閃光

 地図アプリを開いて、花火の許可を得ている河川敷まで三人で歩いた。水を入れたバケツを足元に置き、凛の買ってきた花火セットを開封して、付属の蝋燭にマッチで火をつける。


「よーし、やろう!」


 凛は手持ち花火を掲げて背伸びする。まだ高い夕日の光が反射して、瞳がきらきらと輝いた。

 凛と芽亜凛は一本ずつ、千里は両手に花火を持って火を移す。シュッ! という音とともに閃光が走り、激しい火花が噴き出した。ぱちっぱちっと弾ける花火に、三人の顔が明るく照らされる。

 それからはもう夢中だった。


「わあーい!」


 凛も千里も、色とりどりに変化する光に夢中になって歓声を上げる。

 花火を両手に千里が一回転すると、「危ないよ、ちーちゃん」と凛が注意した。千里はてへへと舌を出して、ペンライトみたいに花火を振る。大きく輪を描いたり、指揮者のようにリズムを刻んだり。

「もうーっ」と呆れる凛とのやり取りを見て、芽亜凛はくすくすと笑った。


 ――こんなに楽しい花火はいつぶりだろう。

 小学生以来かもしれない。それからは勉強や部活ばかりで、家族とも友達とも、まともに遊んだ覚えがなかった。

 それに花火で蘇るのは、前の学校での嫌な記憶だけだ。

 そんな自分が、今は誰かとこうして一緒に笑い合っている。芽亜凛が越すことのできない夏の楽しみを、凛が与えてくれたのだ。


 鮮やかな火花が河川敷に舞っては消えていく。次々と変わる光のショーを眺めているうちに、あっという間に時間が過ぎていった。夕日の色も徐々に赤みを帯びて暗くなる。

 ラストは三人で集まって、線香花火に興じた。誰から言い出すわけでもなく、自然とそうしていた。

 一緒に蝋燭の前にしゃがみ込み、三人同時に点火する。赤い小さな玉が灯り、やがてその周りに火花が飛び散った。


「誰が一番長く続くか競争しよう」

「玉が落ちずに消えたら願いが叶うんだよ」


 千里と凛はそう言って、目を輝かせながら手元を見つめていた。願い事を唱えているのかもしれない。それなら私もと、芽亜凛は願った。

 ――この幸せがずっと続きますように。


 刹那の幸福だった。背後でガシャンと、バケツが蹴り飛ばされる。


「きみら何やってんのー?」

「藤北の制服? カワイーじゃん」

「こんなとこで遊んじゃダメでしょ」

「オレらとも遊んでよ」


 派手な髪色をした男子たちが五人くらい、ニヤついた顔つきでこちらを取り囲んでいた。全員緑色のブレザーを着ている――日龍にちりゅう高校の生徒だ。

 三人の間に緊張が走る。千里は怯えた様子で凛の後ろに隠れた。


「凛ちゃん……っ」

「下がってて」


 凛は立ち上がり、男たちを睨むようにして言った。その小さな背丈を見てか、男たちからどっと笑いが起こる。


「ハハハ、マジで? 怪我させたくないんだけど――!」


 男の一人が凛に掴みかかった。凛は逆にその腕を引き寄せて、腹に膝蹴りを食らわせる。「かはっ」と情けない息を吐いて、男はくの字に曲がった。仲間の目の色が変わる。


「てめえ!」


 ナイフの銀が閃いた。

 凛は地面を探るように手を伸ばし、指先に触れた工具を拾い上げる。L字型の鈍器を握り締め、男たちと対峙する。

 ナイフを軽々と避け、凛は頭部めがけて鈍器を振った。男の頭が、スイカのように弾けて割れる。


 ――りん……?

 芽亜凛は、自分の声が出ないことに気づいた。凛は続けざまに一人、また一人と片付けて、最後の一人は下から突き上げることで顎を砕いた。

 血まみれの鈍器を振り下ろし、凛は自分の耳たぶに触れる。


「凛ちゃん!」


 満面の笑みで駆け寄った千里は、左肩から右腰を切り裂かれ、血を噴いて倒れた。

 凛の手には鋸が握られていた。そして顔には、お面が。


「芽亜凛ちゃん」


 夢から覚める時間だよ。



 …………。

 ………………。


「最悪……」


 部屋の天井を見つめて、芽亜凛は悪態とため息をついた。耳元で鳴り響くアラームを止めて、布団を跳ね除けて起き上がる。

 額に触れると、びっしょりと汗をかいていた。本当に気持ち悪い……。

 不安になってスマホのトーク画面を開くと、凛と千里のグループトークに昨日の写真が共有されていた。花火を持ってはしゃぐ三人の姿が、何枚も送られてきている。


 ――そうだ。昨日はあのあと、線香花火を終えて、後片付けをして、まっすぐ家に帰った。

 日龍の生徒になんか絡まれていない。あんな夢を見るなんて、最低だ。

 凛は千里の家に行き、無事役目を果たしてくれただろう。

『彼』の呪い人は千里からはじまる。千里からはじめることに執着している。凛がついていれば、少なくとも一日は、何事もなく終わるはずだ。


 まだ頭がぐわんぐわんする。芽亜凛は震える足を叱咤して立ち上がった。

 ――何を恐れているのだろう。期待しないって決めたはずなのに。

 ひとときの幸福感に浸って、酔って、また失いたくないって思いはじめてる。最初から期待しなければ、楽になれると思っていたのに。

 ――幸せになってもいいのかな……。

 何を馬鹿なことを。頭を振って、否定する。


(顔、洗わなくちゃ)


