第七話
赤いヒミツ
放課後のショッピングモール。クレープを買いに駆けていく
「今朝のニュース……凛は見た? 公園で亡くなった雑誌記者。もしかしたら……殺されたかもしれないの」
芽亜凛は一人だけ別室で、五月下旬の中間テストを受けていた。昼休みは凛と千里が様子を見にやってきて、寂しさと孤独を埋めてくれた。
学校にいる間は平静を装っていたが、内心は落ち着かず。なぜ気だるいテストが凶報と被るのだろうと、自分の運命に嫌気が差す。
ようやく、凛と直接話せる。
「それって例の……呪い作りの仕業?」
「……わからないの。警察は自殺って言ってたけど、刑事さんは疑ってた」
「
一人暮らしな上、家にテレビがない芽亜凛は
「亡くなった雑誌記者は、その人と繋がりがあったの。刑事さんが確かめに来て、私その人の名前を教えて……」
「刑事さんはその繋がりを聞く気だったんだね」
「うん。だけど、聴取する前に……」
死んでしまった。自殺か他殺か。
十年前に自殺未遂したネコメも、こんな気持ちだったのか。誰かが死ぬたびに自罰的になり、リセットに走る。少なくとも芽亜凛が関わらなければ、井畑は痛い腹を探られることもなく今も少年少女の写真を糧にのうのうと生きていた。
友達でも知り合いでもない、赤の他人の死。それでも悼んでしまう。彼の生の
「芽亜凛ちゃんが落ちこむことないよ」
ガラステーブルに反射する凛が隣で芽亜凛を見上げる。首を向けると、凛は顔の前でぴんと小指を立てた。
「約束でしょ?」
「……うん」
そっと差し出した小指を、凛のぬくもりが絡め取る。
確かに交わした、死なないという約束。この子のおかげで、芽亜凛はまだ人間でいられる。もう二度と、命を投げ出したりしない。
凛には負担をかけっぱなしだ。遊園地前からずっと。
『恋人を――作らないようにしてほしいの。凛に恋人ができたら、その人は……もう二度と会えなくなる』
委員会終わりにそう告げると、凛は一瞬逡巡したのち『うん、わかった』とはにかんだ。羞恥も疑念もなく、あくまで可能性のひとつとして彼女は純粋に受け取った。近々幼馴染から告白されるとは夢にも思っていないだろう、無垢な笑みを浮かべて。
観覧車で凛は執行した。大切な――大好きな――幼馴染の思いを拒絶するという選択を。心を鬼にして、自分の気持ちもろともぐしゃぐしゃに握り潰した。
酷いことをさせてしまった。大切な人に嘘をつき、自分の気持ちさえ抑えこませた。やらせたのは芽亜凛だ。凛は傷ついた素振りを見せず、告白されたことも黙っている。
心の柔い部分を凛が悟られたくないのなら、芽亜凛はその思いに応えよう。触れず、詮索せず、まっすぐ前を見据えて隣にいる。
「ねえ、その人の名前……私も聞いていい?」
刑事に教えたその名を、凛に共有すべきか否か。悩むまもなく、言葉は信頼という気持ちを乗せて芽亜凛の舌を滑り落ちていた。
「……茉結華よ」
「まゆか、さん……」
凛は女だと予想しているようだし、名前を聞いてその思いこみは強まるだろう。けれど男だとは訂正しなかった。
凛は神妙な面持ちで眉間にしわを作る。
「その人に……本当は、やめるよう諭すのがいいよね。でもできないから、外堀から埋めていくしかない」
そのとおりだ。今ネコメがしていることである。
「繋がってた記者さんが他殺だとしたら、どうしてわざわざ殺したんだろうね。邪魔になったから? でもそれだけで、自分に繋がる、なんて思うかな」
凛はテレビの向こう側で繰り広げられるサスペンスドラマをリビングで推理するように、芽亜凛よりも客観的に思考する。
「警戒心による動機だとしても、普通は手を出さない。だって、自分が犯人ですって言ってるようなものだもん」
「というと……」
