白い悪魔

 ――あのド変態の間抜けカメラマン。

 井畑芳則……まんまと引っ張られてやんの。休職した笠部淳一と繋がってたって聞いたけど、笠部が出頭した理由は不明。あの馬鹿、私にだけでなく現役教師にまでねだっていたのか。

 ――もしあいつの手元に、私の写真が残っていたら……。

 茉結華は鳴らしたい舌打ちをこらえ、標的へと狙いを定める。


 校舎裏に、男が三人。一人は例の教育実習生、もう二人は三年生だ。

 スーツ姿な点を除けば、その体格は高校生と同じ。顔立ちは女のようにしか見えず、まるで男装の麗人だ。……正真正銘の男であるが。

 教育実習生は、ひらりと手を差し出し、「渡してください」と言った。


「タバコ、吸ってますよね。二十歳未満の喫煙は法律で禁止されています。常識です」


 何がはじまるのかと思いきや、善意に基づく説得のようだ。茉結華はネコメの観察ついでに、ことの推移を見守る。

 三年男子たちは聞く耳を持たず、


「はあ? 証拠もねえのに」

「第一あんた教師でもないくせに、偉っそうに」

「俺らが吸ってるって言うなら、証拠見せろよ」


 対峙する二人の外見は模範生に見えた。特徴のない短髪、黒髪、正しく着用された制服。目立ったアクセサリーも着けていない。しかし、手を出すのはまずいと本能でわかるのか、教育実習生との距離は保たれている。

 彼らを見かけたのは売店に行く途中だった。視界に入ったのでつけてみたはいいが、なんだつまらない熱血教師の真似事かと、茉結華は落胆する。

 てっきり二人組にカツアゲされる未来を嬉々として予想していたが、呼び出したのは教育実習生のほうだった。男子二人はお約束のようにぎゃーぎゃー騒いでいるし、場所が校舎裏なのはひとけを避けてのことだろう。


「ポケットの中身を出してください」

「何もねえよ」


 男子生徒はへらりと笑って抵抗する。ネコメは一歩踏みこんだ。


「なんだよ、触んじゃねえよ! ――いてててててて!」


 振られた腕を取って素早く後ろに回せば、男子生徒の悲鳴が上がる。ネコメは相手のポケットを探り、目当てのものを引き当てた。


「ほら、あった」

「っ、てめえ! ――ぐえっ!」


 殴りかかったもう一人も押さえこまれる。そしてやはり、ポケットにはタバコとライターが入っていた。

 手慣れているな。茉結華はじっと目を凝らし、この警察ごっこを脳裏に焼きつける。

 ネコメのやり方は決して暴力的ではない。だが相手の意表を突き、確実に行動不能に追いこむ手際は鮮やかだ。

「これは没収です」と言いながらネコメは立ち上がる。


「もう吸っちゃ駄目ですよ。バレたらあなたたちではなく、親御さんが処罰されるんです」


 今しがた殴りかかられたというのに冷静さを崩さない。それどころか、微笑みすら浮かべている。大人の余裕だ。

 男子たちは関節が痛むらしく、地面に転がったまま喚いた。


「きょ、教師が暴力振っていいのかよ!」

「ただじゃ済まねえからな!」


 ネコメは小さな子供をあやすように、はいはい、と頷いた。


「教師でもない、でしょ? 担任の先生には秘密にしておいてあげます」

「待てよ、なんで吸ってるってわかったんだよ。学校じゃ隠してたのに……」


 ふふん、とネコメは自慢げに笑って鼻をつつき、校舎裏を去っていった。


(教育実習生ねえ……)


 この学校も何を考えているんだか。茉結華はため息を噛み殺す。

 教育実習生になりたいですと言われて、はい、いいですよ、とすんなり受け入れられるほどの恩が彼にあるのか。それとも、そんなに悲劇を避けたいか。

 茉結華は教室に戻ろうとした手前、扉を一歩くぐって足を止めた。こちらに身体を向けている清水しみずと目が合う。


「お、響弥きょうやおせえよー」


 手を振る彼の隣にはゴウがおり、向かいの席には柿沼かきぬまがいる。そしてさらに。

 柿沼の隣には――奴がいた。そこは渉が座っていた席である。


「お邪魔してます、響弥くん」


 ゆっくりと歩み寄った響弥に、教育実習生の金古かねこせんせーがにこやかに笑いかける。


「金古せんせー超おもしれーんだよ。いろんなこと知ってるし」

「僕の話にも付いてきてくれるし」

「てか響弥どこ行ってたん? 売店混んでた?」


 柿沼、ゴウ、清水はわいわいと順に口を開く。予期せぬお客に、いつメンの三人は喜んでいるようだ。クラスメートおよび彼目当てのギャラリーは、遠巻きに指を咥えて見ている。

 響弥は「ああ、うん」と生返事をして五つ目の席に着いた。なんでいるんだよ。なんで溶けこんでるんだよ。瞬間移動でもしたのかよ――次々に頭のなかに湧く言葉を落ち着かせて。


