一人と仲間。一人と子犬
一度湧いた疑念はもくもくと膨れ上がり、心のなかを鈍色に染めていく。
消える。消えるだって? 馬鹿馬鹿しい。それじゃまるで祟りか何かだ。行方知れずの生徒を、神隠しに遭ったとでも言いたいのか。心のなかで毒づきながら、渉はふと響弥に会いたいと思った。
響弥はいったい何が原因で逮捕されたのだろう。考えても考えても、いつも辿り着く答えは同じ……『わからない』だ。
しかし、会わなきゃいけないと思った。会って話がしたい。真実が知りたい。あいつの逮捕が、彼女らの行方不明とは無関係なことを証明するためにも、響弥に会うべきだと虫が知らせる。
廊下で晩夏と別れて、教室の扉を開けると、いきなり顔を殴られた。頬骨に軋むような痛みが走り、拍子に口の内側を噛む。
襲撃者は、倒れまいと踏ん張る渉の腕を掴んで教室に突き飛ばすと、馬乗りになって胸ぐらを引っ張り上げた。教卓が倒れる音と女子の小さな悲鳴が上がる。
「てめえがやったんだろ。てめえが、明樹を停学処分に追いやったんだ!」
渉は、口に広がる血の味を疎ましく感じながら、彼を見上げた。
E組の扉の死角に隠れて渉を待ち構えていたのは、B組の宮部
宮部はもう一発とばかりに拳を振るうが、渉は首を動かすことでかわして手で防御した。反抗されて気に食わないのか、宮部はその腕に爪を立てる。
「ちょ、陸やばいって、あんたまで停学になるよ?」
クラスメートを隅に庇っていた
「うるせえ! 女は黙ってろ!」
「はあ?」
「こいつがやったんだ! 去年と同じだよ。お前らも知ってるだろ?」
ヒステリックに喚き立てて、宮部は同意を求めるように周りを見渡す。廊下に逃げていく者を除いて、教室にいるクラスメートはみな視線を逸らした。
渉の心は何も感じなかった。当然の反応だと思ったからだ。
「こいつが明樹を陥れたんだ。最低のクソ野郎だよ!」
そもそも渉に用があるのなら教室ではなく、晩夏のように直接会いに来ればいい。宮部がE組で待っていたのはそこまで頭が回っていなかったか、単に見せしめのためだろう。
「でも暴力はさぁ……」
呆れた三城の視線が宮部の背後に移動する。渉も、ただそれを見上げていた。
「なに、してるの?」
宮部の肩越しに見えたのは、迷いなく彼の後ろ襟を掴み上げる幼馴染の姿。
宮部は襟に指をかけながら苦しげに首を回す。まん丸い瞳で男子の首を絞め続ける凛は、無感動に宮部を睨みつけた。
渉は息をするのを忘れてしまった。凛の両目は瞳孔が開ききっていて、真っ黒になっていた。
「っ……にすんだてめえ」
「殴ったんだね、渉くんのこと」
凛はパッと手を離し、今度は宮部の腕を掴んで持ち上げる。「おい! 離せよ! はな……」抵抗する彼をぶんっと廊下に投げ捨てて、凛は扉の前に仁王立ちした。
「二度と来ないで」
「てっめえ!」
殴りかかった宮部をひらりと避けて、凛は足払いする。宮部は勢いよく床に叩きつけられて、蛙のような鳴き声を上げた。その背中に手を回して凛は関節を締め上げる。
「痛っててててててっ!」
ギブアップと言わんばかりに、宮部はバンバンと床を叩いた。それを見て、渉はやっと我に返る。
久しぶりに見た、幼馴染の本気の怒り。そこには、「こらー!」と悪ガキたちを追い回すいつもの子供らしさや、頬を膨らませてぷんぷん怒る可愛らしさはない。
あるのは悪を徹底的に排除する、氷柱のように鋭い怒りだ。
「望月! 大丈夫か?」
荒れた机をどけて、
「気にすんなよ。あんな不良の言うこと」
「
「あ、ああ……マジギレだったな」
「そうなのか? 冷静そうに見えたけど……」
廊下には早くも先生が駆けつけている。凛によって押さえ込まれた宮部は、男性教師たちに連れて行かれた。凛には敵わないと言ったはずなのに、憐れな奴。
教室に戻ってきた凛は倒れた教卓を直して渉の顔を窺う。「百井さんつえー」と冷やかす柿沼に、「あんなの朝飯前だよ」と凛は厳しい面持ちで答えた。
「渉くん大丈夫? 冷やしたほうがいいかも……」
「大丈夫だよ、テストあるし」
「でも自習中だけでも。私ハンカチ濡らしてくるよ」
そう言って踵を返した凛は再度振り返り、「あの人……彼女?」と続けた。「ん?」と渉は眉をひねる。あの人って誰のことを……。
「――まさか晩夏すみれか?」
「知ってるんだね。付き合ってるの?」
