消えた軌跡

 四月の夕日に目を焼かれながら、屋上に舞耶が来るのを待っていた。

 学校の告白場所と言えば、放課後の教室、屋上、中庭、体育館裏。部活がはじまってしまえば二人きりになるのは困難を要する。

 ――だから四月だったのだろうか。同じクラスになれたら告白しようと、俺は考えていたのだろうか。

 階段を駆け上がる音が聞こえる。扉が開くのを感じて振り向くと、舞耶が息を整えていた。


『待った?』


 はにかむ舞耶の瞳は夕日のせいで、真っ赤に染まっている。胸の奥で鼓動が跳ね上がった気がした。

 綺麗だ。

 燃えるセミロングを風になびかせて舞耶は隣に立った。見惚れてしまうくらい美しく眩しい。

 友人であり姉のような存在の彼女に、今日想いを告げる。緊張しないはずがない。深呼吸をして気持ちを固め、やがて唇を動かした。


 サイレントの告白は、『好きだ』だったか『好きです』だったか、『付き合おう』だったか『付き合ってください』だったか――

 舞耶はぽかんとした後、ぶるりと身体を震わせて背中を丸めた。視線を外すようにうつむいて、苦しそうに胸を押さえる。『舞耶?』不安で自然と声が漏れた。


 覗き込んで見た舞耶の顔は青ざめていて、呼吸は荒々しく、ぶつぶつと呪詛を呟いていた。見開かれた目は充血し、頬の筋肉は引きつっている。

 背中をさすろうと手を回せば、舞耶は拒むように両手で髪を掻きむしりはじめた。そして怒りの頂点に達したかのごとく、ものすごい勢いで手を振り払う。

 顔を上げた舞耶は俺の胸を強く叩いた。何度も、何度も。両手で叩き、突き飛ばし、そのたびに俺は後ずさる。


『舞耶――』

『死んでよ』


 みんなのために。

 ドン、と胸を強く押された。段差に後ろ足を取られて背中から倒れる。

 倒れる、倒れる。浮遊感。落ちる、落ちる。

 落ちる。

 世界が暗転して真っ暗闇に包まれた。




 カクン、と頬杖から顎を落として目が覚める。傍らに黒い脚が見えて視線を上げると、そこには最も見たくない顔がありました。


「おはよう、居眠りさんだな」


 そう言って微笑むさかき先生は、自前の指示棒で私の頭を小突く。ヒクッと喉の奥が強張るのと同時に、教室中が笑い声に包まれた。

 長海さんと別れたあと家に帰り、普通に翌日を迎え、普通に学校に行き、今は数学の授業中。先生が踵を返すと、終わりを告げるチャイムが鳴った。

 迫る卒業式。一年生は自由参加でリハーサルもありません。その代わり今日のようにみっちりと通常の授業が詰められている。


 どうやら眠っていたようです。多重夢ですね、いつ覚めるのでしょう。こんなに長くて生々しい夢ははじめてです。加えて夢のなかで夢を見るとは。

 いい加減これが現実なのだと、受け入れろと言われているようです。いえいえ、私はしつこく足掻きますよ。


 見ていたのは、舞耶に殺された日の夢。なぜあの日愚かにも屋上を選択したのか、やはり記憶は曖昧で憶えてません。しかし、それまでいつもどおりだった舞耶が豹変したのは確かで、あのときの舞耶は一度きりの悪夢だ。


 あの舞耶は、リセットされて舞耶です。

 彼女は何を見て、何を経験し、何度巡ってきたのでしょう。死んでリスタートするたびに私に告白される。最悪なはじまり方です。俺の顔を見るたびに、さぞかし不快な気持ちになったでしょう。俺が先生に拒否反応を示すように。


