第六感

 待ち合わせのカフェに十五分も早く着いた千里は、『先に席取ってるね』と、凛とのトーク画面にメッセージを送った。

 凛が着くのはおよそ十分後。待ち合わせをするとき、いつもぴったり五分前に来るのが凛である。千里はそれより早く着くよう心がけていた。


 早寝早起きが苦手な千里だが、凛と遊ぶ日だけは別だ。

 夜は早めに床に就き、朝はスマホのアラームが鳴る前に目覚めてしまう。まるで遠足前日の小学生みたいだ、と自分に苦笑したいが、千里が遠足前にわくわくしたことは一度だってなかった。


 だからか、少し眠い。気圧のせいもありそうだとあくびをして、メニュー表を開く。窓ガラスに付いた雨粒が、テーブル上にまだら模様の影を作った。


 六月二日、日曜日。今日も外は雨が降っている。梅雨に入ったせいで、ここ数日はずっと降り続きだ。凛との約束がなければ、一日家に引きこもっていただろう。

 遊びの連絡が入ったのは昨夜。明日空いてる? 暇ならどこか行かない? と、こんな天気に珍しく凛から誘われたのだった。

 もちろん千里に断る理由はない。遊ぼう遊ぼうとふたつ返事でオーケーすると、じゃあ明日の午前十時に公園前でいいかな、と返信が来た。凛と千里が待ち合わせに使ういつもの場所である。


 そこからあれこれやり取りして、結局雨を理由に、このカフェで待ち合わせることに決まった。限定スイーツがおいしい、と今話題の店だそうだ。近くには中学も大学もあって、放課後や休日になると学生客で混み合うらしい。

 噂の限定スイーツをチェックして、メニュー表から窓へと顔を向ける。外には傘の花がいくつも咲いていた。あのなかに凛のものもあるのかと探していると、カランコロンと入り口のベルが鳴った。


「ちーちゃーん」


 現れた凛は口パクをしながら、千里に手を振る。千里も手を振り返し、凛を座席に招いた。

 今日の凛はジーンズにシャツというラフな格好だった。千里とお揃いの髪留めをして、リュックサックを提げている。


「ごめんね、待った? ちょっと場所わからなくて」

「ううん全然。わたしも今来たところだぜい」


 千里は親指をぐっと立てて彼氏のようなことを言ってみせる。今日の凛は待ち合わせ時間ぴったりに到着した。またまた珍しいことだが、迷っても遅刻しないのは彼女らしい。


「凛ちゃんもここはじめて?」

「うん、友達に教えてもらってね。何頼む?」


 さらりと千里の興味を煽ることを言って、凛はメニュー表を覗いた。お姉ちゃんでも渉くんでもクラスの子でもなく、友達、か。

 千里は、「これ気になるよね」と、この店限定のパフェを指差す。凛は同意を示し、これにしよう、と二人で即決した。飲み物はレモンティーをふたつ注文する。

 お揃いのアクセサリーに、お揃いの注文。傍からすれば仲のいい二人か、それ以上の関係に見えているかもしれない。

 ――見えていればいい、と千里は思う。異常、かもしれないけれど。


 しばらくして運ばれてきた品に、千里と凛は目を輝かせた。ガラス製の器のなか、幾層にもなったケーキの上に、甘味代表の塊がこれでもかと乗っている。

 真っ赤な苺とアイスクリーム。サクサクのクッキーと生クリームの白。それにチョコレートソースまで添えられていて、上から下までぎっしりだ。見ているだけで涎が出てきそうである。


「なんか、すごいね……」

「うん」


 頷きつつ、千里は目の前のパフェを写真に収めた。SNSの普及もあって、イマドキは写真を撮る人も多い。見た目のインパクトで勝負する投稿が増えるほど、流行の品も必然的に派手になるわけだ。