「は? なんでそうなる……」
「だって階段でイチャイチャしてたじゃん。一言言ってくれればよかったのに」
「な……」
見られていた。凛が後ろから来たことを考えれば、見られていてもおかしくない。
(あの女……)
いらない面倒ばっかかけやがって。思わずチッと舌打ちすると「何その舌打ち。怪しいぃ」と凛が睨み、両サイドからは柿沼と萩野がひそひそと責め立てる。
「おい……百井さんが怒ってるのってそれじゃねえの?」
「望月彼女できたの? 誰誰? いついつ?」
渉は顔を覆いたくなった。穴があったら入りたい。
けれど凛を中心に渉の周りを固めてくれるおかげで、クラスメートから非難されることはなかった。
味方がいる。温かくて心強い仲間が。
――だけど、
「望月……! これ……」
ぱたぱたと廊下から走ってきた
「杉野……サンキュー!」
渉は快く受け取って、濡れたタオルを頬に当てる。「気が利くな、誰かさんと違って」
凛はムッと口を引いて「悪かったね、気が利かなくてー!」といじけた。
「杉野のほうが彼女に相応しいな」
はは、と笑って言ったその瞬間。
「やめてよっ!」
この世の終わりのような叫びに、渉は一瞬ガラスが砕けたのかと思った。
声の主、杉野の唇は震えていて、悟られぬよう長い前髪を目元に垂らしている。渉はびくりとして固まった。渉だけじゃない。その場にいた全員が、驚いたように目を丸めている。
「す、杉野……?」
「なんでもない」
溶けてなくなりそうな声で呟いて、杉野は席へと戻っていった。渉は請うような視線を凛に送ったが、集まりは予鈴によって解散される。
杉野は渉の前の席で、肩身を縮めて勉強していた。さっきの怒りは、何だったのだろう。誰も、彼の気持ちを汲む者はいない。
だが大切な友人を傷つけたことに、渉は刺すような胸の痛みを覚えた。
* * *
朝からテレビをつけて時折スマホを眺めることで、新堂は暇という渇きを潤した。外出禁止。飯もない。停学がこんなにも苦痛であることを、新堂明樹は身をもって知った。
もうすぐ時刻は昼を迎える。学校はテストが終わって下校中だろう。母親は……帰ってくるだろうか。わからない。
いざとなればコンビニに買い出しに行こうと考えているが、だったら放課後になる前に出かければよかったと今さらながら気づいた。教師や知り合いに会わなければいいだけで、学校はそこまで厳重に取り締まってはいない。明日は早めに出かけるとしよう。
ワンコは新堂にぴたりとくっついて眠っている。日中も一緒にいられることが嬉しいようだ。大きくなったら散歩に連れて行ってやりたい。ワンコにだけは、元気でいてもらいたい。
新堂はスマホをつけて、久しぶりに掲示板を覗いた。怒りに任せて渉の愚痴を書き込んで以来、あまり見ないようにしていた、
自分の言葉に周りが共感を示し、渉を悪に仕立てていく。その流れが恐ろしくて、怯えた。
どいつもこいつも偽善者だ。こっちはそんなこと望んでいないのに、味方ぶったツラして正義の鉄槌を下す。渉のことを気味悪がり、白い目をして忌み嫌って。自分の行いは間違っていないと信じ切ってる偽善者共。
そんな空気にも折れずに立ち向かう渉が痛々しくて、苛々が募って、本当に……あの頃は大嫌いだった。
新堂はため息をつき、二年生のスレッドをざっと確認していった。最新の書き込みには、B組の宮部陸が停学になるんじゃないかと言われている。やっぱりあいつに関わるべきじゃないな、とまで。
懲りない奴だ、また暴力沙汰を起こして。前回は反省文で済んだが、今回ばかりは逃げられないだろう。飲酒、喫煙、暴力沙汰。叩けば埃だらけである。
「腹減ったな……」
親指でワンコの頭を撫でると、眠ったまま尻尾をふりふりと揺らした。こいつのためにも何か買いに行ってやらないと。
出かける決意をしたそのとき、ワンコの目がぱちりと開いて、一拍遅れのインターホンが鳴り響いた。ワンコは玄関に跳ねていき、プロペラのごとく尻尾を振る。
誰だ? 新堂は訝しんだ。母親ならインターホンを鳴らす必要はないし、鍵を開けて入ってくればいい。担任が様子を見にきたのだろうか。
新堂はワンコを抱き上げてドアスコープを覗いた。そしてそこに佇む人物を見て、自分の目を疑った。
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