価値ある時間
小坂めぐみ。藤北に通う二年生で彼女を知らない女子はいない。
ピンク色に染めた派手な髪をツインテールにまとめ、ワンピースの裾は腰にベルトを巻いて短くし――この手法は彼女が流行らせたとか――身につけるものはブランド品ばかり。可憐な容姿に加えてスタイルもよく、家はお金持ちの社長令嬢だ。
その見た目と権力をフル活用し、一年の頃B組にいた彼女は、あっという間にカースト上位に君臨した。派手な女子グループはみな彼女に媚び、逆らうものは男女問わず徹底的にいじめ抜かれた。
朝霧と付き合いはじめたのは、彼女がA組に来てからか、その手前か。
特進クラスでクラス替えがないA組に、彼女は朝霧目当てでやってきた。友達は一人もおらず、A組での彼女は、飼い慣らされた羊のように著しく落ち着いた。だがそれも朝霧の前だけで、他クラスでは相変わらず偉ぶっている。
朝霧と付き合うようになって、彼女はいじめをやめた。『めぐのクラスはいい子ちゃん揃いの特進クラスだし、いつまでもそんなダサいことしてらんないのよね。修にも迷惑かかるし。あんたたちも大人になればわかるわよ』と、他クラスを見下して。
上辺だけの仲で生きることに長けたグループの女子たちは、陰で小坂の悪口を言っていた。
『二年になってますます調子に乗ってない? 朝霧くんと付き合ってるからってさぁ』
『大体それほんとなの? だってあの朝霧くんだよ、釣り合わなくない?』
『でも朝霧くんが認めたらしいよ、付き合ってるって。誤解されやすいけどとってもいい子だよとか、みんなの前で言ったみたい』
『えー。何それ、庇ってるじゃん』
『言わされたんじゃない? あんな子と付き合うなんて……絶対めぐが言い寄ったんだよ』
『て言うか、優しいから付き合ってあげてるんじゃない? うちらは身のほどわきまえてるのに、一人だけ抜け駆けして超ムカつく』
『お嬢様だから何って感じ。そんなに偉いわけ?』
『ちょっと褒めたら新品のバッグくれてさ。マジ、チョロすぎ』
『それなー。あたしも今度買ってもらおうっと』
きゃらきゃらと響く笑い声を、千里はトイレの個室にこもって聞いていた。凛や自分の悪口はなく、得られた情報はカースト上位のお姫様への不満であった。
広く浅い交流を築き、誰とでもすぐ仲良くなってしまう千里でも、小坂めぐみは対象外。理由はただひとつ、凛の嫌いなタイプだからだ。
どんな争いにも真正面からぶつかる三城グループなどとは違って、小坂の周りは陰湿の塊。彼女を注意した女子はいじめの対象となって弄ばれた。
妊娠、中絶、男遊び。あらぬ噂を流されたその子は不登校となった。気がない男子からのラブレターは黒板に貼って全員に晒した。逆らった男子のスラックスは体育の時間に盗んで捨てて、パンツ一枚で土下座させた写真をクラストークで共有した。
一度広まった悪い噂は決して消えない。いくら今が大人しいからってそんな子と仲良くするのは、たとえ千里が気にしなくても凛に悪い。第一、あちらも興味ないだろう。
(って、思ってたんだけどなぁ……)
世界が違うピンクのお姫様はぷるぷるの唇を尖らせて、千里の机で頬杖をついている。
「早く行きなさいよ」
小坂は細く長い脚を惜しげもなく組んで、教室に居残ろうとするC組生をガン飛ばす。スカートとニーソックスから覗く太腿が眩しい。白磁のように滑らかだ。
睨まれたクラスメートはいそいそと席を立ち、やがて教室は二人きりの空間となった。
「えーっと……昼間の続きだよね?」
「そうよ。望月渉のこと」
小坂は昼間、千里を女子トイレに連れこんで渉について問うた。
『あんた、あいつのこと知ってるの?』あいつって誰?『最近修に付きまとってる害虫よ』と、おそらく渉のことを言っているようだった。
「あいつ、何度か顔出してたのよね」
「A組に?」
「そう、修目当てで」
昼休みは名前、クラス、朝霧との関係を訊かれて終わった。知らない、と答えると、じゃあ放課後ねと小坂は予約を入れて去っていった。