 千里は早々に撮影会を済ませて、「いただきまーす!」と手を合わせた。スプーンを手に取り、さっそく味わう。甘くて、柔らかくて、冷たくて、おいしい。

 自然と頬が緩んで、凛と顔を見合わせた。凛も顔を綻ばせて、目で訴えかけている。うますぎると。


「最高じゃない? 誰が教えてくれたの?」


 今なら行けると、どさくさに紛れて訊く。凛は、「それがねぇ……」と目一杯溜めて言った。


「その子、明日うちに転校してくるの。藤北の、E組に」

「テンコー?」

「うん。偶然出会っちゃったっていうか、そこで意気投合しちゃったっていうか。めちゃくちゃ綺麗な子でさ、明日ちーちゃんにも紹介するね」


 ふーん、と相槌を打ちながら、千里は内心穏やかではなかった。

 ――転校生。女の子。美人。仲良くなる。

 凛の口から次々と、千里の知らない情報が飛び出てくる。嫉妬しているわけではない。凛の親友である自信は揺るがないし、余裕は常にたっぷりとある。


 ただ、突如放り込まれた『転校生』という名の異物に警戒心を逆立てているだけだ。自分の安地を侵されるような気がして落ち着かない。

 いや、凛が誰と仲良くなろうと、それは凛の自由である。そしてそこに千里がいるのは当たり前。

 トモダチが三人になろうと四人になろうと、千里が寄生するのは凛なのだ。


 店内に流れるクラシック音楽を背景に、スプーンを動かす手だけが進んでいく。らしくないな、凛の語る他人の話に不安を抱くだなんて。一番がいいの? 寄生虫のくせに、図々しい。

 全部明日になればわかることだ。その子がいい子なのか悪い子なのかも、全部。


「ねえ、ちーちゃん」

「んむー?」

「お泊まり会しない?」


 パフェの底を掻き出す手を止めて、千里は咳き込んだ。

「う、ええぇ?」お泊まり会?「き、きゅ、急だねぇ?」

 凛は神妙な面持ちで「高校に入ってからしてないよね?」と続ける。確かにしていない。が、あまりにも唐突すぎないか。


「凛ちゃんがいいならわたしはいいけど、今日?」

「ううん、明日」

「あ、明日ぁ?」


 嫌な予感が胸を掠める。まさか、その転校生も一緒にとか言わないよね?

 千里は動揺を隠しきれずに口ごもった。凛はそんな千里をよそに、ぱっと明るい表情になって身を乗り出す。まるで、千里の懸念などすべて見透かしたように。


「もちろん二人きりだよ」

「……あ、そう、なの?」

「渉くんも呼ぶ?」

「それはやばい」


 男子が一緒だと親に知られたら殺されてしまう。――渉くんが。


「でも平日? 今日じゃなくていいの? たぶんうち平気だよ」

「おんなじ家から一緒に学校行ってみたくない?」

「カップルじゃん」

「実はもう用意してきたんだよね」

「え――?」


 凛はリュックサックを開けて中身を見せた。一泊分の着替えと歯磨きセットが目視できる。奥にはトランプらしきケースも転がっていて、思わず修学旅行かと突っ込みそうになった。


「えっと……このあとうちに置いてくってこと?」

「イエス」

「いいけど……」


 いいけど……のあとが続かない。凛は「よっしゃ!」とガッツポーズして喜びをあらわにしている。

 いいけど――急に……ほんとどうしちゃったんだろう。何かあった?

 凛のほうから誘ってくること自体、珍しすぎる。昨夜といい今日といい、どうしてこうも千里を誘うのだろう。千里にとって嬉しい状況に変わりないが、積極的な凛はらしくなくて心配になる。


 ――だけど、まあ、いいか。

 凛を独り占めできるのだから。思う存分羽目を外して、親友との仲を深めよう。

 そうやってお泊まり会の計画を立てているうちに、千里は当初の心配や不安を忘れ、店を出る頃には明日が待ち遠しくなっていた。


    * * *


 にわかには信じがたい話だ――何者かが、二年E組のオカルトを利用して、悲劇の幕開けを目論んでいるだなんて。そしてそれに抗うために、芽亜凛がこの梅雨を何度も繰り返していることも。

