異変に感づいて

「日曜日に……見たんだよ。ゴウが女といるところをよ」


 売店に並びながら、聞いてほしい話があると清水しみずが口火を切った。その場に居合わせた柿沼かきぬまはうんうんと頷き、ゴウ本人は否定する。


「だからそれは僕じゃないって……」

「嘘つけい!」

「彼女いるならいるって言ってくれればいいのによぉ」

「水くせえぞ!」


 ぎゃんぎゃんと喚く三人組を横目に、響弥は「おばちゃん、いつもの」と焼きそばパンを購入する。


「渉はカツサンドだろ?」

「うん」


 頷いた矢先、長い手が横からぬっと伸びて目の前のカツサンドを取り上げた。

 反射的に見上げた先にはE組の問題児、新堂しんどう明樹はるきが。涼しい横顔で小銭を払い、こちらには一瞥もくれずに階段を上っていく。

 響弥は「げっ」と引きつった顔で地団駄を踏む。


「横取りかよ……!」

「今ので最後よぉ」

「えー……どうする?」


 別に何でもいいよと思いつつ、渉は売れ残ったおにぎりを購入した。

 凛と千里のお泊り女子会はいまだに続いている。凛の手作り弁当が食べられなくなってからは売店に通う日々が習慣化されていたが、定番の焼きそばパンや肉類は人気ですぐに売り切れてしまう。常連の響弥は取り置きしてもらっているが、渉はまだまだ不慣れだ。

 C組の教室に戻って五人で机を囲むと、響弥は「――で、ゴウの彼女が何だって?」と話を振った。


「ゴウが女子とデパートにいたんだよ。しかも、あのE組の世戸せと優歌ゆうかだぜ」

「世戸……ってもしかして派手な奴?」

三城さんじょうグループと仲の悪い、泣きぼくろがセクシーなクール女子だよ」


 響弥の質問に柿沼が答える。目撃者の二人は、二次元を好むネットオタクなゴウが女子と二人で歩いていた光景を疑っているようだ。各々は昼食を取りながら話を進める。


「僕も泣きぼくろあるんだけど……」

「どこに?」


 三人は身を乗り出し、ゴウは目元を指さす。色白の肌の上で、小さなほくろがぽつりと主張していた。柿沼は「ほんとだ。気づかなかった」と目を細める。


「顔の話はいいんだよ。あれがゴウかゴウじゃないかってことだろ」

「マジで違う。僕じゃない」

「じゃあ誰だってんだよ」


 どうしても認めないゴウを前に、


「ドッペルゲンガー……」


 と響弥が呟いた。


「ドッペルゲンガー?」


 三人の声が重なり、「ってなんだっけ」と清水が首をひねる。


「自分によく似た赤の他人。見たら死ぬ」

「へえー」

「さすが寺の息子。オカルティックだなぁ」


 感心したように言って柿沼は手を打った。


「探そうぜ。そのゴウによく似たドッペルゲンガーってやつ」

「いやいや、見たら僕死ぬよね?」

「留守番してろよ」

「目撃情報は?」

「最寄りのデパート」


 学生行きつけの遊び場と言えば、学校近くのショッピングモールおよびデパートだ。いつメンで行くゲームセンターもこのデパート内にある。藤北だけでなくよその学校の生徒も多く利用していて、知り合いと会う確率は確かに高い場所だ。