正直面倒くさいし相手にもしたくないが、千里が無視すれば今度は凛に白羽の矢が立つ。二人が幼馴染だと知れば、彼女は必ず凛に接触するだろう。領域は、守りたい。
「わたしも意外だなぁって思ったけど、普通に友達なんじゃない?」
「ストーカーなのよ、絶対に」
「そうかなぁ……そういうタイプじゃないよ? 無愛想だし、人見知りだし」
渉は千里と違って無闇に交流しない。自分からはなかなか絡まず、来るものには警戒心が真っ先に起立するような人間だ。
「陰キャってやつでしょ。そういう奴に限って勘違いしやすいのよ。修がちょっと声かけたら目の奥ハートマーク浮かべちゃって、そういう男子結構いるわよ」
(昼間のあれはどう見ても朝霧くんから来てたけどなぁ……)
むしろ渉は嫌がっていたような。怯えた子犬みたいに尻尾を丸めていた。
けれど、千里が凛を肯定するように、盲目フィルターのかかった小坂には何を言っても無駄だと思った。
「小坂さんは渉くんを引き剝がしたいってこと?」
「危ない奴ならね。あんな地味な男子、修の横に置いておけないでしょ。修まで地味な奴に思われるじゃない」
「まあ確かにパリピではないけど……真面目な子だから平気だと思うよ」
先日のデパート前騒ぎがちらついたが、言ってからでは遅かった。
「あんたはいつから知ってんの、望月渉のこと」
「中学から一緒だよ」
「仲いいの?」
「うーん、まあ……いいほうかなぁ」
渉のことは男友達として純粋に好きだが、凛の幼馴染でなければ絡んでなかっただろう。覚える必要もない『その他大勢』だ。
「あいつの悪い噂、何かないの? 修に言えば幻滅するような話」
「うわぁ、ないねぇ」
「ないの?」
「うん、ない」
「頭悪いとか運動できないとか、実は性格クソ悪いとか、なんでもいいのよ」
「渉くんは勉強できるし運動もできるし、女子には奥手で変な噂とか立たないし。E組じゃ優等生に入るよ」
「でもホモでしょうが!」
小坂は机を両手で叩き、勢い余って立ち上がる。千里は「はへ?」と目を丸くした。一緒にいただけで?
「あいつ……C組の神永響弥とデキてるのよ? そんな奴が修と一緒にいるなんて……絶対狙ってるのよ! 狙ってるのよ!」
「そんな二回も言わなくても」
「でも事実でしょ? やっぱり危険だわ……」
「噂は聞いたことあるけど、でも渉くん好きな子いるし」
うっかり口を滑らせて千里はハッと息を呑む。小坂は「誰?」とすかさず切り返した。
「あ、女の子だよ」
「だから誰よ。名前は?」
このままでは凛に通じてしまう。非常にまずい事態だ。
渉くん、ごめん。千里は胸中で念じた。
「……フラれたって聞いた」
「はあ? じゃあ……ふぅん」
小坂は、いいことを聞いたとでも言うようにほくそ笑み、「え、やっぱり修に走ったのね!」と勘違いを重ねていく。
千里は諦念し、「まあ、それでもいいよ」とつい本音を口にした。渉のことなどどうでもいいし、面倒くささが上回っていた。
――もう、どうだっていいや。
「一途だねぇ、めぐっちは。わたしと大違い」
「……何が?」
「わたしが守りたいのは領域だもん。めぐっちの太腿くらい綺麗な領域。わたしが大事なのはその人自身じゃなくて、わたしがいる居場所なんだ」
小坂は自分の太腿に目をやり、「おんなじでしょ」と言い放つ。
「私の太腿も私自身のものじゃん。あんたの言うそれって、例えば私が修の人気や優れた地位に固執してるってことでしょ? でもそれ、同じじゃない? その人がいなかったら結局成り立たないわけで、あんたの悩みも思いも、相手がいてこそ生まれるものじゃん。あんたは勝手に視野狭めてるだけ。めぐはそういうの全部まとめて、愛だって胸張って言えるよ」
「……寄生してるだけでも?」
「そうよ。めぐだって修に寄生してるもん。修なしじゃ生きていけないくらいにはね。大好きよ。たとえ修に変な虫が付いても、修を一番愛してるのはこの私」
そっか、と千里は思わず笑みをこぼす。
自分もそうだ。一番だと思って、これまで生きてきた。凛の一番の親友として。
