優等生の一日
薄く焦げついたパンケーキと、カリカリの目玉焼きにベーコンを添えて。色を補うのはコンビニで買えるミックスサラダ。飲み物は一杯の牛乳。
さあ召し上がれと振る舞われたのは、いかにも家庭的な朝食だった。ほとんどの場合が、急ぎで背伸びした産物である。これがコーヒーなら文句なしだったと惜しみながら、
クラスメートの母親は「遠慮せず食べてね」と言ったあと、まだ起きてこない息子の部屋へと向かう。
「あんたいつまで寝てるの。朝霧くんもう起きてるわよ!」
扉越しの怒鳴り声は聞こえなかったふりをして、朝霧は箸を動かす。バターの風味がきいたパンケーキは砂糖多めでイガイガと甘く、目玉焼きは中心までしっかり火の通った固焼き。ベーコンは塩気が強く、無味のサラダとよく合った。
「あ、朝霧くんおはよ。早いね」
「おはよう。お寝坊さんだね」
「へへへ、起こしてくれればいいのにー」
リビングに現れた寝起きのクラスメートはあくびをし、「うわ、今日の飯豪華」と口を滑らせて母親に頭を叩かれる。朝霧は味付けの濃い朝食を牛乳で流し込み、食器を持って席を立った。
「あ、いいのよ、置いといてくれれば」
「いえ、自分で洗いますよ」
「朝霧くん朝霧くん、一緒に登校しようよ」
「あんたは早く食べなさい」
母親が息子に言いつける声を聞き流しながら、朝霧は食器をゆっくりと洗う。
夜な夜なくだらない話に付き合わされるのはいい。耳障りないびきも、歯軋りがうるさいのもまだ我慢できる。
だが時間にルーズなのはこちらのリサーチ不足だ。料理も口に合わないし、寝坊しておいて一緒に登校しようなどという厚かましさには辟易する。
『バイト』がない日はこうしてクラスメートの家に泊まる場合もある朝霧だが、今回は外れを引いたようだ。もっとも、言い出すのは朝霧ではなくクラスメートからであって、都合がよければ寄ってやる程度であるが。
彼の家には二度と泊まらない。どうせ一緒に登校しても自慢に利用されるだけ。
朝霧が泊まった時点で、クラスメートにとっては追加されたステータスだ。これ以上のサービスはなし。彼が着替えている間に、先に出るとしよう。
学校に着くと、執行部の先輩が朝霧を呼び止めた。
「おはよう。朝から全校集会だから、二年生のことよろしくね」
先輩はそれだけ言って廊下を駆けていく。今週で二度目の集会。それも、学年ではなく全校集会にランクアップだ。
昨日の放課後部活がなくなったことと関係しているのだろうか――
と、ノーヒントで結びつけられたのは朝霧くらいだろう。しかし、警察が介入しているとは気づかない。
面倒くさいなと思いながら教室に入り、適当に挨拶を交わして集会の連絡を回していく。A組からB組へ、B組からC組へ。整列は体育館で行うため、登校した生徒から順にばらばらと移動していく。
集会の内容は大したことない、休職の知らせだった。休むのは生物学教師の
たかが休職、しかも笠部の知らせで全校集会なんて開くなよと、生徒のほとんどが態度で表していた。さらにステージに立つ校長の話が長くなりそうな予感を感じ取り、生徒たちはうんざりした顔を浮かべる。
また笠部淳一か、と朝霧は一昨日の昼休みを思い返す。
――あの日、E組の転校生が笠部の話を聞きに来たのは偶然か。それとも直接、または間接的に彼女が関わっているのか。
だとしたら笠部の休職は、彼女にとっての好都合である。そして、あの言葉の意味も――
『遊園地。
手っ取り早く彼の人間性を引きずり出せる、いい手法だと思ったのだが。
(気に入らないなあ……)
授業中も、朝霧は頬杖をつき考えていた。窓の外ではE組の男子がサッカーの授業に興じている。渉は体格のよさを活かしてゴールキーパーに任命された。全身でボールを止める姿がたくましい。
「えー、では朝霧くん、やってくれますか?」
