少年の名

 芽亜凛めありと話をしたのは、一週間前の土曜日だった。グラウンドでは野球部と陸上部が、テニスコートでは当然ながらテニス部が、練習に励んでいた。

 すべての部活動を経験したネコメにとって、彼らの練習風景はどれも懐かしく映る。最終的には帰宅部に落ち着いてしまった学生時代だったけれど、あの頃の経験は無駄なく今のネコメに活かされている。

 許されるなら、もっと長い間ひとつの部活に打ち込みたかった。もっと色濃く向き合い、学生らしい生活を送ってみたかった。彼らのように。


 だが命がけの青春を過ごしたからこそ、今の自分がいる。

 死屍累々となった自らの屍の上に立っているのが、刑事であるネコメだ。絶望に無駄なんてないのだ。


「あ、あのせんせーだー」

金古かねこせんせー!」


 フェンス越しのテニスコートから女子部員が手を振る。一人気づけば四人気づき、四人気づけばコート内の全員が視線を向ける。なかには二年E組の生徒もいた。手を振り返せば嬉しそうに飛び跳ねて、あちこちから黄色い声が上がった。

 ……モテ期だ。

 教育実習生を名乗る自分は、移り気な女子高生の流行りものに過ぎず、彼女らが本気でないことは百も承知。

 だが、どうしても昔と重ねてしまう。ネコメが生きてきた二十六年間で、今が最大のモテ期だ。学生の頃は味わえなかった甘酸っぱい感覚に、内心苦笑いを浮かべる。

 本職では目立たないほうがありがたいのだけれど、しかし彼女らのおかげで芽亜凛に知らせられた。芽亜凛は部員たちのスポーツボトルをベンチに運び、人目を気にしつつフェンスの外に出る。


「こんにちは、部活中すみません」

「いえ、お疲れ様です。どうかされましたか?」


 話が早くて助かるが、健全な女子高生の会話とは言えず、ネコメは口頭早々に申し訳なさを覚えた。

 芽亜凛とのやり取りは学校で話せる内容でないため、主に電話で短く済ませている。今日は休日部活と聞いて直接会いに来たが、楽しい雑談もなく話題はすぐに捜査内容へ。自分という刑事の存在が、この子のプレッシャーになってなければいいが。


「雑誌記者のパソコンから写真が見つかりました」

「写真……笠部かさべ先生のですね」


 ネコメはこくりと頷く。


「ほかにも多くの発信者と通じていました。なかには自分で撮影したものも含まれています。そのなかに――」


 白い髪の彼がいた。

 ネコメがそう言うと、芽亜凛は目を見開いて明らかな動揺を示す。


「少年に、心当たりがありますね?」

「……はい」


 写真の少年は神永響弥きょうやにそっくりだった。だが、井畑を追及しても黙秘続きで埒が明かない。そしてその正体に確信が持てなかったため、こうして芽亜凛を訪ねたのだ。ネコメの考えは、十分彼女に伝わっているだろう。


「ネコメさんの思っているとおりです。彼は……神永響弥です」

「あの白髪は変装ということですか」

「いいえ、違います」


 芽亜凛は弱々しくかぶりを振った。口にするのが難解そうな、苦悶の表情だった。


「あれが……あの人の本当の姿なんです。でもあの人であって、あの人じゃない。白いときの彼は、その……人格が異なるんです」


 この世で信じられない出来事などないと思っていた。けれどにわかには信じがたい、疑問だらけの答えにネコメは意表を突かれて「……ジン、カク」と返す声は機械と化した。


「信じられないのはわかります。私もずっと、黙ってきました」


 芽亜凛の瞳が揺れる。長海がいたら馬鹿馬鹿しいと一蹴しそうな突飛さであるが、しかし目の前にいる少女は嘘をつくような子ではない。彼女は真摯に、真実を話してくれている。思い込みの可能性もなさそうだ。