たとえ隠しごとされていても、この思いは変わらない。不満はあっても、好きな気持ちは揺るがない。
「そっか。わたし、めぐっちと一緒なんだ」
「いつだって自分が一番よ。そうすれば余裕でしょ?」
「余裕じゃないから渉くんのこと調べてるんだね」
「う、うるさいわね! これはあれよ、修を危険な目に遭わせないためよ」
彼女も同じなんだ。本当は自信がなくて、不安だらけで、相手の愛を欲している。
それでも誰よりも相手を思っている、一方通行の愛。
「めぐっちってさ、意外といい子だね」
「意外とは何よ。めぐはいつだっていい子のめぐっちよ」
「はいはい、天使天使。女神女神」
小坂めぐみの愛が深いことはよくわかった。噂で聞くよりだいぶいい。
それとも朝霧に出会って変わったのか。これも、千里が凛と出会って変わったのと同じ。
「あんた、部活はいいの? テニス部じゃなかった?」
「体調悪いから休んだよ」
「え、悪いの?」
「ううん、超元気」
「……悪い子ね」
千里はにやりと笑って歯を見せる。今日休むことはテニス部のグループトークに送っておいた。百パーセント気分で休んだ仮病だ。
教室の窓から見えるテニスコートでは、マネージャーの芽亜凛が走り回っている。嘘をついて休んだ罪悪感はあれど、小坂と過ごすこの時間は有意義なものだった。
「ねえ、今からカフェ行かない? 望月渉のこと教えてくれたお礼に奢るわよ」
「ほんと!? いいの!? やったぁ!」
もちろん賛同して校舎を後にする。その途中で、響弥と女性が並んで歩いているのを目撃した。保護者だろう、何か悪いことをして呼び出されたのかと千里は思った。
響弥とその人は校門を抜けて帰っていく。「化粧してたわね」小坂がぽつり、言った。
「首の後ろ。ファンデーションして隠してた。シミでもあるのかしらね」
* * *
捜査車両の運転席で、長海はネコメが差し入れた牛丼を大きく掬っては口に詰めこむ。助手席にはモッズコートを羽織った相棒が、おんなじ方向に目を光らせていた。
神永分寺の隣に建つ一軒家――またの名を神永家に帰っていくふたつの影。ひとりは神永響弥だ。もう一人は今日ネコメが呼び出した、叔母の神永詩子。
「入りましたね」
「無警戒にな。別々の場所に帰ってたらどうしてたんだ」
「ないですよ。俺に付けられる可能性があるのに、一人で帰らせるなんてありえません」
「じゃあこのまま出てこないかもな」
「そうですね、一日待つことになりそうです」
ネコメが罠を張ったのは学校ではない。この場所だ。長海が張りこみを続ける捜査車両のなか。そこから見える、神永家そのものに罠を仕掛けた。
狙いは、神永詩子を名乗る女性を呼び出し、神永家に帰らせること。
「お前の言った時間帯ずっと神永家を見張っていたが、あんな女は出てきていない。見るのもはじめてだ」
「息子以外の出入りを確認したのもはじめてですね」
「ああ。あとは……」
「どんな姿で出てくるのか、ですね」
出入り口はひとつだけ。裏口がないのは確認済みだ。だから長海はずっと玄関を見張っていた。
女は神永家の住人ではない、どころか赤の他人である。本物の叔母は関西の病院に入院中。だとしたら彼女は、何者か――
動きがあったのは夜八時を過ぎてからだった。後部座席に積んだ餡パンをかじっていた刑事二人組は、鋭く目を走らせる。
玄関のセンサーライトに照らされて出てきたのは一見、服装も背丈も同じ神永詩子だった。
だが行きと違って髪を下ろし、ばっちりメイクをして眼鏡も外している。何より、目つきがまったくの別人であった。それもメイクのおかげか。
「行くか」
「はい」
長海とネコメは慎重に車を出して、女の後をつける。
井畑は他殺。関与しているの神永響弥および茉結華と名乗る白髪の少年。
疑え。戦え。捜査は決めつけて行うんだ。
――次は、俺たちが攻める番だ。
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