きみを守るため

「……うん、わかった。伝えておく」


 タジローとの通話を切り、茉結華まゆかは舌打ちを鳴らす。

 トワが逮捕された。警察曰く、叔父の殺人容疑がかかっている。

 バレるはずないと高を括っていた。甘かった。あのエセ教育実習生は本気で茉結華を潰す気でいる。奴がいる限り、茉結華の行動は制限されたまま。呪い人どころではなくなる……。


「茉結華……」


 防音室で不安そうに、ルイスが赤縁眼鏡を指で上げる。

 茉結華の協力者が次々と逮捕されている。狙われているのだ。茉結華でも響弥きょうやでもなく、その関係者から調べ上げて順に潰していく。金古流星メテオ……。まったくもって厄介な相手だ。


 まさか家が張りこまれているなんて、警戒不足だった。そこまで徹底して茉結華を狙うのはなぜだろう?

 仮に神永家の息子というだけで疑われているのなら、春から動きそうなもの。しかし予定していた六月からこうも見事に邪魔が入ると……情報提供者の存在が浮かび上がる。

 敵は教生だけじゃない。奴にも協力者がいて、そいつが家の周りを張りこんでいる。

 次に狙われるのは、ルイスだ。幸い外出を控えていたため、姿は見られていない。だが存在はもう知られているかもしれない。謎の情報源によって。


「場所、移さなきゃだね」


 悲しげに茉結華は笑う。まるで見えない紐で、じわりじわりと首を絞められているようだ。苦しい。悲しい。逃れられない。

 だが、トワの聴取でしばらくは安全だろう。彼女なら時間を稼いでくれる。今のうちにルイスを別の場所に移したほうがいいと、タジローからの指令だ。

 茉結華も部屋を取るとしよう。これは、


    * * *


 三十分待ちの行列に並んで、りん芽亜凛めありはようやく店内に入った。よく効いた冷房が凛の汗ばんだ額を撫で、ツンと涼しい空気が鼻を刺激する。

 二人は案内された席に座ってメニュー表を手に取り、今日のおすすめスイーツとドリンクを頼み、一息ついた。


「芽亜凛ちゃんが教えてくれたこのお店、私も気に入っちゃった!」


 あの日も確か日曜日だ。以前千里ちさとを誘ったカフェに、今度は芽亜凛と一緒にいた。

 もとはといえば芽亜凛が教えてくれたスイーツ店。並んでいる最中にアプリを見せてくれたが、複数回分のポイントが貯まっていて驚いた。芽亜凛はスイーツ店巡りが趣味の常連で、いろんなお店を知っているのだ。


「気に入ってくれてよかった」


 そう言って笑う芽亜凛のノースリーブ姿が眩しい。

 芽亜凛と過ごす貴重な休日。大きなイベントは先週の遊園地だったが、やはり芽亜凛はおしゃれだ。

 自分のスタイルをよく知っていて、それでいて気取らない。なんというか、女の子の憧れるかっこいいモデルさん、という言葉が合う。今日みたいな晴れの日は、そのスタイルのよさがいっそう輝いて見えた。


 千里のことは『ちーちゃん、日曜日に友達と遊ぶんだって。大丈夫かな……?』と、事前に芽亜凛に相談してある。

 そう、千里は友達と遊ぶと言っていた。彼女が凛以外と遊ぶのは珍しく、凛は純粋に嬉しい気持ちで送り出したが、やはり不安はある。呪いの造り手――茉結華のことだ。

 きっと大丈夫よ、と言っていた芽亜凛も内心不安だろう。かと言って千里を止めるすべもなく、彼女が留守なのに凛が千里の家にいるのはおかしい。よって芽亜凛と一緒に休日を過ごしていた。


「わあ、おいしそうー!」


 黄金こがね色のチーズケーキと、芽亜凛の頼んだ旬のベリーケーキがテーブルに届いた。いただきます、と手を合わせて味わう。甘じょっぱいチーズケーキはなめらかで、口のなかでとろけて消えた。