 舞耶は先生に殺される。舞耶だけじゃなく、呪い人に関与する者はみな、

 あの舞耶は榊先生が殺人鬼だと知っているはずだ。いや、巧みな殺人教師なら正体を知られずに殺し回ることも可能だろう。私も気づけずに無駄に命を落とした……。

 どちらにせよ、あの男は生徒を狡猾に誘惑し、洗脳するすべを身につけている。恨むなら自分ではなく呪い人を恨むようにと、操ることも可能だ。


 限界に達した舞耶は先生の言葉を、周囲の声を信じた。金古かねこメテオは呪い人だ。お前に違いない。お前がいるから死人が出るのだ、と。


 巡る者と言えど死の感覚は生々しく、痛ましい。心の傷と同様に、目に見えない傷跡は必ず蓄積していく。一度の死で折れる可能性も十分あるのです。舞耶だって例外ではない。


「すべて憶測だとしても、真実は確かに存在する。しかし空想だけなら可能性は無限大に広がります。今となっては遠き日の思い出。私しか憶えていない懐古の記憶です」


 遺体に問いかけるのと同じくらい意味のないことです。あなたは誰に殺されたのですか? 犯人は誰ですか? 問いかけても、死んだ人間は答えてくれない。

 どんなに愛していて、どんなに会いたいと願っても、失われた魂は戻らないのです。


「ネコメにチカラを移した少女は何も憶えておらず、罪の意識はないってことか……」


 はい。

 今日も当然のように長海さんの隣で話している金古少年。授業中に見た夢の内容をそのまま繰り返しお話しただけですが。いやはや、この長海さんはどこまでも真剣に聞いてくれますね。


「殺人でチカラが移るって話、しましたっけ?」

「昨日聞いたよ」

「言いました?」

「だいぶ長く話していたな」

「夢だからって話しすぎですね」

「?」


 頭に疑問符を浮かべる長海さん。この夢の世界、今日もメタ発言は通じないようです。何のことだ? という顔で見られる。あなたは夢の住人なんですよ。……きっと。

 俺は何をどこまで話したか忘れる癖があるので、長海さんの記憶力はありがたいです。でなければまた同じ話をするところでした。


「長海さんって意外とオカルト好きなんですね。俺の知ってる長海さんは超現実主義者の堅物刑事ですよ」

「堅物って……。別に嫌いじゃないけどな。ネコメの話が面白いというのはあるよ」

「占いも信じてませんよ」

「俺か?」

「はい」

「占いは今も信じてない。えっと……ナントカ効果だ」

「バーナム効果」

「それだ」


 長海さんの表情筋は硬いですが、雰囲気は柔らかくて心地いいです。私の冗談にもちゃんと乗ってくれる。

 俺は二年生を繰り返す間に、いつも同じだった朝の占い結果が変わったことに気づいて、以来信じるようになりました。

 運命に大きな変化が生じたときは、その日の天気も変わる。占いの結果も変わる。十分の一度くらいは嵐が晴れに変わったり、十二位が一位に上がったりするのです。幸運ラックの相乗効果です。


「俺の話も別に信じてないですよね?」


 信じてほしいとも違いますが。長海さんは優しいから否定していないだけで、子供の話に付き合う雰囲気は昨日からひしひしと感じます。


「いや、ううーん……信じてないわけではないよ」

「面白いですか?」

「ああ、面白いし興味深い。訊きたいこともあるよ」


 思わず「何ですか?」と尋ねた。無理やり話に付き合っているようには見えませんし、ここは遠慮なく突っ込むとしましょう。

 そういえば長海さんに昔話をすること自体はじめてな気がします。もし話したら、こんなふうに興味を抱いてくれるのかな。


「ネコメは三月で、舞耶という子は四月がループのはじまりだった。そこで疑問だ。もしも逆だった場合どうなる? ネコメが四月、彼女が三月だった場合、彼女の記憶とネコメの一ヶ月間はどうなるんだ?」


 ものすごく真面目な分析が返ってきました。嬉しさ半分、驚き半分です。ちゃんと俺の話を聞いている証拠ですね。


「もちろん殺した本人は何も憶えてません。俺も自分の知らない未来に飛ぶことになりますね」


 後輩の『経験者』から聞いた話です。


「その例のように、クラスメートに殺されて一ヶ月先に飛ばされた者がいました。前任者には殺した記憶はないし、継承者にとってはそれまでの記憶と出来事は空白です。自分じゃない自分が動いてる。嫌な話です」

