夢ならば

 鏡の前でパーカーのフードを直し、ついでに前髪の流れを整える。財布、鍵、スマホ、遊園地のチケット。必要なものはすべて鞄に入れてある。

 忘れ物がないか念のためもう一度確認して、望月渉は家を出た。今日は十六日、日曜日。待ちに待った遊園地当日だ。

 梅雨に珍しい快晴の空は青々と澄み渡り、雲ひとつない。太陽は眩しく輝き、さんさんと地上を照らしている。まさに絶好のデート日和だ。雨嫌いの渉にはありがたい天気だった。


 渉は隣の家のインターホンを鳴らした。言わずもがな幼馴染、凛の家だ。

 ピンポーンという軽快な音が響いて、なかから足音が近づいてくる。ガチャリと玄関ドアが開いたかと思うと、出てきたのはパジャマ姿の少女――ではなく、オーバーオールとスカートが融合した服――チュールサロペット――を着た凛だった。


「えへ、おはよ」

「お、おはよう……」


 凛はサンダルの爪先を鳴らして、肩からずり落ちそうなバッグを斜めにかけ直す。そして、片手に持っていたペットボトルの炭酸ジュースを「はい、これ」と渉に差し出した。


「飲み物、渉くん持ってる?」

「持ってない」


 着いたら買おうと思っていたからだ。しかしこれはありがたい気遣い。渉はサンキューとお礼を言ってペットボトルを受け取った。


「お母さんが渉くんの分も持って行きなさいって。今日は暑いみたいだよぉ」


 そう言って凛は空に手をかざす。太陽に目を細める幼馴染はまたいちだんと可愛くて、渉は玄関を出て鍵を閉めるまでの間もずっとそわそわしていた。

 ここから徒歩十分圏内のバス停まで歩いて向かう。渉は、隣を歩く凛から一歩下がって、彼女の後ろ姿をまじまじと見つめた。


 ――おかしい。


 記憶と違う。渉が見る夢のなかでは、凛はリュックサックを背負っていた。中学で使っていたリュックサックだ。行く先は遊園地なのに、まるで修学旅行だなと夢のなかで面白おかしく感じたことまで憶えている。

 服だってそうだ。凛はオーバーオールを着ていた。小さい頃からよく着ていたせいで印象付いてしまったのだろうか、こんなフリフリなスカートは記憶になかった。


「なんで一歩下がってるの? なんでそんな怖い顔してるの?」


 振り向きざまに渉を二度見して凛は言う。渉は「別に」と言って隣に並んだ。


「あまり見ない格好だなって」

「あ、見惚れちゃったわけね」


 幼馴染のからかいに無言で返すと、凛は「ちーちゃんと芽亜凛ちゃんと一緒に買ったんだ」と笑って続けた。渉が黙ったのは図星を指されたからである。


「たまには奮発してね、女の子同士の買い物だよ。いいでしょ、このバッグ」

「……おう」

「全然見てくれないね」

「見たってば」


 上機嫌な凛に反して渉の気持ちはどんどん沈んでいくようだった。楽しみにしていた遊園地当日、天気にも恵まれているのに、このままではいけない。

 渉は「中学で使ってた鞄は?」と興味本位で訊いた。「中学?」と凛は小首を傾げる。


「中学の鞄が何?」

「使わないのかなって」

「使わないよ? いや、たまに使うかもしれないけど……でももうボロボロだし。遊園地には持ってこないよ」

「はあ、そうっすか……」

「渉くん、大丈夫?」

「大丈夫大丈夫」


 内心冷や汗をかきながら生返事で受け流す。さすがに夢に囚われすぎだろと自分でも思うが、失礼をしたにも関わらず凛が怒らなかったのが幸いだった。今日はよほど機嫌がいいらしい。

 バス停に着くなりタイミングよくやってきたバスに乗り込み、一番前の座席に腰を下ろした。休日だけあって車内は混んでいたが、二人並んで座れる席はひとつだけ空いていた。

 渉は小さく息をつく。せっかく凛と遊ぶというのに、変なことを聞いてしまったものだ。対する凛はウキウキと両肩をすぼめて、「楽しみだね」と囁いた。




 遊園地レプスディアランド前到着の放送案内が流れて、降車ボタンが押される。

 ボタンを押したがっていた凛は、先に押されたことにハッと驚き「負けた……」と渉を見て呟いた。いつまでも子供心を忘れない幼馴染に笑い返し、遅れないよう降車する。

 遠目からでもよく見える巨大な観覧車が目印だった。入り口には千里ちさとと芽亜凛がもう着いていて、渉と凛に手を振った。


「凛ちゃーん、渉くーん、おはよー!」


 同じバスを降りた乗客を含め、入り口は徐々に人が集まりつつある。オープン前に集合して正解だった。チケットを用意して、四人は入場口へと並ぶ。

 楽しみだね、何に乗る? と前列で凛と千里がはしゃいでいる。二人の頭には、いつだってお揃いの髪留めが緋色に咲いていた。渉は隣を見下ろした。


 ――同じだ。


 ノースリーブにショートパンツ、アクティブなキャップ帽子にショルダーバッグ。芽亜凛の格好は、夢に出てくる少女とそっくりだった。

 顔の見えない少女は、渉の夢のなかで何度も死んだ。あれが芽亜凛だとしたら――不吉な未来予知に、ぞわりと皮膚が粟立つ。


「誰にも言ってませんか」


 視界でキャップ帽が持ち上がる。渉は弾かれたように焦点を合わせた。


「ああ、うん。遊園地に行くことは朝霧しか知らないよ」


 視線の先にいる芽亜凛は、猫のように大きな瞳で渉を捉える。

 あの大雨の日に出会った少女が、今じゃ学校の人気者。凛と千里とも仲がよく、クラスメートとは言え、こうして休日に肩を並べるのは緊張感があった。まもなく遊園地は開園し、四人は流れに乗って歩き出す。