 冷たい水で熱を取り除き、頬を叩いて目を覚ました。


    * * *


「え――」


 学校に着くや、芽亜凛は教室の黒板を前にして絶句した。

『朝から学年集会。体育館に集合』

 チョークで書かれた文字に、心臓の鼓動が耳元までせり上がる。嫌な予感が全身を貫いて、まるで暗いトンネルのなかに迷い込んだような錯覚が芽亜凛を襲った。

 蘇ったのは、松葉まつば家全焼という言葉。生徒の死。先生の入院の知らせ。


「嘘……」


 誰にも聞こえない声で呟く。

 こんなの嘘よ。昨日あんなに楽しく遊んだのに……。


「移動しないとねー」


 クラスメートの声が横切っていく。


「なんだろう。何の集会?」

「知らなーい」


 芽亜凛はその場から動けずうなだれた。考えないようにしていた最悪のシナリオが、頭のなかをぐるぐると巡る。今朝見た悪夢が悪い知らせの前触れだったのではないかと、そんなふうにさえ思えてしまう。

 ――ほらね。だから期待するなって言ったじゃない。

 クラスメートは登校してきた者から順に移動を開始する。芽亜凛は、一人取り残されるように立ち尽くし、背後から呼ばれるまで動けなかった。


「芽亜凛ちゃん?」


 行くよ、と。

 振り向けば、そこに凛がいた。芽亜凛は呆然と瞠目した。


「り、ん……?」

「うん、おはよう。学年集会だって、なんだろね」

「ち、千里は?」


 凛は目をぱちくりさせて、「もう行ったんじゃない?」と廊下を指さした。そして「大丈夫?」と、心配そうな顔で芽亜凛を覗き込む。


「うん……大丈夫。行きましょ」


 芽亜凛は机に鞄を置いて、凛と一緒に体育館へ向かった。集められた二年生はクラスばらばらに散らばって、急な集会にざわついている。

 中央あたりの女子グループに紛れて、C組の松葉千里はいた。凛と芽亜凛に気づいて、嬉しそうに手を振る。

 芽亜凛は心底安堵しながら、よかった……と手を振り返した。

 凛がいる。千里も無事……。ならばこの集会は、何のためのもの?


「うわあ、ぐちゃぐちゃだ。ちょっと並ばせてくるね!」


 委員長の凛は体育館の前のほうに駆けていき、「E組こっちだよ、並んでー!」と呼びかける。芽亜凛はその間、いろんな生徒に目を配った。


 凛の声にいち早く反応する男子は渉だ。その隣には跳ね返った黒髪の響弥がいる。二人は別れて整列しはじめ、E組男子の先頭には萩野はぎの拓哉たくやがいた。

 女子列には、気怠そうに並ぶ三城と椎葉しいばみのりが。端のほうにはピンク髪の後ろ姿が見えた。A組の集まりだ。先頭には朝霧あさぎりしゅうがいて、凛と同じように整列を呼びかけている。

 みんないる。みんな……。

 胸の奥が締めつけられるように痛んだ。心の底からほっとしている、と自覚する。


 やがて二年生全員が並び終えると、司会進行の学年主任がマイクの前に立った。不快なノイズ音のあと、声が響き渡る。


「はい、みなさんおはようございます。急な集会で驚かれたでしょうが、今日はこの学年に教育実習生のかたが来られました。主に二年生を担当いたしますので、そのご挨拶です」


 体育館の空気が一気に変わった。教育実習生――? 芽亜凛は、信じられない気持ちで壇上を見つめる。

 次の瞬間、息を止めて固まってしまった。

 ステージ端から登場した教育実習生とやらは、演台の前に立って一礼する。


「おはようございます。はじめまして。今日からここでお世話になる、教育実習生の金古かねこリュウセイと言います。担当は公民科。E組の石橋先生のもとで勉強させていただきます。――どうぞ仲良くしてくださいね」


 長い睫毛に縁取られた瞳が生徒を見渡す。細身で長身の体躯を包むスーツは、モデルのようなスタイルを引き立てている。

 刑事、金古流星メテオは、白金の短髪を風に揺らして、薄い唇で微笑んだ。

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