第四話

餌付け

 制服姿の子供で溢れかえるバス停、駅のホーム、交差点――すべてを待ち遠しく思いながら、井畑いばた芳則よしのりは街をぶらつく。

 彼と出会ったのは、四月上旬。その日は日曜日で、子供にとっては春休み最終日だった。


 井畑の仕事は、オカルト雑誌の記者として専門家を取材し、執筆すること。写真も自分で撮り、仕上げまで単独で動くことが多い。

 最近では、若者を中心に人気を博す女性占い師を記事にして成功し、連載枠を獲得。デジタルネイティブの時代でも雑誌売上に貢献している。

 はじめてその占い師を取材したとき、空き時間を利用して今後の運勢を占ってもらった。よく当たると評判の彼女のタロット占いによると、井畑は近々運命的な出会いを果たすとのこと。

 良くも悪くも人生を変える出会いが、この先自分を待っている――


 仕事柄、宇宙人の専門家やインチキ占い師、本物っぽい霊能力者にも会ってきた。占いは半信半疑で、当たればいいな程度の気持ちである。

 とは言え井畑も気づけば三十四歳。恋人はおらず、そろそろ結婚を目標に腰を上げるべきかと自覚している。今は仕事に夢中でも、自分にとってそういう人物が現れるのならば、今後の人生を考えるのもいいだろう。


 今日もひとつ取材を済ませてきた。自慢の一眼レフで写真を確認し、井畑は口角を吊り上げる。

 写っているのは、占い師のもとに来た女性客二人組だ。十七歳ですと言っていたのを思い出し、つい笑みがこぼれる。


 井畑は休日が嫌いだった。理由は、悪人が私服警官を嫌がるのと同じ。制服を脱ぎ捨てることで、未成年の見分けが困難になるからである。

 別段、制服がすべてとは言わない。小学生は明らかだし、大人びた中学生であろうとも髪型や服装で判断できる。

 しかし、高校生以上になると途端に難しいのだ。化粧をしているとなおさらである。

 写真の二人も化粧をしていた。清楚系のナチュラルメイクだ。服はパステルピンクのブラウスにロングスカート、もう一人はベージュのワンピースだった。髪は両者とも黒色である。井畑が最も好みとしている系統だ。


 成人を撮っても井畑の欲望は満たされない。見極めは困難だが、女子高生の私服を拝めるのは休日の特権である。

 だから井畑は、自分の休みを削ってでも取材に向かう。若者や学生に人気のある今の取材先は、井畑芳則にとってまさに天国であった。


 今日もまた天使たちに会えた喜びに浸りながら、井畑の足は取材先近くの咲幟さかのぼり公園へ向く。

 手入れの行き届いたカラフルな遊具は子供たちに人気で、今日も多くの家族連れで賑わっていた。周辺を囲む桜並木は、満開は過ぎてしまったものの、まだ薄桃色の花を咲かせている。

 井畑はカメラを構えた。シャッターを切り、風景――否、子供たちを収める。

 遊具に跨る小学生、辺りを走り回る男児たち、滑り台で遊ぶ少女らの笑顔。井畑は風景を撮るふりをして、未成年を物色する。ターゲットは小中学生だ。


 一眼レフを構える井畑の表情は真剣そのもので、傍から見ればまるでプロのカメラマンのように映るかもしれない。

 以前、子供連れの母親に、カメラマンかと尋ねられたことがあったが、街の広報担当を偽称すると呆気なく信じてもらえた。ファインダー越しに子供を見る目は穏やかであるように、普段から心掛けている。シャッターを切る指先からは、もはや愛情すら感じられるだろう。


 撮り終えた写真を確認し、井畑は再びカメラを構える。そこで一瞬画角に入ったベンチに、井畑は素早くピントを合わせた。

 公園内のベンチだった。腰掛けている少年に目が留まる。


 高校生くらいだろうか。足を大きく開き、ベンチを独占している。イマドキの子にしてはラフな、Tシャツにハーフパンツという格好が妙に浮いていた。園内で遊ぶ子供たちは本能的に彼から距離を取っている。何より、黒いキャップ帽の下から覗く純白の髪に、井畑は目を奪われた。

 シャッターを切って、写真を確認する。やはり髪色は白かった。ここまで完璧に脱色している髪ははじめて見た。未成年だろうけれど、佇まいからして不良か。井畑の苦手な類である。

 それにしても綺麗な髪だと、井畑は感嘆した。毛先が軽く跳ねていて、猫っ毛なのか柔らかそうだ。肌の色も白く、無感情な瞳は退屈そうに彼方を見つめている。整った顔立ちは柄の悪さとアンバランスで、どこか中性的な印象を受けた。


