第十二話
きみの知らない非日常
停学が決定したのは昼過ぎだ。隣を歩く母親は、帰路の最中も新堂を咎めた。
『ねえはるくん、何かあったのならお母さんに話して……? 言いづらいことがあったんでしょう? だってはるくんが酷いことするはずないもん。何かあるならお母さんに――』
『うるせえな!』
新堂は怒鳴った。
『あんたに何がわかるんだよ。都合のいいときだけ母親ヅラして、あんなところにまでのこのこ来やがって……うぜえんだよ。早く帰れよ売女』
母親はめそめそと涙をこぼしながら『ごめんね……ごめんね』と繰り返し謝っていた。泣き声が耳障りで、新堂はまた怒鳴りつけた。狭い歩道に泣き続ける母を置いて、目を背けるように家へと帰った。
部屋から出たのは夕方頃。机の上にはコンビニ袋が置いてある。なかにはふたつの弁当が入っていた。母親は、新堂が引きこもっている間に帰ってきて、その日の飯を机に置き、静かに家を出ていったのだ。
そうして、昼飯は夕方に食べ、残された夕飯はテーブルに置かれたまま、朝を迎えた。
新堂は天井を見つめながら思った。どうして自分は、ああいう言い方しかできないのか。なぜいつも素直になれず、人を傷つけてしまうのか。
自分の心を守るために、取り返しのつかない言葉を吐いてしまう自分が嫌になる。惨めでみっともなくて、情けない。
「くそ……」
悪態をついても状況は変わらない。わかっている。停学は覆らないし、学校には行けない。まだあるテストも受けられない。
渉は新堂をどう思っているだろう。
傍らで、子犬がクゥンと鳴いた。新堂は起き上がり、子犬を抱き上げて「おはようワンコ」と頭を撫でる。仮で『ワンコ』と名付けられた子犬は、嬉しそうに尻尾を振った。
時計を見ると、もう登校時間を過ぎている。だけど、自分には関係ない……。
新堂はワンコの顔に免じて舌打ちをこらえた。学校に行けないよりも、テストを受けられないことのほうが悔しかった。渉との勝負を、約束を、こんな形で放棄しなければいけないなんて。
机の上には、昨夜持ち越した弁当が置かれている。冷え切った唐揚げ弁当。蓋を開けて匂いを嗅いだ。腐ってはいない。
新堂は箸で肉を細かくほぐし、ワンコと分け合って朝食を取った。空腹が満たされると少し落ち着いた気になる。
それでも憂鬱は晴れず、後悔の念はずるずるずるずると、長い尾を引いていた。
* * *
登校した渉を待っていたのは、B組の
「遅いね」晩夏は両手を後ろに回して渉に告げる。「
渉はシューズロッカーのゴミを捨てながら言った。「何の用だよ」
「それ、毎日やってるの?」
「お前には関係ないだろ」
晩夏はくすりと口角を上げた。「助けてあげようか」と、また意味不明なことを言ってくる。
「私が彼に言ってあげるよ。新堂
そう言って彼女はスマホを取り出し、渉に画面を見せつける。映っていたのは以前にも見た、朝霧がホテルの前で大人の女性と並んでいる写真だった。それで朝霧を脅す気か。
渉は「退学?」と聞き返した。「停学の間違いだろ?」
「停学は取り消せない。できるのは期間を短くするくらいかな」
「それでなんで新堂が退学に――」
ゴミ箱を置いて振り返ると、晩夏の顔が目と鼻の先にあった。驚いて後ずさると、彼女はまた一歩渉に詰めてくる。
「可能でしょ? 二年生の執行部なんだから」
「近いんだけど」
「彼がやらないと思う? 私は思わない。絶対に提案するよ。新堂明樹を退学にしましょうって」
晩夏の囁きが口元をかすめる。「ひゃっ」と息を呑むような声が聞こえてそちらを見ると、別クラスの女子が二人、こちらを見て顔を赤くしていた。
渉は晩夏を押しのける。
「仮にそうだとしても脅すなよ」
「どうして?」
「お前の都合に俺や新堂を巻き込むな」
晩夏は眼鏡の奥の目を細めた。「止めてくれないの?」と不満げな表情をする。
渉はため息をついて言った。「止めてるだろ」
「違う。私のこと」
「お前のためにならない、そう言えばよかった?」
「うん、そうだよ」
渉は時計を盗み見て、勉強時間を恋しく思った。
「俺は誰かのためには動かない。お前のためは、お前自身が決めればいい。別に俺はお前を止めたいとは思わないし、勝手にやってろって感じだよ。ただ俺の邪魔をするのはやめてくれ。普通に迷惑」
成績優秀で上位の学力を誇る晩夏には関係ないだろうけれど、生徒玄関で待ち伏せして駄弁るほどの余裕は渉にはないのだ。
それに、晩夏に言われるまでもない。自分のしたいことは自分で決める。誰かに任せる気なんて毛頭ない。
「……だから……彼に気に入られたんだね」
すれ違いざまに晩夏はぼそりと呟き、渉の袖を後ろからつまんだ。斜め後ろで連れ添うように歩きながら晩夏は言う。
「最近、二年生の欠席者が多いって知ってる?」
本当に唐突だなと思いながら、渉は無言で続きを促した。
晩夏は渉に腕を絡めてさらに密着する。抵抗しても離れてくれず、渉は袖をつまれた際に鞄を移しておけばよかったと後悔した。凛に見られたらどうしてくれるんだ。
「A組の
「え?」
「行方不明……らしいよ。それに加えて、逮捕者と停学処分。学年全体が不穏だね」
渉は「待て待て待て」と言って足を止める。
「それいつの話?」
「最近だよ。今週の頭。ズル休みかなって先生は思ってたみたい」
今週、つまりテストがはじまってから。教師は生徒がテスト嫌いで来ていないと思い込んだのだろう。土日明けのタイミングならそう考えてしまっても仕方ない。
だが、行方不明? 転校生の欠席は知っているが、彼女は最初のテストには登校していたはず。しかしそれ以外は初耳だ。
渉は自分のことに精一杯で、他クラスの事情を把握していなかった。たとえそれが幼馴染の親友でも。
(凛は……?)
凛はこのことを知っていたのだろうか。
響弥のことで、渉が落ち込んでいるのではないかと気遣い、凛は何も言わなかった……?
だとしても、
「学年じゃとっくに噂になってるよ。でもテスト期間だから、お知らせされるのは終わってからかもね」
晩夏の言うとおり、聞くのは今じゃない。
凛のことを考えろ。凛だって苦しいはずだ。渉が響弥のことを思うように、凛も千里のことを知れば不安になる。そしてその不安を、笑顔の下に隠しているのかもしれない。それをほじくり返すような真似はできない。少なくとも、公式発表されるまでは。
晩夏はふふっと笑うと軽快な足取りで階段を上がり、くるりとスカートを翻して振り向いた。
「あなたの親友も逮捕された」
次は誰が消えるんだろうね。
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