 夢では渉のほかに男子が一人いた。あれが朝霧だとしたら、いなかったのは千里ということになる。だが朝霧と仲良くしている自分の姿など毛頭考えられず、芽亜凛らしき少女は渉の恋を手伝うと言って微笑んでいた。様々な点で齟齬が生じるし、夢は所詮夢でしかないのか。


《ようこそ! レプスディアランドへ!》


 園内に入ると、優雅なメロディと明るいアナウンスが出迎えた。

 土産売り場の前では、見ようによっては不気味なピンクの兎が子供に風船を配っている。凛と千里は「可愛いー!」と指をさすが、渉にはホラー色の強いマスコットキャラクターに見えて仕方ない。


「えっと、どこ行こうか」


 渉は入場口で貰った地図を広げてみんなに問う。「えーっどうしよう、軽いやつがいいなあ」と千里は周囲を見回した。そして、


「あ、あれにしよ、空中ブランコ! 次はゴーカート!」

「賛成! じゃあ行こう」


 凛が先陣を切り、後ろに千里と芽亜凛が続く。

 意外だった。一発目はジェットコースターがいいと、凛なら言い出しそうなのに。千里の意見を優先したのか、単にどこでもよかったのかもしれない。


 四人は続々とアトラクションを乗って回った。

 空中ブランコは互いに距離があったが、ゴーカートは凛と一緒に乗って、ジェットコースターとバイキングは千里と芽亜凛がパスしたため、これも幼馴染二人で楽しんだ。

 昼食を取ってからも、凛と渉は二人きりでメリーゴーランドに乗った。女の子三人に男一人で馴染めるか不安だったが、凛と一緒ならどこへ行っても楽しめた。


「渉くーん……ニヤニヤしてる場合じゃないよぉ?」


 凛と芽亜凛がお化け屋敷に行っている間、怖いものが苦手な千里は外で待っていた。そしてホラーの面白みがわからない渉も同様に。

 スマホを握りしめ、メリーゴーランドで凛と撮った写真を確認している渉に、スムージーをすすった千里が喝を入れる。渉は慌てて頬を引き締めた。


「に、ニヤニヤ? してないけど」

「してたよ、めっちゃしてたよ! もう俺の凛が可愛くてたまらないって顔だったよ」

「し、してねえよ……」


 千里はストローをくわえたままじろりと睨む。

 千里の言うとおり、渉は浮かれていた。楽しいのだ。本当に。


「いい? わたしと芽亜凛ちゃんがペアにしてあげてるってこと忘れないでね」

「え、そうだったの?」

「おおっと、お気づきじゃない? どんだけ鈍感なのかなきみは」

「マジか、そうだったのか……ごめん」


 謝られても困るといった顔つきで、千里はストローで渉を指す。どうりで凛と二人きりだったり、隣になれたり、渉の都合よく展開が進むわけだ。


「このあと観覧車だからね。いい? 行くんだよ、絶対行けるから」

「行くって何を」

「そこで凛ちゃんに思いを伝えるんだよ」

「はあ!?」


 突然の提案に思わず大声が出た。千里はすかさず、しーっと指を立てる。四人で遊園地に行くことは了承したが、告白するなんて聞いていない。


「今日の凛ちゃん、雰囲気バッチリだから。アシストしてやったのうちらだからね」

「買い物に行ったって話は……」

「デートのコーディネートに決まってるでしょ」


 親指を立ててサムズアップをキメる凛の親友。そんなところまで手を貸してくれなくても……と思う反面、心強い味方であることを再認識する。

 観覧車は、デートの目玉とも言える乗り物だ。一番高いところから眺めるとレプスディアランドの全貌が一望できる。頂上で夕焼けに染まった街を眺めながらする告白は、さぞロマンチックだろう。


「でも、なんて言えば……」

「そんなの好きって言えばいいんだよ。そのままキスしちゃえよ旦那」

「…………」

「アハ、ごめん冗談」

「うーん……」


 渉は悩ましく唸る。

 誰かに告白するなんて経験は一度もなく、世のカップルは何と言って、どうやって付き合うきっかけを作るのだろうか。好きです、付き合ってください、がマニュアルか。


 だとしたら凛と付き合うことになる。幼馴染ではなく恋人としての関係を築き、例えば手を繋いで登下校したり、キスをしたりするようになるのだ。

 自分はそれを望んでいるのだろうか……。改まって考えたこともなく、想像するだけで顔が熱くなり、ばくばくと鼓動が速まる。


「大丈夫だって。百パーセント成功するから!」


 恋の使者はそう言ってスムージーを飲み干すと、空になった容器をゴミ箱に放り投げた。丸い弧を描いたシュートは渉の成功を確定するかのように、ぽすん、と柔らかな音を立てて収まった。




「ごめんね」


 膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、凛は申し訳なさそうに頭を垂れる。夕日のオレンジ色が、幼馴染二人を切り裂くように差しこんだ。


「渉くんとは、付き合えない」


 観覧車の狭いゴンドラ内がぐわんと歪んで広がる。

 いつもより大人びて見える凛は、ずっとずっと遠い存在かのようだった。

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