「つまりね、すでに警察の手が伸びているってわかってたってことだよ。だから余計なことを言う前に殺したんだ」
井畑を殺した犯人――茉結華は警察の情報を得ている。犯人が協力者でも同じだ。情報はすべて茉結華に流れ、警察の手をするりするりとかわしていく。
だが、この考えは口にできない。警察の内部に穴があるなど、今まで信頼してきたネコメに対する冒涜だ。裏切りだ。
「あくまで本当に他殺だったらね、そういう疑いも出るんじゃないかなぁって。でも刑事さんは、もっと広い目で捜査するだろうね。偶然とか、ただのクレイジーな犯行とか。身内を疑うことはまずないよ。私の考えも失礼に当たるし……」
一息に言って凛は防犯グッズに顔を寄せ、「どれがいいかなぁ」と慎重に検討する。
前回の反省点だった。このまますべてうまくいく、と油断したが最後。茉結華はミナゴロシという凶行に出て、それまでの行動制限を倍にして返した。
今で言う、千里のそばには凛がいる――という思考や安堵が、油断となって前回の甘さに繋がる。
だから警備を強化する。提案したのは凛のほうからだった。とある防犯グッズを買おう。それと、赤い布と糸も必要だ。
* * *
「うりゃ!」と背後から腰に回すと、「きゃっ!」と小さな悲鳴が上がる。凛は髪を洗う手を止めて、片目を瞑ったまま振り向いた。
「もう、ちーちゃん」
怒られても何度だって抱きつきたくなる、引き締まった健康的な身体。顕著に表れた柔らかな凹凸。すべすべの肌に密着し、泡まみれの手で撫でると気持ちがいい。
凛が泊まるようになって以来、毎日一緒にお風呂に入っている。背中に胸を押しつけると鼻先に泡が付いて、おんなじ石鹸の甘酸っぱい香りがくすぐった。
こんなにも近くにいる親友。なのに、隙間を埋められないのはどうしてか。
凛は時折、部活でしか見せない真剣な顔つきで芽亜凛と話している。声をひそめて、ひそひそと。そして千里がやってきたタイミングで二人の表情はころりと変わり、屈託のない女子高生の笑みを浮かべるのだ。
隠しごと、されてる。
絆だ。己の領域に敏感な千里のレーダーは、いとも容易く感じ取った。凛と芽亜凛の間には、千里の知らない絆がある。放課後デパートに遊びに行った日も、二人はこそこそと買い物を済ませていた。
やだな、と窓の外の灰色を一瞥して、千里は昼休みの廊下を歩く。芽亜凛のことは好きだし、もうすっかり、忘れられない友達だ。不満があるのは二人にではなく、今いる自分の境遇か。
二人は同じクラスだし、学校で一緒にいる時間は千里よりも作りやすい。だけど、それ以外は千里が勝っている。通学路も一緒。寝て起きる場所も一緒。裸で抱き合うことだって、芽亜凛には不可能だ。
凛とお揃いの赤い髪留めだって、わたしが一番の親友だと主張するかのように毎日着けている。これだって芽亜凛にはないものだ。
やだな。無意識のうちに比較して、自分の
所詮自分は寄生虫。宿主がいないと生きていけず、居場所に関わるすべてに反応する、ずるいずるいパブロフの犬だ。
E組の教室が見えてきて足を止める。女子の内緒話を収穫すべく今日はトイレにこもろうかと、斜め前の女子トイレを見たとき、視界の隅で何かを捉えた。
すぐ脇の踊り場で、渉が女子生徒と向き合っていた。E組の生徒だ。名前は……名前は……、確か
「……が、いいと思う」
「ああ、うん……わかった」
「よ、よければ、うちでできるよ。お願いしてみようか?」
「いや、あー……んー」
安浦は鈴を振るような声で
こんな人目のつく場所で堂々と告白か。渉くんもモテますのぉ、と千里はにやにや微笑んだ。
「あの、ごめん。俺そういうの、苦手でさ」
「あっ……全然っ、怖くないよ?」
「いや、そうじゃなくて……」
渉は困り果てた様子で安浦の申し出を断る。凛にフラれてもなお、彼女のことが好きなのだ。ちょっとやそっとの誘惑には渉くんは屈しないぞ。と、千里は勝手な信頼で妄想を広げた。