 何より凛が気になったのは、その『呪い人』の中心が自分だということだった。

 どうして凛なのだろう。凛に恨みを持つ人間が、藤ヶ咲ふじがさき北高校に潜んでいるのか。たぐいまれな執着心と、悪意を宿す者が。


「なるほどねぇ、私が中心なんだ……」


 凛の部屋で、芽亜凛は頷くように目を伏せる。

 第六感というのだろう。人間は脳の一〇パーセントしか使っていないとも言うし、この世には芽亜凛のように、不思議な力を持つ人間がいてもおかしくない。

 それに、芽亜凛の話には真実味がある。たとえ自分が騙されていたとしても、作り話には到底思えなかった。もしこの場に渉がいたら、頭ごなしに否定しただろう。


「変な話、私が殺されたことってあるの?」


 芽亜凛は緩やかに首を横に振った。


「たぶん、ないと思う」

「私のことは殺せないってことかぁ」


 なるほどねぇ、と腕組みをして、凛は真面目に頭を働かせる。

 凛のことは狙わずに、その周りの者たちを傷つける。もとより呪い人とはそういったもののはず。それが人の手で行われるとしたら、最も残虐で狡猾なやり方だ。

 ――呪いのせいにして責任逃れ。許しちゃおけない。


「凛は、その……私の話を……」

「信じるよ」


 さも当然のように言って、凛は肩をすくめた。


「だって、目の前で困ってる子がいたらさ、放っておけないよ。どうにかしてあげたいって私は思うよ」


 長い話だった。立ち話では済まないくらい、芽亜凛の話は深く、長かった。

 けれど話している間も、終わってからも、芽亜凛は一度も「信じてくれる?」とは言わなかった。確認するのが怖いのだ。凛に突き放されるのが。

 だったら凛は、心から安心させてあげたい。

 守るだとか、救うだとか、そんな大層なことは言えないけれど。自分のできることはしてやりたい。ううん、自らしたいと、そう思った。

 芽亜凛は肩の力が抜けたように、ようやく薄い笑みを取り戻した。


「もしかして、それ、私のそばが一番安全なんじゃない?」


 思い付いたように凛は言った。


「親しい人が不幸になるって言うけど、中心人物は死なないんだよね。だったらその呪い人を利用する奴も、私のことは殺せない。いっそのこと、みんな私の近くにいればいいんだよ。ちーちゃんも、芽亜凛ちゃんも」


 芽亜凛は『どういうこと?』といった様子で小首を傾げる。

 凛が提案したのは、呪い人に近付くと不幸になるという話の逆張り。


「つまりね、私がそばにいたら、目撃者になれるってこと。呪いのせいにして逃げたいのに、殺せない人物がすぐそばで見張ってたら、絶対その人も動きづらくなると思うんだよね」


 それに、


「なんだか……巡り巡って、私のところに来た気がする。次は私の番。私が出なくちゃ、隠れてばかりじゃいられないよ」


 相手は凛に深い恨みがあって、執着している。なのになぜ、関係ない女の子がこうも苦しまなければならないのだろう。

 全部凛のせいにすればいい。でも、芽亜凛はそうしなかった。


「ありがとね、芽亜凛ちゃん。今まで私を、守ってくれて」


 今まで彼女が何を見て、何を思い、何に苦しんできたのか。そのすべてを推し量ることは凛にはできない。

 だけどあの大雨のなか、助けての声を殺し、藻掻き苦しんでいた彼女の姿は本物だから。


「そうと決まれば、まずはちーちゃんからだね。三日の夜に襲撃されるのなら、やっぱりちーちゃんのそばには私がいたほうがいいと思うし……。って、芽亜凛ちゃん大丈夫!?」


 堰を切ったように、芽亜凛は大粒の涙をこぼしていた。声を漏らさないよう必死にこらえながらも、瞳からこぼれ落ちる水滴は留まることを知らず。手の甲で拭っても拭っても、頬を伝い顎先から落ちていく。


「嬉しくて」


 凛の引き寄せたティッシュを取って芽亜凛は微笑む。目元にティッシュを当てながら、「いいの、続けて。千里のことよね」と前向きな姿勢を続けた。


「うん。阻止しても駄目、離れても駄目なら、私がちーちゃんの家に行こうか。私だったらちーちゃんちも喜ぶと思うし、お試しにまずは一泊から」


 その際、芽亜凛を出しに使ってと、彼女のほうから提案された。隠して不信感を煽る前に、芽亜凛との関係は明かしたほうがいい。その上で千里を説得する。芽亜凛の存在があるなかで、二人だけで仲良くしてほしい、と。


「わかった。芽亜凛ちゃんはどうする?」

「私は刑事さんに連絡してみるわ。信頼できる人が、一人いるから」


 こんな学生の、しかもオカルト絡みの相談に乗ってくれる刑事がいるのか。どんな人だろうと気になったが、そちらは芽亜凛に任せることにした。

 世の中には適材適所というものがある。凛がやれることは、犯人を見つけ出し捕まえることではない。第一の犠牲者となり得る千里のそばにいて、犯行を邪魔することだ。

 だけどもし、説得することができたなら……。


「その企んでる人って、私の知ってる人、だよね」


 凛の問いに、芽亜凛は控えめに頷いた。

 教えてほしい。けれど、聞くのも怖い。


「女の子だよね……」


 芽亜凛は無表情のまま答えなかった。

 ――でもきっとそうなのだろう。

 昔、助けると約束して、凛が救えなかった女の子がいる。凛のことを恨むとともに、今も近くに潜んで助けを待っている。

 そう、きっとそうに決まっている。そんな予感がする。


 凛の直感は、すべての黒幕が幼い頃に出会った白い髪の少女であることを告げていた。

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