二年A組は英語の授業中である。指定の単語を使って英文を作るよう指名され、朝霧は起立する。教科書をめくるのも億劫だったので、黒板を見たまま即興で答えた。
「They say, "Even a lie is a lie," but that doesn't work in front of him, who is a man of sharp eyes.」
「はい、素晴らしい英文です。今のを訳せる人は――」
朝霧は着席する。
――そう、まさに
朝霧が凛ではなく渉を誘うことで、橘芽亜凛に何らかの利益が生じる。でなければわざわざあんな忠告はしないだろう。
人脈の薄い望月渉は朝霧のことなど知らぬはずだ。関わりのない、それも他クラスの生徒に誘われたところで彼がオーケーを出すだろうか。
便利屋望月などと言われているが、ああ見えて彼は警戒心の塊。どうして自分なのだろうと疑い、拒絶するだろう。面倒事を断るくらいの脳はある。
……と、思っていたのだけれど。
「――えっと、朝霧……くん?」
昼休みになって、望月渉がA組にやってきた。
クラスメートに席を聞いたのか、渉は朝霧の机の前に立つと、辺りを囲う生徒らを鬱陶しそうにじろりと眺める。いつもの眠たげな表情とは違う、どこか緊張した面持ちだった。
渉は、朝霧をまっすぐ見つめて言う。
「お前が呼んでるって聞いてきたんだけど……」
「呼んだ覚えないけど」
そう嘲笑えば被った猫とともに優等生の仮面が剥がれるので、もちろん言わない。
代わりに朝霧は首を傾け、困ったように苦笑いをした。辺りで雑談していた――一方的に話しかけてくる――生徒たちにも目配せして散ってもらう。
「えっと……誰に聞いたの?」
「ん」
渉はポケットから白い紙切れを取り出す。ふたつ折りされたノートの切れ端のようだった。
その中心に書かれているのは、『A組の朝霧くんが呼んでる』というメモ。橘芽亜凛の仕業だ、と朝霧は瞬時に悟った。
「いたずらだね」
「えっ、そうなの?」
「うん。見事騙された」
ええ……、と渉は渋い顔でメモを引っこめる。騙されたことへの恥じらいか、用がないと知ったことへの落ちこみか、ばつが悪そうに「そうなんだ……」と呟いた。
このまま帰っていく様子を眺めるもよかったが、それでは印象が薄い。朝霧は、机のなかから遊園地のチケットを取り出した。
「これ、きみにあげるよ」
「えっ……」
渉はチケットを一枚手に取り、「遊園地……」とぼやいて朝霧を窺う。朝霧はもう一枚も差し出したまま、口元だけで笑った。
「二枚ともあげる。好きな子と行っておいで」
「いやいやいや、なんで?」
「だって、せっかく来てくれたから。そのお詫び」
「お詫びって……」
二枚のチケットを前にして渉は戸惑っている。しかし朝霧が引かないとわかると、諦めたのか肩を落とした。
「ほんとにいいの?」
「いいよ。友達と行っておいで」
「誰かと行きたかったんじゃねえの? その……す、好きな人とか」
朝霧はからりと笑いながら傷ついた表情を作り、渉の耳元で声を落とす。
「きみは僕がフラれた可能性を考慮した?」
渉は、えっ、と唇を動かし、「…………イケメンなのに?」と顔をしかめる。笑わせようとしてくれているのか、まったくの嘘だというのに。
朝霧は座り直すことで話の終わりを告げた。腕時計を確認し、机の中身を整頓する。大抵はこれで居心地の悪さを感じて去ってくれるのだが――
「い、一緒に行く?」
視界に伸びてきたのは、渡したはずの遊園地のチケット、その一枚だった。
渉は照れくさそうに瞬きを繰り返し、朝霧を見つめる。
「誰と?」
「俺と」
まさかの逆転の誘いに、朝霧は珍しく言葉を失った。
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