ。嘘だ……。嘘をついている。

 透視鏡越しに、長海は固めた拳を震わせた。怒りで身体が震える。息をするように、こいつは嘘をついている。

 その表情の変化のなさに、長海は恐れのようなものを抱いた。表情も声色も、響弥はぴくりともせず流れるように嘘を吐いた。さもそれが真実であるかのような口ぶりで、淡々と被害者を演じている。

 本物の『悪』を前にした危機感が長海の心臓を刺した。


「そっか、あの人刑事だったのか……そうは見えなかったっす。警察でも人を騙すんすね」


 誰にも言わねえけど、と響弥は偽りの良心を形作る。現在進行形で人を騙している口でよく言えたものだ。

 取り調べから一時間が経過した頃、鑑識課の捜査員が扉をノックしてやってきた。ビニール容器に入れたスマホを掲げて、「失礼します、こちらの解析が済みました」と腰を低くする。


「えー、率直に言いますと、壊れてます――このスマホ」


 ――は? 長海は目を剥いた。


「復元ソフトに当てましたが、直る様子はなく……」

「そんなはずはない!」


 半開きの扉を開けて長海は取調室に押し入る。響弥と一瞬目が合ったが、彼は顔を背けず長海をじっと観察していた。

 長海は捜査員に掴みかかる勢いで吠える。


「昨日までは使えていた。ちゃんと調べたのか!?」

「雨に濡れて壊れたのではないかと……」

「あんな雨で壊れるはずないだろ! 第一、俺と綾瀬さんは録画したデータを探した。そのときまで使えていたんだ」

「録画ってどういうことだよ!」


 身を乗り出して綾瀬は口を挟み、風田に視線で訴えかける。風田は小さく首を横に振って、長海に事情を説明するよう目配せした。それぞれの視線が長海に集まる。


「か、金古とビデオ電話を繋いで……」

「お前それって……」

「わかってますよ! 正当な証拠にはならないって」


 長海は苦し紛れに弁解する。


「でも班のみんなには信じてほしかった。そのために俺たちは――」

「未成年の盗撮をした、か」


 風田の放った盗撮という言葉が宙に浮く。風田には呆れ顔で、綾瀬には白い目で見られて長海は口ごもった。

 盗撮……? そんなつもりは微塵もない。だが形的にはそうなるのだ。どんなに言い訳をしても、長海の立場ばかりが悪くなる。


「お前、変わったな」


 吐き捨てるように綾瀬は言った。「昔はそんなんじゃなかったろ。絶対、やらなかっただろ……」後半に行くに連れて涙声になる。

 生真面目だった頃の長海はもういない。今この瞬間に死んだのだった。


「長海、自分の正義を証明するために権力を振るうのは間違ってる」

「……はい」

「お前たちの捜査を後押しした俺にも責任があるが、だがな、未成年の盗撮、暴行、誤認逮捕――庇いきれないぞ」


 自分の足元で真っ黒な闇が口を開けていた。


「……すみませんでした」


 声を絞り出し、カチカチと奥歯を噛みしめる。長海が切れるカードは何も、もう何も残っていなかった。


「班長、どうしますか」

「謹慎処分で収める。俺から言えば上も納得するだろう。……長海、いいな?」

「……はい」


 ――どうして。

 心は反抗を続けている。どうしてこんなことになってしまったのか。俺の仲間はいなくなってしまったのか。あいつがいてくれたら……二人でこの場を切り抜けられたはずだ。

 長海は憎々しげに響弥に視線を運んだ。響弥は勝ち誇ったように顎を突き出し、泥沼に嵌っていく長海を鼻を鳴らして見据える。長海は瞳を閉じた。


「頼みがあります。金古のことを、助けてやってください」


 お願いしますと、頭を垂れて懇願する。

 ネコメはまだあの家にいる。仲間の助けを待っている。

 長海は迎えに行ってやれない。だが必ず生きていると信じている。


「班長、長海の言うことに不信感はありますけど、ネコメが無断欠勤してるのは確認済みです」


 携帯も繋がりません、と続ける綾瀬の言葉は助け船のように思えた。風田は頷き、「もちろん、それはこっちで調べる」そう言って席を立ち、響弥の手錠を外した。

 響弥はそのまま別の捜査室に連れて行かれ、透視鏡の前で止まった。視線の先――取調室にいたのは変わり果てた姿の稗苗永遠。


「あの女性に見覚えはあるかい?」


 響弥は目を細め、「……詩子さんに似てるような……」と曖昧に答える。本来の予定であれば、ネコメと長海で行いたかった質問だ。


「では稗苗永遠という名前に聞き覚えは?」

「ひ、ひえなえ? 知らないっす」


 堂々ととぼける響弥に「嘘をつくな……!」と、長海は歯を剥き出しにして食ってかかる。「長海!」と綾瀬は彼を制するが、長海の口は止まらなかった。


「稗苗永遠は神永詩子に扮して彼の家に行った。だが出てきたときは大学生の姿だった。彼は彼女の正体を知っている、共犯者なんですよ!」

「な、なんの共犯者っすか?」

「叔父を殺し、その遺体を隠した共犯だ」

「あ、あの人、人殺しなんですか?」


 響弥はこの期に及んでまだ白を切るつもりだ。彼は、稗苗永遠にすべての責任を押しつけようとしている。自分はあの女に騙された哀れな子供なのだと、そう大人に信じこませる気だ。


「お前……っ」


 胸ぐらに掴みかかろうとする長海を風田の声が止めた。


「証拠は?」

「……この目で見た。それしか言えません」

「長海……」


 風田班長は言葉を失い、代わりに綾瀬が前に出た。


「いいですよ班長、あたしが代弁します」


 強気な視線が長海を射抜く。仲間に向けた目ではない、心の底から軽蔑した眼差し。


「長海、これ以上失望させるな」


 風田と綾瀬は、響弥を連れて出ていく。その背中を見つめて、長海はまるで仲間を奪われていくような錯覚を覚えた。視線は足元に落ちていく。

 失望、と長海は綾瀬の言葉を咀嚼した。言葉の意味はわかるのに、理解するには時間と余裕が足りていない。

 子供相手に、手も足も出なかった。たった丸一日で、積み上げた信頼も努力も粉々に散った気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る