守護者
「あいつのせいで芽亜凛ちゃんに会えない」
空っぽになったC組の教室で、響弥は不満を垂れる。クラスメートは昼休みになってすぐ、E組方面に駆けていった。なかには職員室に向かった者もいる。みんな、今日来た教育実習生目当てだ。
響弥がE組を覗いたとき、教育実習生はいなかった。だが購買から帰って再び覗いてみると、すっかり輪の中心で談笑する彼の姿が。
満員御礼の教室には芽亜凛もいたが、人集りで一歩も近づけず、響弥は渉を連れてしぶしぶC組に戻ったのだった。
「訊かないんだな」
不機嫌な響弥の横で、渉は食べ終わった焼きそばパンの袋を丸める。
「へ?」
「弁当」
「ああ……」
うっかりしていた。渉の昼食が凛の手作り弁当じゃない理由を、つい聞きそびれていた。
なぜって――聞かなくとも、響弥はその理由を知っていたからだ。
「そういや愛妻弁当じゃないな。まさか喧嘩でもした?」
響弥は親友の注文どおりとぼける。渉は、言われると思ったという顔で首を振った。
「してねえよ。ちーちゃんとお泊まり会するから作れないって。まあ俺は別にいいんだけどさ」
「へえー、女子会ってやつか……」
昨夜から知っている情報に興味は持てない。が、響弥の予想は確信へと変わる。
昨夜、千里の家には凛がいた。茉結華が様子を窺ったとき、一緒に夕飯の支度をする凛の姿が見えたのだ。
凛は家に帰らなかった。だから、毎日作っている渉の弁当を用意できなかった。渉に購買に行こうと誘われたときは『やっぱりか』と思ったものだ。
女子会。お泊まり。急な話だが、親友同士だから許されたのだろう。千里の親は過保護で娘思い。凛じゃなかったら入れていないはずだ。そして、
凛がいなかったら、茉結華は
焦る必要はないと、茉結華は考えている。あと一週間は予定が延びても構わない。ゆっくり駒を動かし、呪い人を造り出せばいいのだ。
廊下の歓声が一際大きくなった。扉の陰からこっそりそちらを覗き見ると、例の実習生が人混みを割いて歩いてくる。しかも、隣にはなぜか芽亜凛が並んでいるではないか。
「あの野郎……」
頬の筋肉がピクピクと震えた。今のは響弥が言ったのか、それとも発したのは茉結華だったのか。
二人は渡り廊下を抜けて施設棟のほうへ向かうようだ。あちらはひと気も少ないし、移動している間にも生徒は追うのを諦めて散っていく。よりによって芽亜凛を使って、仲良くお喋りとは。
「おい、渉」
響弥は振り返り、親指を廊下に向けた。
「行くぞ」
「どこに?」
「あの野郎の後をつけるんだよ!」
* * *
ネコメは、一瞬でも目を離せばいなくなりそうな様子で歩いていく。歩く速さは芽亜凛に合わせて落ち着いているのに、雰囲気が颯爽としているせいでそんな印象を与えるのだ。
芽亜凛とネコメを取り囲んでいた生徒たちは、気づけばいなくなっていた。渡り廊下を進むうちに振り切ったようである。
二人にだけ聞こえる声でネコメは話した。
「何度もかけてくれましたね、忙しくて申し訳ありません」
「出られなかった理由はこれだったんですね」
ネコメは笑うことで肯定する。
芽亜凛が残した一件の留守番電話、
『私は藤北の生徒です。ネコメさん、どうかまた、力を貸してください』
このメッセージを聞き、ネコメは繋がらなかった数日間で、秘密裏に学校にかけ合ったのだろう。おそらく校長や石橋先生を中心として、ネコメの正体は限られた者しか知らない。
「あの……どうして私が留守電を残した生徒だとわかったんですか?」
芽亜凛の純粋な疑問に、刑事はくくくと軽く笑う。
「簡単です、時期ですよ。芽亜凛さんが六月の転校生だったからです。芽亜凛さんのスタート地点は転校前、違いますか?」
「……合ってます」
簡単な推理だった。ネコメへの連絡と芽亜凛の転校時期が重なっていたから、おそらく連絡してきたのは六月の転校生だろう、と。
人の心を読むネコメのことだ。顔に書いてあると言われたらどうしようかと思っていた。一応ポーカーフェイスはできているようだ。芽亜凛は安堵する。
自分はまだ、クールで冷静な橘芽亜凛を保てているようだ。
