亡霊

「――マユカ?」


 くるりとターンをして長海は低く聞き返す。ネコメは相変わらず女装したまま、頷く代わりに片頬を吊り上げた。


「字も聞きました。マツリカの茉、結ぶ、華やかの華で茉結華です」


 ドレスコードの裾がひらりと舞う。ダンスホールは舞踏会のように、いつしか男女ペアで踊る客が増えていた。

 ヒールを履いていると長海とほとんど変わらぬ身長になるが、踊っていれば誤魔化せる。周囲はどこかのモデルだと思っているのか、男性客は熱に浮かされた視線をネコメに注いでいた。ネコメ自身もその視線に気づいている。

 だが、そばに長海がいる安心感のほうが遥かに上回っていた。ネコメは微笑み、手を離すことなくステップを踏む。長海もリードしながらそれに続いた。


「井畑のフォルダにあった白髪の少年は自らをそう名乗っているようです」

「通りの名のようなものか」

「そのようですね。神永の息子本人ではありますが、髪色を変えているときは別名でいるようです」

「普通の名前だな」と、長海は思案顔で言う。ネコメも内心で同意する。


 偽名で性別を詐称するのはよくあるため、女性ネームという点はひとまず置いておく。普通はイニシャルやニックネームなど、もとの名をもじるのがオーソドックスだ。

 だが茉結華の場合、偽名にしてはひねりすぎていて、『神永響弥』から生まれたとは思えない。まるで、他人が与えたような奇妙な違和感があるのだ。それこそ芽亜凛の言うように別人格が名乗っているような。

 しかし長海に話せば鼻で笑われる――笑ってくれるかさえ怪しい――ため、人格の件は伏せておく。呆れて相棒解消と言われてしまうのは避けたい。


 長海は腰を支える手に力を入れて、身体をぐっと引き寄せた。密着度が増してネコメは思わず身を固くする。


「お前の異動理由が、新聞記者殺しの捜査だったな」


 生温かい吐息が耳たぶを掠める。ネコメはおかしそうにくすりと笑った。相棒の思考が手に取るようにわかったからだ。


「似てると思いました?」

「昔殺された新聞記者が例の学校に関わっていたんだろう。そして雑誌記者、井畑も同じく関与している。偶然か……」


 あるいは、茉結華は昔の呪い人を模倣して、井畑をメンバーに引き入れたか、だ。

 当時の呪い人は新聞を通して大々的に報じられたが、芽亜凛曰く今回は雑誌。記事を書かせるために井畑を利用したと考えるのが妥当だ。


(先生……)


 ――私はまだ、あなたの亡霊と闘っているんですね。

 ネコメは踊るふりをして背後をちらりと確認する。フロアから少し離れた壁際では、売人と顧客らしき男が相対していた。アタッシュケースの中身を確認させろと詰め寄っているように見える。


「長海さん、カメラの準備は」

「ずっと撮っている」


 長海の胸ポケットにはスマホのカメラがレンズ部分を覗かせていた。


「生安に渡すとき気をつけてくださいね。私たちの会話も入ってるんですから」

「安心しろ、最初から無音だ」

「準備がいいですねぇ。むっつりっぽい」

「生安からのアドバイスだ」


 長海は不機嫌そうに顔を歪めて、ネコメの身体を再びずらした。カメラが売人と顧客を向く。あとはアタッシュケースの中身を撮るか、受け渡しの瞬間を収めるだけでいい。


「乱暴ですね」

「お前相手ならいいだろう」

「踊れるのも意外です、驚きました」

「学校で習わなかったか?」

「俺は刑事になってから少しだけ」

「……ここを任された理由ってそれか?」

「かもしれませんね」


 互いに特技ではないが、生活安全課はメリットとして配備したようだ。二人ともこうして軽口を叩きながら踊るくらいはできるらしい。

 やがて、売人の持つアタッシュケースの中身を長海のカメラが捉えた。金でも薬でもなく、プラスチックのケースがさらに敷きつめられている。何らかの営業の商品だろう。

 撮影を終えるのと同じくして、これ以上踊る必要もなくなる。長海が足を止めたところでネコメも動きを止めた。

 終わりという寂しさを感じる間もなく、外で待つ生活安全課に無線を入れる。音楽はまだ続いていた。


    * * *


 どこかの教室から電子ピアノの音が漏れている。

 四日前、芽亜凛は委員会終わりに生徒会室を目指していた。しばらく話せなかった朝霧あさぎりしゅうに会うためだ。

 朝霧は昼休みも教室、保健室、職員室、そして生徒会室と、行き来する場所が多い。加えて人目を気にして彼と話すことを考えると、部活動に所属している今の芽亜凛にはタイミングが難しかった。