 言い淀むように唇が小さく震えたあと、芽亜凛は意を決した様子で顔を上げた。


「呪い人がはじまったあと、それを記事に起こすのがオカルト雑誌ムイチなんです。内容は、ニュースでもやっていないことがほとんどでした……。あんなに事細かに書けるのは、犯人と通じているほかありません」


 彼だと思います、と芽亜凛は言い継いだ。


「事件を起こした彼自身が、雑誌記者に書かせた。名前は、茉結華まゆかと言います」


 ――茉結華。

 聞き覚えのない名だ。神永家との関連性も浮かんでこない。本人が個人で名乗っているなら……人格の線が強まってしまうが、しかし。


「ノックスの第十戒ですね。そうには見えませんが」


 ネコメは独り言のように呟いた。あってはならない隠された情報という意味である。

 この数日、神永響弥を遠目で観察してきた体感では、彼の『それ』は多重人格などではない。もっと黒々とした隠しものだ。

 無垢のように見えて、彼は確固たる意思で仮面をはめている。

 何にせよ、彼らが同一人物である証拠は必要だ。例えば彼の地毛を明かすような物的証拠が見つかれば、井畑との関係も割り出せる。別人格かどうかの真偽は、彼と直接会って確かめるしかない。


「まずは同一人物と決めつけて捜査します。人格を捕まえることはできませんが、見つけることは可能ですからね」


 刑事らしくひとつずつ潰していきますよ、とネコメは口角を上げる。芽亜凛は安堵したのか、緊張が解けたふうに肩を下ろした。


「私も見つけ出すことができました。ネコメさんの言っていた言霊の人物です」


 ネコメはきょとんと目を丸くする。芽亜凛に話した覚えは、あるようでないような……曖昧な記憶がもどかしい。だが今のネコメが覚えてないのだとすれば。


「以前、ネコメさんが言っていたんです。私の言葉や動きは、繰り返すうちに誰かの記憶に残るはずだって、奇跡は必ず起きるって……。その相手が見つかったんです」

「それはよかった」


 いかにも自分が言いそうな話だった。過去のネコメが今となって芽亜凛に力を貸している。月並みな言葉だが、よかった、と心から思う。

 だが芽亜凛は、喜びよりも悩みのほうが先走っているように見えた。味方が増えたことで抱える心配事も広まったというように。深刻そうな表情で彼女は続ける。


「でも……明かしていいのか、動けずにいます。もし殺害の瞬間を憶えていたら、それが過去の真実だったとわかってしまう。その相手が――自分の親友だということも。知ったらきっと、止めると思うんです。危険ですよね……?」


 その記憶の保持者はよほど正義感が強く、またすべてを憶えているわけではない、と。

 おまけに神永響弥の親友ときた。それだけで芽亜凛の心の複雑さが察せられる。先日お邪魔した響弥グループの昼食時にも、その親友はメンバーにいたのだろう。

 物悲しいことだ、とネコメは首を振る。


「判断は難しいと思います。まずは安全性の確保を優先させましょう」

「協力者の逮捕ですか」

「私の優秀な相棒が張り込んでます」


 以前のネコメが逮捕したヒエナエトワという女は、神永家を出入りしていたとのこと。殺人容疑で捕まえたようだが、理由は芽亜凛には明かしておらず、情報が不足していた。

 捜査情報を明かさなかった過去の自分を悔いても仕方ないが、やはり巡る者にはある程度伝えておくほうがいいなと、今になって学びを得たネコメである。そのほうが芽亜凛も助かるだろう。

 結局はもう一度、足で探すしかないのだけれど――


 茉結華という名前についても、長海に共有しておこう。うまく行けば、いまだに黙秘を続けている井畑に揺さぶりをかけられる。

 神永でも響弥でもなく、茉結華の名で問うことで、井畑も反応するかもしれない。私物の押収が済み、一旦は釈放されるが、再び聴取できるよう取り付けるとしよう。

 あの白髪の少年に、少しでも近づくために。

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