「んーっおいしい! 並んだ甲斐があったねぇ」


 休日と晴天が合わさって人気店が混むのは当然のこと。だが今日はそれ以外にも、近場のライバル店が休みだとか、事件があったとか。

 昨日――土曜日に警察が近くの店に押しかけた、と。嘘か真かそんな話を、並んでいる最中に耳にした。

 物騒だね、なんて他人事のように思いつつ、花の女子高生の会話は弾む。


「中間テストの結果どうだった? 返ってきたんだよね?」


 凛が問うと芽亜凛は頷き、


「うん。満点取ったら喜んでくれた」

「……満点?」

石橋いしばし先生が。このクラスじゃはじめてだって」

「え、ええっ!」


 思わず片手で口を塞ぎ、凛はフォークを置いて指を折る。二、四、六……。


「えーっと、選択科目抜きだから、満点だと……千点?」

「まあ……」

「まあ、じゃないよ! すすすすす、すご!」

「そんな大したことないわ。全部憶えていれば簡単よ」


 芽亜凛にはやり直しの記憶がある。だがすごいことに変わりはないし、謙遜する必要はないと凛は思った。


「いやぁ私は取れないよ。うん、五回やっても無理。朝霧あさぎりくんびっくりしてるんじゃない?」

「あの人は私が一位になっても二位になっても同じよ。気にしてない」

「そうなんだ。一位の余裕ってやつかぁ」


 つまり毎回一位を取っている朝霧は毎回満点を取っていることになるが……。

 テストの順位を落としても、芽亜凛の運命は変わらなかった。今の彼女にとってテストで満点を取ることは、担任を喜ばせる恩返し程度の価値だ。

 芽亜凛と朝霧の話をするのははじめてだが、当然凛が紹介しなくとも彼女は彼を知っている。凛は、デパート前でわたるが一緒にいたのを思い出し、口に広がった苦い味をレモンティーで誤魔化した。


 遊園地以降、渉とは一切連絡を取り合っていない。話しかけたいけれど、自分から断っておいていったいどんな顔をすればいいのか。

 きっと渉も、同じように思っている。気まずさを解消したいが、動けない。もどかしく足踏みするばかりだ。


「芽亜凛ちゃんは好きな人いる?」


 おそらく過去に何度も尋ねただろう、唐突な問いだった。芽亜凛は間髪入れず答える。


「凛」

「うん?」

「凛が好き」


 淀みのない返しに凛はきょとんと口を開く。今を、現実を、慈しむような目だった。

 芽亜凛が即答するほどのことを、自分はしていない。だが彼女の経験には確かに積み重なっている。

 百井ももい凛への感謝が。絆が。親愛が。


「私も好きだよ。芽亜凛ちゃんのこと」


 芽亜凛の好きはこんなにも伝わるのに、自分が言うと薄く感じる。

 それが嫌で、凛は「芽亜凛ちゃんが思ってるよりも、私、芽亜凛ちゃんのこと好きだからね!」と必死になって続けた。芽亜凛はくすりと笑った。


「凛が聞きたいのは男子のことでしょ? お見通し」

「そ、それは……結果オーライだよ。芽亜凛ちゃんが好きなら、私もそうだよって芽亜凛ちゃんに伝えたい。芽亜凛ちゃんが知ってる私よりも、私のほうが気持ち強いよ」


 そうでありたい。今が一番の『百井凛』でありたい。別の自分と比べるなんて変な話だが、それでも自分が、一番の自分でありたいと強く思う。

 芽亜凛は凛のムキになっている姿が可笑しいようで、うんうんと何度も嬉しそうに頷いた。そして、改まった様子で訊いた。


「凛は、好きな人いる?」


 凛は瞼を持ち上げて、「うん」こくり、すんなりと顎を引く。


「いるよ。大切な人が」


 何にも、誰にも代えられない、ただ一人の大切な人がいる。

 傷ついてもいい。結ばれなくてもいい。大切な幼馴染を、守れるのなら。

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