「渉は?」

「まだ」

「戻ってこないねー」

「いいじゃんかよ金古せんせーが来てくれたんだし。なあせんせー?」


 ネコメは餡パンをちぎって食べている。先ほどまで男子二人を組み敷いていたとは思えない爽やかな笑みだ。――男ならかぶりつけっての。


「みなさん仲良しですねー。羨ましいです」


 牛乳パックにストローをさし、うふふ、と笑う顔が腹立たしい。

 響弥は渉を探しに行こうかと考えたが、しかし戻ってきてすぐに席を立つのはあからさまだと思い直した。仕方なく、焼きそばパンの袋を開けてかじりつく。


「せんせー、餡パンと牛乳って刑事みたいっすね!」

「ゲホッ!」


 柿沼の言葉に響弥は思わずむせた。


「おい大丈夫かよ」

「だ、じょぶ」


 詰まった焼きそばパンをコーヒー牛乳で飲み込む。

 ネコメは長い手を伸ばして響弥の背中を擦った。不意な接触だった。響弥は身をよじってその手を振り払う。


「大丈夫っす、マジ、大丈夫っすから」


 咳きこみながら、動揺を悟られないよう必死に取り繕う。触れられた場所が粟立っていた。背筋がぞわぞわして気持ち悪い。


「せんせーごめんね、響弥はせんせーのこと敵視してるからよー」

「敵視ですか」


 そうそう、と清水が続ける。


「せんせーってか、せんせーみたいなイケメン?」

「イケメンは敵って、ほら神永かみながの顔にも書いてある」

「書いてねえ、書いてねえよ」


 ちらりと盗み見たネコメの表情からは、何を考えているのか読み取れない。残りの餡パンをもぐもぐと咀嚼し、ピンクの舌で唇を舐める。


 この数日、彼のあとをつけるのは大変だった。休み時間は生徒の輪の中心でキャーキャー言われている。そのくせ、ふと目を離せばいなくなる。廊下でも教室でも職員室でもそうだ。

 存在感があるのかないのかわからない、浮いた存在。今日だって偶然見かけなければ校舎裏まで辿り着けなかっただろう。

 いない時間帯は、ああやって生徒に構っているのか。

 彼が来た初日以来、芽亜凛と一緒にいるところは見ていない。が、響弥の知らない場所では会っているのかもしれない。どこまでもムカつく野郎だ。


「イケメンですか……」


 ネコメは虚空を見つめながら牛乳を一口吸い、


「私は、響弥くんのほうが可愛いと思いますよ」


 と、どこか頬を桜色に染めて微笑んだ。

 響弥は「ハハ……」と空笑いして身を縮める。やーん、せんせーのエッチーと身体をくねらせたほうがよかっただろうか。本音というか、嫌悪のほうが先走ってしまった。

 この際、訊いてしまおうか。

 ――橘芽亜凛との関係を。

 響弥は軽く咳払いをし、話の流れを変える。


「せんせーってさ、いつもE組にいるんすよね? E組でタイプの子とかいないんすか」


 柿沼が、ヒュウ、と感心したように口笛を吹いた。ゴウと清水はぽかんと口を開ける。


「おいおい、タイプの子って……」

「せんせーだって男だろ。ほかの女子たちだって気になってるし。どうなんすか、せんせー!」


 わざと目立つように声を荒らげて響弥は言い切った。ただでさえ集まっている注目がさらに増す。彼も背中越しに視線を感じているだろう。

 大人気教育実習生の金古せんせーは、うーん、と顎に手をやり、一応考える素振りを見せる。響弥の思惑どおり、周りの視線は彼に集まっている。

 ――さあどう答える、金古せんせー。

 ネコメは机上で指を組み、にっこりと笑って響弥に身を乗り出してみせた。


「何かの心理テストですか?」

「……へ?」


 予想外の返しに響弥といつメンの反応が揃う。

 白金の教育実習生はマタタビを与えられた猫のように目を細めて、くすくす笑った。


「俺大好きなんですよ、こういうの。えーっ、なんて答えましょう、タイプかぁ……。強いて言えば美人が好みなんですがね。顔や髪、スタイルだけでなく、雰囲気が美人なかたっているでしょう? うーん、そう考えると年上が好きなんですかねぇ。清水くんはどうですか?」

「う、ええ、俺? 俺はぁ……趣味が合う子?」

「柿沼くんは?」

「え、俺は……可愛けりゃなんでもいいなぁ」

林原はやしばらくんは?」

「僕は二次元が嫁です」


 話が振られるごとに周りの興味が冷めていく。ネコメはいくつもの逃げ口を用意していた。連日の質問攻めで慣れたのかもしれない。


「美人、可愛い、趣味が合う、二次元。響弥くんはどんな子がタイプですか?」


 響弥は唇の端が痙攣するのを抑えた。自分だけ名前呼びなのも気になる。もうすでに壁を何枚もくぐり抜けられた気分だ。


「俺のタイプは……一緒にいて楽しい子っすね」

「わあ、みなさんのことですね!」


 ネコメはぱちぱちと手を叩き、上品に微笑む。響弥は肩透かしを食った気分で、椅子の背もたれに体重を預けた。うまくかわされたなと鼻白む。

 ――一緒にいて楽しい子って誰? 凛ちゃん? 芽亜凛ちゃん?

 胸中で白い悪魔がほくそ笑んでいる。皮肉な笑みだった。どっちかなんて、そんなの、わかるはずもない。


 結局渉は戻ってこないまま、楽しい楽しい昼休みは終わりを迎える。響弥はC組を出ていくネコメの背中を見送った。

 ――

 いつまで茶番を続けるつもりなのだろう。お互い、尻尾を出すまで探り合いか。

 まあいい。


 ――私が気づいてるってことには、気づいていないだろう。

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