「職場のほうには……?」
警察とは言わずに芽亜凛は問う。施設棟とは言え、誰が盗み聞きしているかわかったものではない。
「挨拶は済ませましたが、単独行動です。まあ私は特別なので、結構自由に動けるんですよ」
ネコメはすれ違う生徒に会釈して三階に上がる。
事件があろうとなかろうと、学校に警察が来たら大混乱を招くだろう。ネコメにはくれぐれも注意してほしいが、彼ならうまくやるはずだ。――相棒の長海が押しかけてこなければの話だが。
「前回の俺はどうでした? お役に……立ちました?」
「たくさんお世話になりました」
「でも救えなかった。刑事失格です」
「いえ、そんなことは……」
そんなことあるはずがない。ネコメは芽亜凛の手が届かぬところで奔走してくれた。そして今回も……。
「私なりに機転を利かせてみましたが、どうですか、『金古せんせー』は。何度目ましてです?」
「はじめましてです……」
苦笑する芽亜凛の反応に、ネコメも嬉しそうに微笑む。
「よかった、それならお役に立てそうです」
経験者が相手だとこうも話が早いのか。それともネコメだから、特別機転が利くのか。
ネコメは「今度こそ終わらせましょう。必ず」と、表情を引き締めた。
彼は、真の意味で表舞台に上がった。人々の前に、姿を現した。
刑事として陰から支えるだけの存在ではなく、金古メテオという一人の人間として――人々を守る者として現れたのだ。
「それに、この学校の先生は、意外と頼りになりますよ」
そう言ってネコメは四階に上がる手前、しーっ、と人差し指を唇に当てた。そして階段下を覗き込んで、
「わっ!」と、
追跡者を驚かせた。
* * *
耳元で聞こえた大きな声に、響弥は「うわあ!」とひっくり返った。
心臓が口から飛び出そうになりながら後ろを振り向くと、渡り廊下の段差で、両手をメガホンにしている凛が目をしばたたく。その背後では千里が口元に手を当ててニヤニヤと笑っていた。
「なんっだよ凛ちゃん、脅かすなよ……」
「俺はお前の声にびっくりしたわ」
渉も胸を押さえて驚嘆をこらえている。凛は、えへへと笑って「ごめんね?」と首を傾げた。
「なーんか怪しそうだったから、脅かしちゃった。ふたりで何してたの?」
屈託のない笑顔である。こんな顔をされたら怒れない。
芽亜凛と教育実習生はとっくに上の階へ行ってしまった。響弥と渉は顔を見合わせて、「渉が」「響弥が」と互いに指をさした。
「響弥が後つけるって言うから」
「ちがっ、俺は芽亜凛ちゃんのことが気になって言ったんだよ」
「ライバル視してるくせに」
「別にしてねえ」
「体育のときからぴりっぴりしてたけど」
「別にしてねえってば!」
わんわん言い合っていると、階段上から女子生徒が三人ばたばたと下りてきた。
「びっくりしたぁ」「もう」「あんたが行こうって言うからぁ」
女子生徒はキャッキャと笑いながら、渡り廊下をすれ違う。スカーフの色は二年生の赤。教育実習生を目当てで後をつけていった、他クラスの生徒のようだった。響弥と同じことを考えた者がほかにもいたのか。
凛は睨み合うふたりを見て、はぁとため息をつく。
「なんでもいいけど、もう昼休み終わるよ?」
「ぐぬぬぬぬ……」
渉だけならともかく、凛と千里がいては分が悪い。もたもたしているうちに引き返してくるだろうし、顔を合わせるなんてまっぴらごめんだ。
「金古せんせーだっけ? あの人かっこいいけど芽亜凛ちゃんのタイプじゃなさそうだよねぇ」
「あ、ちーちゃんもそう思う?」
「うん。だからさぁ、響弥くんも心配しなさんなって。ドントウォーリー!」
響弥はムスッと口をへの字に曲げる。励まされてもまったく響かないし、別にヤキモチなどではない。
跳び箱の仕掛けを見破った憎き男が、意中の子といるのが腹立たしいだけだ。……人はこれをヤキモチと言うのか? 響弥には気持ちの整理がつかなかった。
ここは引き返すしかないようだと、響弥は渉の手を取って立ち上がる。
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