 まもなく時刻は正午を迎える。家族連れの多くは家に帰るか、ファミリーレストランにでも移動するだろう。井畑も昼食を取り、会社に戻って文字起こしをするとしよう。

 カメラから顔を上げてベンチを一瞥すると、彼の姿がなかった。井畑はぎょっとして周囲を見回す。さっきまでそこに座っていたはずだが――

 不思議に思っている井畑の肩を、誰かが後ろから叩く。


「おじさん」


 と、よく通る声付きで。

 子供しか呼ばない「おじさん」という言葉に、井畑の背筋はぞくりと震えた。

 だが振り返ってみると、そこには子供よりも男という言葉が似合う、あの白い少年が立っていた。意外にも身長は高く、鋭い目つきが高圧的に井畑を捉えている。


「おじさん、撮ったでしょ、私のこと」

「……え」

「盗撮。おじさん悪い人?」


 井畑は首を振り、「な、何のことか、さっぱり……」と彼を見つめながら、指の感覚だけで写真を消そうと試みる。彼はそんな井畑のカメラを鷲掴んだ。


「消したら今この場で破壊する。私片手でリンゴ潰せるよ」


 一眼レフが、ミシ、と軋んだ音を立てた。

 井畑は硬直した。カメラ越しに伝わる彼の力は、振り切って逃げられるような強さじゃない。額に汗が滲む。


「おじさん、なんの仕事してる人? 新聞記者?」

「……街の、」

「嘘ついたらぶっ壊す」

「…………、雑誌記者です」


 カメラを人質に取られては仕方ない。偽の名刺も持っていないため、観念して答えた。

 すると彼はふーんと鼻を鳴らして、井畑のカメラを解放する。消せとは言わなかった。その代わりに、


「お昼奢ってよ」


 近場のファミレスを指さして彼は言う。


「モデル代ってことで、いいでしょ?」

「……拒否権は」

「あると思う?」


 井畑は状況の悪さに頭を抱えた。写真を消せば証拠はなくなるが、警察に駆けこまれては面倒だ。家のなかを漁られる可能性もある。

 ――金か。

 内心舌打ちをして、井畑はため息をついた。この一回で済むのなら、ここは彼の言うとおりにしようと思った。


 レストランに着くと、彼はさっそく名刺を要求してきた。しぶしぶ渡したそれを見て、彼の表情に笑みが宿る。


「オカルト雑誌ムイチの記者、井畑さん」


 名刺を読み上げて、彼はメニュー表を手に取った。ハンバーグ定食を注文し、「井畑さんは?」と人懐っこく訊く。飲み物はドリンクバーから取ってきたオレンジジュースとアイスコーヒーだ。

 井畑はカレーライスを注文し、水を飲んでから問う。


「名前は?」

「私? 私は茉結華まゆかだよ」


 ――マユカ。

 心のなかでその名前を反芻する。口調と合わさって、ますます女の子みたいだと思った。いや、もしかしたら本当にそうなのだろうか。性同一性障害というやつである。

 気になったが、触らぬ神に祟りなし。深く訊くのはまずいだろうと、自身の好奇心を抑えた。


「井畑さんって、子供が好きなの?」


 不意な質問に水が気管に入り、井畑はむせながら首を横に振った。急に何を言い出すんだ。


「違うの? 別に隠さなくていいのに」


 茉結華はきょとんと首を傾げる。


「か、か、隠すだろ」

「やっぱそうじゃん」


 そう言うと茉結華はテーブルに頬杖をついて、ニヤリと微笑む。


「撮ってあげようか、子供の写真」

「え……?」

「いくつがいいの。中学生? 高校生? それとも小学校?」


 欲しいならあげるよと、茉結華は言う。


「どうやって……」

「天才の知り合いに頼めば撮ってきてくれる」

「友達?」

「違うよ。


 茉結華はピアノを演奏するかのようにテーブルを叩いた。もしくは、キーボードを指で弾くように。

「まさか」と、井畑は呆れて笑った。まさかネットの海から入手するとでも言うのか。確かに井畑のパソコンにはそういった類の写真もあるが、お気に入りを拾うことくらい誰にでもできる。

 茉結華の言う天才はおそらくそうじゃないだろう。まさか、そう、ハッキング? 学校内部の機器から写真や映像を自由に引き出せる――なんて、ありえない希望だが。


「興味ある?」


 と、茉結華は目を輝かせる。正直興味はあるし、入手困難な内部写真を易々と手中に収められるのなら、願ったり叶ったりだ。

 井畑が口ごもっていると、茉結華はさらに続けた。


「私の犬になるのなら、考えてあげてもいいよ」

「犬?」

「そう。なんでも言うことを聞く犬」

「金は用意できないぞ」

「そんなんじゃないって」


 自然と緩む頬がすでに承諾してしまっているとも知らずに、井畑は外面で精一杯の警戒を示す。


「井畑さんはこれまでどおり普通に仕事してくれたらいいよ。オカルト雑誌の記者としてね」

「あんたは……何が目的なんだ」

「仕事してほしいってだけだよ。ご褒美は未成年の写真」


 こらえきれず、井畑は顔を覆って笑った。大人を相手に交渉とはいい度胸をしている。それも、堂々と犯罪行為を仄めかすとは。

 井畑は手を下ろして茉結華を見据えた。


「じゃああんたを撮らせてくれ」

「……は?」

「その天才の写真はこの目で見てから判断する。代わりにあんたを撮らせてくれ」


 このまま言いなりになるつもりはない。茉結華の写真を入手すれば、こちらが不利になった場合に脅し返せる。保険は持っておきたい性分だ。

 茉結華は顔を引きつらせて「井畑さんってさぁ……」と言葉を切った。そしてため息をつく。


「まあ、いいけど。男だよ?」

「わかってる」

「そういう趣味なの?」

「俺が問うのは年齢だけだ」


 茉結華はオレンジジュースをストローでちゅうっと吸う。


「契約成立ってことでいいんだよね?」

「ああ」


 頷くと、テーブルの下から股間をもぞりと掴まれた。茉結華の両手は机上にある。蠢いたのは素足だった。


「ああじゃなくてわんでしょ」

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