 マネージャーとは言え、やはり部活に入るとある程度の時間は奪われる。楽しくも忙しくもあるけれど、特定の人物と関わりたい際は不便だった。相手が帰宅部ならなおさらである。


 そこでやってきたのが委員会という絶好の機会。生徒はみなばらばらに散らばるし、終了後は多少の自由時間が約束される。先ほど聞こえた電子ピアノの音も、委員会終わりの生徒が遊んでいるものだろう。

 朝霧はどうしてわたるを誘わなかったのか。なぜチケットを二枚とも渡したのか。りんに近づく気はちゃんと失せてくれたのか。答えてくれるかは別として、問うべき内容がたくさんあった。


 また渉に朝霧と仲良くするよう頼むこともできたが、彼が渉を突き放したのは想定外。フラれた渉も落ち込んでいるようだし、そんな彼に頑張ってくれと言うのも酷である。

 早い話が、朝霧の気持ちを聞いて渉と仲良くするよう背中を押すしかない。もしくは渉はどうでもいいとして、とにかく凛に近づくなと釘を刺す。どちらにせよ、凛と朝霧が接触するのを止めなければならない。


 と思っていたのだが――


 階段を上がった先の踊り場に、神永響弥が待ち伏せしていた。

 響弥はムッと唇を尖らせて壁にもたれかかっていたが、芽亜凛と目が合うやパァッと顔色を変えて姿勢を正す。「っあ、芽亜凛ちゃん」と掠れた声で言って、緊張気味に咳払いをした。


「き、聞きたいことがあって」


 最悪、と芽亜凛は心のなかで毒づいた。先に施設棟に渡ってから上に行くべきだったか。

 芽亜凛のいる風紀委員会は一年B組で、響弥のいる保健委員会は三年B組の教室で開かれる。わざわざ二階の踊り場まで下りているのだから、待ち伏せていたのは明白だ。

 転校生は風紀委員に入ったんだってと、噂されるのは慣れっこだし、先回りされるのも構わないが、今日ばかりはタイミングが悪い。

 またの機会にしてください。そう言いたかったけれど、あとをつけられるのもその警戒をするのも面倒だ。芽亜凛は「はい」と短く返した。


「えっと、告白の、返事っつーか……保留のあれを聞きたいっす」


 次に響弥が来るとしたらその件だろうと予想していた。芽亜凛は、通行人の邪魔にならぬよう壁際に身を寄せて、小さくため息を漏らす。


「もう一度してください」

「え――」

「あなたの気持ちが本当なら。もう一度、真剣に告白してきてください」


 芽亜凛はまっすぐ見据えて告げた。響弥が告白してくることは確定された未来。だがしかし、それは一度目の遊びに過ぎず、この先の二度目は保証されない。

 本当に芽亜凛のことを思っているのなら……彼の本気度はそのとき明かされるだろう。

 響弥は息を呑むようにして立ち尽くしていた。呆然としているような、困惑しているような。しかしそれも一瞬のこと、彼は何かを察したようにぶんぶんと首を横に振り否定する。


「お、俺、遊びじゃないよ、本気だよ。この間の告白から本気で……!」


 何を焦っているのやら。響弥は早口に捲し立てて、やおらに口を閉じた。もういいや、と諦めたのか。それともダサいことをしている自覚が芽生えたのか。

 苦々しげにうつむいた響弥に一歩近づいて、芽亜凛は「待ってます」と正面から告げた。


「あなたが飽きても、投げ出しても。私はあなたのことを待ってますから」


 そうして響弥に悩む余地を与えて、芽亜凛は踊り場をあとにした。茉結華なら『強かな女だ』と芽亜凛のことを見抜くだろうか。悪い女だと自分でも思う。

 だけど響弥に与えた課題は、回り回って芽亜凛のもとへと返ってくる。彼にもう一度告白されたとき、自分はどう返すのだろう。

 考えてみてもわからない。今は目の前の、守りたいものに必死だから。


 芽亜凛は響弥に見られるのを警戒し、生徒会室へ行くのもA組に顔を出すのもやめにした。

 遊園地に行くのは次の日曜日である。少なくともそこに朝霧は来ないし、凛に告白する心配はなし……と考えていいだろう。それよりもだ――

 教室のドアをくぐると、凛が笑顔で迎えた。窓際最後尾の席にはすでに渉が座っている。芽亜凛は手招きして、凛を廊下へと連れ出した。


 遊園地へ行く前に、凛にも話しておかないと。

 渉のいないところで、密やかに。

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