望月もちづきも来るだろ?」

「…………」

「わ、渉!」

「……え?」


 響弥に腕を揺さぶられて、渉の意識が帰還する。渉はおにぎりを持ったまま、今の今まで一言も発してなかった。

 目の下の隈のせいか、「顔色わるっ!」と言って清水は眉をひそめる。


「大丈夫? 聞いてた?」

「えっと……ゴウに似た幽霊が?」

「ドッペルゲンガーな」と突っ込む柿沼。


 渉は手元を見やっておにぎりを半分に割り、柿沼と清水に渡した。


「俺……寄るとこあるから、ごめん」


 そう言って席を立つ渉を四人の視線が追う。いつメンは心配そうに姿勢を向け、「ほ、放課後集合なー!」と、渉の背中に放つのだった。




 授業中、渉は何度もあくびをした。眠気と倦怠感に取り憑かれて頭は働かず、昼になっても食欲は湧かない。体育があったら渉は使いものにならなかっただろう。

 教室に凛はいなかった。ついでに芽亜凛の姿もない。彼女は今日一日、空き教室でテストを受けている。凛は千里と一緒にそちらで休み時間を過ごしているのだ。


 幼馴染と顔を合わせようとするたび、こんなにも胃を痛め、こんなにも気まずさを感じるようになるとは。渉はため息をつき、教室の鞄から遊園地の土産を取り出した。


「あ、望月ー」


 間延びして声をかけたのは委員長の萩野はぎのだ。萩野は自分の席で昼食を終えたらしく、戻ってきた渉の肩をポンと叩いた。


「なあ、今日の放課後バスケ部に……」


 来てくれるよな、と言いたかったのだろう。けれど渉の顔を見て言葉を詰まらせる。


「おい寝不足か? 顔色、悪いぞ?」

「……大丈夫。だけど、大丈夫じゃない。今日はたぶん、用事がある」


 萩野は「そっか……」と納得した様子で肩を落とした。誰もが心配するほど、今の自分は酷い顔をしているらしい。それでも心配させないように、大丈夫と答えるしかないが。


 用事というのは先ほど話していたドッペルゲンガー探しとやらだ。いつメンは渉が倒れでもしない限り連れ回すだろう。逆に言えば、落ちこんでいるときに楽しいことを見つけ、そばにいてくれるのが彼らだった。

 渉は、萩野の後ろを覗き見るように顔を出し、「新堂」と極自然に、クラスの問題児へと声をかけた。周りで飯を食っていた宇野うのたちが、一斉に渉を見る。


「新堂、バスケ部戻ってこいって。みんな困ってるし……新堂のこと待ってるよ」


 それはまさしく不意打ちであった。バスケ部の幽霊部員で、萩野が渉を助っ人に呼ぶようになったその元凶。

 新堂はぽかんと口を開けて、異物でも見るかのような目で渉を睨む。萩野も唖然としていた。

 まさか渉がストレートに、それこそ友達を遊びに誘うかのような気軽さで、新堂本人に言うとは思わなかったからだ。


「じゃあな、萩野」

「えっ、あ、おう……!」


 渉は土産を宝物のように抱えて教室を出る。その背後から「おい!」と鋭い声が飛んできて、渉は振り向きざまに胸ぐらを掴まれた。ほかでもない新堂明樹に。


「お前……喧嘩売ってんのか」

「……え?」


 新堂の顔は怒りに満ちていた。だが渉はその理由が心底わからず、眠たげな目をきょとんと見開いて、ふるふるとかぶりを振った。

 新堂はさらにきつく襟首を締め上げる。渉は「うぐぐぐぐ……苦しい」と背伸びで対抗した。


「カツサンドの恨みかよ」

「カツサンド……?」

「とぼけてんじゃねえよ」

「と、とぼけてねえよ……」


 何のことだかさっぱりわからないが、新堂は先ほどの渉の発言を、嫌がらせと捉えたらしい。

 渉は当たり前のことを当たり前に言っただけのつもりであった。そこには恐れもなければ壁もない。

 ただ、新堂ならわかってくれるだろうという、心の奥深くにあった不思議な確信に従ったまでだ。


「あの、俺急いでるから……もういい?」


 目線で行く手を訴えかける渉を、新堂は額に血管を浮かばせながら乱暴に突き放した。よろけた渉を横目に、踵を返して席に戻る。渉は小石に躓いた程度の気持ちで先を急いだ。

 教室では前の席で、三城かえでがくすくす笑っていた。


「今の何? 望月だよね? あいつ結構やるじゃん」


 明樹、顔真っ赤だし。と小声でグループ内のメンバーに言う。


「まああれで戻れば世話ないけどね……って――チオ?」


 三城は、じぃっと廊下の先を見つめていたメンバーの安浦やすうらを気にかける。彼女は、廊下を去っていく渉の背中に釘付けとなっていた。

 ハッとして安浦は「あっ……なんでもないよ。何の話だっけ?」と、もとの話題に加わる。三城グループは流行りのスイーツやお店の話に戻り、和気あいあいとクラスに居座った。


 記憶を保持する渉の異変を、安浦千織ちおりだけが感じ取っていた。

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