「改変されるのか……」

「そうなりますね。時間の移動はあまりにも唐突なため、最初は夢だと思う場合がほとんどです」

「なるほど……それまでの自分に移るのか。目の前に人がいれば、そりゃあ驚くだろうな」


 私自身そうだった。後輩たちも、最初は現実とは思ってなかった。


「真摯に聞いてくれますね、長海さん」

「まあ、嘘に聞こえないからな。未来の俺も同じ気持ちで聞いてるはずだぞ」

「いっつも眉間にしわを寄せてため息ばっかつかれますけど」


 長海さんは吹き出して笑った。こんなふうに笑ってくれるのも現実ではなかなかないことです。

 さすがの長海さんも十年前は無邪気だったんだなぁ……。俺のいない場所ではニコニコしてる、なんてことはありませんように。


「でも想像できるな。きみの相手は大変そうだ。俺が代わってやりたいくらいだよ」


 冗談めかしく言う長海さん。俺の話も子供の妄言だと思えば可愛いんでしょうね。二十六歳の時点でアウトですが。

 せっかくです。


「長海さんに信じてもらうために、長海さんの未来を予言しましょうか」

「例えば?」

「五年後に猫を飼います。雪のように白い美人さんの猫です。はじめて見る遺体はそう遠くありません。今も見つかっていない女性の水死体。長海さんが第一発見者です」


 呆気に取られた顔の長海さんを置いてさらに続ける。


「捜一になるのは七年後。機動捜査隊キソウに入った後、二十七歳で捜査一課に引き抜かれます。俺と組むのはその三年後。三十路手前の年ですね」


 相棒の経歴はひと通り把握している。あとは長海さん本人や警部に聞いた話が情報源ソースです。

 長海さんは苦笑いを浮かべて口元を手で覆い隠す。


「そうか……。いや、正直俺の描いている未来そのもので、面食らっているよ」

「夢が叶うのは喜ばしいことです」

「ネコメが警察官になるのは?」

「俺は大卒後に……」


 大学卒業後、警察学校に入る。思えば藤北を卒業するまでが一番――

 人生で一番、苦だった。

 しかしその先を思っても、十年間の道のりは険しい。私はもう、


「大学に通いながら後輩の面倒を見て、先生が亡くなって公園を作って、刑事になってようやく安泰した人生を送れるはずでした」

「……公園?」

「七年後に作られます。咲幟さかのぼり公園」


 今はありませんね。言いながら交番に入り、デスクから地図を取ってくる。「この辺りです」坂折さかおり公園の反対側を指さして長海さんに見せる。


「なぜ公園を?」

「注目を集めるためです。特に若い子の」

「ネコメが作るのか?」

「俺だけじゃなくて、後輩と一緒に。市長にかけ合ったりいろいろやりましたねぇ。大人の卒業制作です」


 坂折公園を坂を下りると解釈し、対にしてサカヲノボル……サカノボリ。風水的によい場所として作られたパワースポット。

 ――本当の由来は違う。


「時間遡行ですよ、長海さん」


 いつかまたこのチカラに苦しめられる生徒が現れたときに、納得の行く理由が付けられるように残された偽りのパワースポット。あなたは独りじゃないと知ってもらうための場所。未来の後輩が独りで苦しみませんように、そんな願いが込められている。

 サカノボリは、遡りだ。

 このチカラに気づいた者に教えたい。このチカラは、何年も前からあるものなのだと。


「駄洒落か……?」

「駄洒落です」


 長海さんは頭を抱えてくつくつと笑う。「そんなに面白いですかね」長海さんのツボはよくわかりませんが、笑ってくれるのは嬉しいです。


「ああ、悪い悪い……。ネコメが真面目な顔で言うから……。ジョークくらいは笑って言っていいんだぞ」


 ついきょとんとして、自分の顔に触れてみました。笑顔は常に心がけてきたはずですが、おかしいですねぇ。

 下がりきった口角。平坦な眉。重く垂れ下がった瞼。


 もしかして私はこの夢のなかで、一度も笑えていない?

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