第二話
教育実習生
「改めて挨拶を」
「文字、これくらいで読めます?」
白金頭の教育実習生は黒板を指さし、石橋先生と生徒たちに視線を送る。涼しげな瞳にも平坦なテノールボイスにも、緊張は微塵もなかった。
「見えるよー」と、すぐに前列から
漢字四文字じゃネコメの筆跡は分析できず、ただ綺麗で見やすい字という印象を
「いやぁ、板書って意外と難しいですねぇ。学生の頃はまったく意識してませんでしたけど、石橋先生って意外と難しいことをさらりとやってのけてたんですね。教師の立場になってみるとそのすごさを痛感します。小さすぎると見えなくないですか? 大きすぎても駄目ですよね、すぐに黒板が埋まって――」
「じ、自己紹介」
わかったから早くしろと言わんばかりに、石橋先生はうんうんと頷き急かした。ネコメは「あ、はい」と素直にチョークを置いて教卓の前に立つ。クラスメートは珍妙なものを見る目で、自然と口角を上げていた。
「改めまして、
まったく教師に見えない、教師でもない教育実習生は、E組の生徒に向けてにこやかに手を振った。
そもそも教育実習生ですらないけれど――刑事には絶対に見えない。いつも以上に、その正体は霧中だ。
「せんせーせんせーしつもーん」
教卓に一番近い谷村
「なんですか」
「歳はー?」
「二十二ですよー」
「はいはーい。なんで金髪ー?」
「生まれつきこれです」
「はい! こ、恋人はいますか」
「あはは、残念ながら……」
「えっじゃあ募集中? 寿莉立候補したい!」
「はい、そこまで」
前列の三人組による質問攻めを、石橋先生が割り込んで止める。答えに嘘が含まれていることに芽亜凛は気づいたが、おそらくそういう設定なのだろう。
「えーっ、なんでー」と、今度は
「もっと聞きたいじゃん」
「ほらぁ、カエリンも言ってる!」
「先生、授業変えようよ。一限目、金古せんせーのオリエンテーションとかどう?」
「いいね、面白そう」
三城グループが同意を示すが、石橋先生は「休み時間に」と冷静になだめた。学年で力のある三城グループも、自由奔放な不思議ちゃんグループも、威厳な担任教師には敵わない。
「体育館でも言ったように、彼は実習期間このクラスにつく。みんな仲良くするように」
「それじゃまるで転校生みたいですよ」
子供扱いされたネコメの突っ込みに教室から笑いが起きる。
石橋先生は「一限目の体育に遅れないように」と呼びかけてホームルームを締めくくった。
廊下には早くもギャラリーが集まってきている。少しでもネコメの姿を拝もうと、授業前の短い休み時間を使って覗きに来ているのだ。
「転校生もE組だったよね」
「なんでE組ばっかり」
「美男美女じゃん」
「ずるい」
体育館を出るときに他クラスから聞いた言葉が頭をよぎる。
十年前は呪われたクラスとして疎まれていた二年E組が、今では羨まれている。いいないいな、と。E組ばっかりずるい、と。
その羨望が続く限り平和だ。悲しみが生まれれば、たちまちE組は干されてしまう。誰も近づこうとしなくなる。悲劇を阻止するために、ネコメはやってきたのだ。
「かっこいい人だね」
芽亜凛に顔を寄せて、凛がにこりと笑った。芽亜凛は微笑むことで心のうちを誤魔化す。
ネコメの正体が刑事であると凛に明かすべきだろうか、考えあぐねている。
彼には何度も電話をかけて、留守電を一件残してきた。名前は伝えていないのに、ネコメは芽亜凛が転校生であると気づいている。すでにクラスメートの顔と名前は確認済みなのだろう。
教育実習生として学校に来るなんて、あまりに唐突な襲来。潜入捜査……とでも言うのだろうか。こんなことは、はじめてだ。
「金古せんせー、寿莉たちの体育見に来るぅ?」
「体育も立派な授業。来るべし」
「カエリン、今日の体育ってなにー?」
ネコメはホームルームが終わってからも三人組に囲まれていた。話を振られた三城は「跳び箱だったけ」と答え、「ほぼ自習みたいなものだけどね」と
「せっかくだし女子についてよー」
「せんせーせんせー」
引っ張りだこな教育実習生を、男子と一部の女子は呆れた顔で見ている。特に三城たちはE組で一番目立つグループ。そのリーダーが好意的に話しかけているのは、不仲の
芽亜凛は着替え袋を持って腰を上げた。
外は期待も虚しく、しとしとと小雨が降っている。これでは持久走や、男子の体育がサッカーで女子の体育がバレーになることもない。
マット運動と跳び箱確定だ。細工された七段の跳び箱を、うまく回避するしかない。
生存した
今日も今日とてひとつずつ、悲劇を食い止めるしか道はなかった。
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