祝福されし日の夜

「裏口は封鎖したからあとは任せろ、お疲れさん――とのことだ」


 待機中の生活安全課へ報告し、先ほど撮った映像を送信して長海とネコメは現場を離れた。背後では、裏口から突入した捜査員がターゲットを取り囲んでいる。騒ぎにはならぬよう手早く外へ連れ出し、その場で現行犯逮捕されるだろう。


「お疲れ様です」と敬礼する待機組とすれ違って、二人は捜査車両に戻った。長海は運転席へ、ネコメは後部座席に乗りこむ。

 タキシードとドレス姿のままでは目立つため車のなかで着替えを済ませようと、ネコメは髪留めごとウィッグを脱ぎ捨てた。


「これ女装する必要ありました?」

「警戒心の塊だったんだろ。よくやったと言われた」

「うまく使われましたねぇ」


 背中に手を回してドレスコードのファスナーを下ろすと、パッド入りの肌着があらわになる。コルセットなしでもくびれの位置が誤魔化せる優れものだ。矯正しなくてもネコメが華奢であるのは言うまでもないが。

 長海はバックミラー越しにちらと視線を向けて振り返り、ネコメの身体をまじまじと見つめた。ネコメはそんな相棒の様子にわずかな違和感を覚える。


「なんですか」

「ケースの中身は何だったんだ」


 ネコメは男物の肌着とYシャツに着替えて「ああ、あれですか」と続けた。長海もネクタイと上着を替える。


「あれは爬虫類の卵だそうです。レア物で高値で取引されているとか」

「客はペットショップの店長か」

「その辺だと思いますよ」


 生活安全課は防犯やストーカー被害などの身近な内容のほかに、環境犯罪も取り締まっている。今回の不正取引も前々から慎重に捜査され、逃げられぬよう網を張ったものだった。結果、現行犯で売人の尻尾を掴んだのだ。文句なしの上出来だろう。


「これで貸し借りなしですね」


 ネコメはスーツに淡い緑色のモッズコートを羽織って、いつもの姿に戻った。あとはご丁寧に用意された化粧落としで顔を拭う。鏡のなかの自分はすっかり元通りだ。

 だが長海のほうはまだ何か言い足りないらしく、ネコメの脱いだ肌着の胸の部分を手持ち無沙汰のように指で突いた。膨らんだパッドがふにふにとへこむ。


「気持ち悪いな……って顔で遊ぶのやめてくれます?」

「女のお前はよかったな」

「よかったとは?」

「……よかった」

「マジで惚れちゃったんですか、メイコに」


 長海は半分引きつった顔でネコメを見つめる。


「そんな熱い眼差しで見られても」

「ほんとに同一人物だったんだな……」

「なんで俺じゃないと思ったんですか? 一緒に捜査してたでしょう」

「違ってたらいいなと、期待していた自分がいた。だが目の前で脱ぎ捨てられると……」

「現実は非情だったわけですかぁ」


 まるで失恋でもしたかのように長海は片手で顔を覆う。女っ気もなく、三十路前にすっかり仕事人間となってしまっている長海には、今日の出来事は刺激が強かったらしい。だからと言って相棒の女装姿にときめかれても困るが。


「じゃあたまに女装して出勤しましょうか」

「いい」

「拗ねないでくださいよ。てか冗談です」


 長海の今後を狂わせてしまったようでネコメは複雑な心境になった。

 長海が喜ぶのならいくらでも付き合うし、さすがに仕事中は無理でも休日ならなんとかなるが、ふと我に返ったときが恐ろしい。まさに、俺たちは何をしているんだ、だ。相棒が一生結婚できなかったらどうしよう。


「まあ元気出してくださいよ。俺の女装よりも解き明かさなきゃいけないネタがあるんですから」

「……そうだな」

「そうですよ」


 今は神永響弥と茉結華の一致が先決だ。目の前で化けてくれるのが一番手っ取り早いが、本人よりも外の繋がりから潰していったほうがいいだろう。


「井畑はいつ聴取する」


 井畑は弁護士を通して現在釈放中だ。茉結華についてはまだ聞き出せていない。


「やるならうちでやりたいですね。風田さんに頼みますか」

「ああ。また勝手に動いて叱られる前にな」

「今日のこれもまずいですか?」

「報告済みだ。許可は得ている」

「さすがです」


 同じ警察内部でも、ほかの課の事件ヤマを手伝うのは仲間から疎まれる行為だ。そこに貸し借りという私情が絡んでいれば当然。場合によっては手柄の奪い合いに発展しかねない。風田班長はそれを見越して止めているのだけれど、今日の捜査は許しを得ていたようだ。


「それじゃ、本部に戻って書類作成しますか」


 ネコメは助手席に移ろうと一度車から降りる。そして閃いたように、「長海さん長海さん!」と窓をノックした。


「月、綺麗ですよ!」


 人差し指をぴんと立てて上下する。こんなふうに時折子供のようにはしゃぐ相棒の気まぐれに、長海は日夜付き合わされているわけだが。

 しぶしぶ車を降りて空を見上げると、そこには真っ白な月が。雲ひとつない夜空にくっきりと浮かんでいた。


「満月か」

「満月は明日です」

「同じに見えるが」


 苦言を呈してネコメを一瞥すると、夢中で夜空を見つめる白い横顔が目に入る。シャンパンゴールドの髪は月明かりに照らされてまばゆい光を宿し、吸いこまれそうな瞳には丸い月が揺れていた。

 神々しく、輝いて見えた。

 咄嗟に伸ばした長海の手が、車体に遮られてゴツッと鈍い音を立てる。ネコメは反射的に顔を向けた。


「なんですか?」

「いや……」


 腕をさすりながら長海は口ごもる。

 言えるはずがなかった。このまま月に攫われるんじゃないかと思ったなんて。

 着信が入ったのはそのときだった。口下手な長海を切り替えさせるように内ポケットでスマホが震える。長海は着信画面を見て、「班長からだ」とネコメに伝えると、通話ボタンをタップして耳に当てた。


「はい、長海で――」

『お前ら、すぐに来い』


 電話口の風田班長は、焦りと憤りを滲ませて長海の声を遮る。何があったんですか、と問う前に早口で告げられた内容に、長海の顔から血の気が引いていった。

 ネコメは表情を引き締めて長海に視線を送る。電話を切った相棒は、悔しげに唇を震わせて、怒りに満ちた目を剥いた。


「釈放中の井畑が……死んだ」


 学生たちが遊園地で遊んだ日――長海とネコメがひと仕事を終えた夜。一人の男の命がついえた。

 一日中晴れ渡っていた空は白い星々が瞬き、梅雨とは思えないほど澄んだ空気が流れている。

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