「祓ったほうがいいと思うよ。きっと、よくない……」
「気持ちはありがたいんだけどさ、その……幽霊とか? お祓いとか、俺そういうのはマジで信――」
「幽霊っ!?」
曲がり角に手を添えた状態で覗き見しながら、千里は大げさに仰天する。「いたのかよ……」と後ずさる渉を前に、千里は間に割りこんだ。
「渉くん、呪われてるの?」
「ちがっ……彼女が、生霊とか悪霊とか言うから」
「憑いてるの?」
恐る恐る安浦に尋ねると、彼女は深く頷いた。
「
「いる!? 何がいるの!?」
「男の子……望月くんにそっくりな」
「ええぇっ!」
千里は彼女の後ろに隠れて距離を取る。
「え、やばいんじゃない……? い、生霊? 渉くん本人の魂とか?」
「んなわけ」
「悪いことはしてないよ。むしろご先祖様みたいに、望月くんの身を案じてるみたい。でも魂が浮遊してるってことは、自我の崩壊を意味するの……」
「霊感? チオちゃんは視える人?」
「うん……休日は神社でバイトしてて」
「え、巫女さん! いいなあ、萌えだ」
まさか先日デパートの外で騒いでいたのも、遊園地で凛ちゃんにフラれたのも、生霊の仕業では? なんていう意地悪は心のなかに留めて「祓ったほうがいいよぉ」と安浦に賛同する。だがそういう類を一切信じていない渉は、迷惑そうに頭を抱えた。
「気持ちだけ、気持ちだけ受け取っとく。それでいい?」
踊り場のど真ん中で女子二人に絡まれて、もう勘弁してくれと言いたげである。霊感少女はしょんぼりと頷いたあと、お行儀よく手を前に組んだまま一礼して教室に去っていった。
「……悪かったかな」
「いいんじゃない? 信じてもらえないのは、あの子も重々わかってるでしょ」
「余計悪いな」
渉の現実主義者が裏目に出たようだ。真面目で内向的でほかの男子とは違う大人びた望月渉くんなら信じてくれると、安浦は思ったのだろう。
遊園地ぶりの渉は意外と元気そうだった。男子たちと遊んで気を紛らわせ、心の容量不足を解消したのか。――自分に必要なものも息抜きなのかなと、千里はぼんやりと考える。
「あ。望月くん、いたいた」
くすりと笑みを含んだ声とともに、コンコンと壁をノックする音。振り返って、千里は思わず二度見した。
おいでおいでと手招きしている、学年一の優等生。さらさらとかきらきらとか、そんな擬音が似合う涼しげな風貌の高身長男子。特進クラスの委員長様が、そこに立っていた。
「げっ……」
渉は心底まずそうな、飲みこめない苦い声を漏らす。
「く、来んなよ……」
「だって遅いから。お邪魔した?」
言いつつ
「全然お邪魔じゃないよ、うん」
「望月くんのこと借りてくね」
「どうぞどうぞ」
渉は反論したげに口を開いたが、すんでのところで抑える。にこにこ笑顔の朝霧は踵を返し、不服そうな渉は首根っこをつままれた子猫のように、肩をすくめて付いていった。
男子二人の背中が見えなくなると、千里はぱたりと笑みを消して「びっくりしたぁ……」と胸を撫で下ろす。
渉くんと、朝霧くん。いつの間に関わりを持ったのだろう。領域外にはとことん興味のない千里の脳みそは、デパートの外にいた渉以外の男子すべてを忘れてしまっていた。
意外な組み合わせだと思った。格好いいけれど、近づきがたい。千里が根っからの従者だからだろうか。誰よりも上にいて、きらびやかな光の下にいる朝霧に畏怖の念を抱いている。本来渉もこちら側のはずだが――
ひゅっと、また別の誰かが踊り場を覗いた。吊り上がった双眸が千里をばちりと捉える。
ピンク色のツインテールを翻した、これまた有名人。A組の
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