電光石火

 ネコメ刑事の注目の集めようは異常だ。下校する生徒は必ず二度見するし、響弥を呼ぶまで三年生の女子が束になって話しかけていた。堂々と学校裏にいても通報されないのは見た目がいいからか。先輩たちは「誰? 従兄弟とか?」と響弥にまで視線を送りはじめる。


(最悪だ……)


 ――いや、最高かもね。

 響弥のなかで大人しくあぐらをかいていた茉結華が、赤い目をすぅっと開いて言った。

 ――だって、

 茉結華はニヤリと口角を上げて、隣の凛を見る。


 凛は吸い込まれるようにまっすぐネコメを見つめていた。そして響弥の視線を感じ取り、「呼ばれてるよ」と事実のみを促す。そこは『誰? 知り合い?』ではないのか。

 あのネコメを前にしても疑問を抱かない凛に違和感を覚えたが、響弥は苦々しげに笑い、「……知り合い。紹介しよっか」とトーンを強めた。

 しかし凛は、「ううん、大丈夫。私はいい。じゃね、また」と、どこか急かした雰囲気で回れ右をする。表側に引き返す凛の背中が小さくなっていく。


 ――逃げられた?

 響弥も感じ取った違和感を、茉結華ははっきりと苦言する。ネコメに対する凛の視線はまるで畏怖だった。そんなにもあの刑事が神々しく見えたのか。近付き難いオーラをまとってはいるが、ほかの警察ほどではないだろうに。鈍感な好奇心を持つ人ほど話しかけそうなものだが、凛はそうではないのか。


「響弥くん聞こえてます?」

「わあ!?」


 至近距離にあたかも浮かび上がった人の気配に響弥は大げさに跳ねる。幽霊のようにネコメは斜め後ろに立っていた。


「っす……聞こえてます」

「うふふ。おかえりなさい。ご飯でも食べに行きますか」

「……っす」


 この人といると、いつからそこにいたんだと思わされるから苦手だ。急に現れて、急に消える。存在がマジックのような人。

 どうせ断っても家まで付いてくるんだ。そこで上げろと言われるよりは、今言うことを聞いておいたほうがマシである。


 響弥はしぶしぶ返事をしてネコメと共に藤北を離れた。「なんで学校まで来たんすか?」と問うと、ネコメは「行きたいお店が近くなんですよ」と答える。確かにこの近くにはいろんなお店があるが、それでも車くらい用意しとけよと不満に思う。

 家の前に来るときもそうだが、この人の乗ってきたであろう捜査車両は一度たりとも見ていない。どうやってここまで来たのか足取りが掴めず、響弥といるときだけ地上を歩いていて、本当は空でも飛んできたんじゃないかと錯覚してしまうくらいだ。


 またショッピングモールに行くのかと思いきや、ネコメは裏通りを渡って駅前方面へと進んだ。この辺りは特に飲食店が並んでいるが――「あ、ここです」と、

 ネコメが止まったのは、『リデル』というカフェの前だった。

 茉結華の鋭利な目が、さらに吊り上がる。


「ここのミルクティーとてもおいしいんですよ」

「へえー……そうなんっすかー」

「お嫌いでした?」

「ん、別に」


 響弥と茉結華の気持ちが一緒くたになる。――こいつ、何を思ってこんな場所に。

 店内に入ると、入り口で待機していた客の視線が一斉に集まった。こんな満員の店に入るのかと構えていると、予約席へと案内された。その間も人の視線は自然と集まるし、拷問みたいな席である。

 まずい、落ち着け。表情が作れない。強張ったらおしまいだ。大丈夫。響弥が責められることなんて何もないのだから。


 ネコメは向かいの席に座って、宣言通りミルクティーを頼んだ。響弥はアイスクリームとメロンソーダを注文する。

 こないだのように、茉結華が隣に来てくれることはない。


「どうですか、テストのほうは。うまく行きそうですか?」

「いやぁ、まあまあっすよ。中の中の成績なもんで」

「藤北のテストは難しいって聞きますからね」


 響弥は空いた時間に怯え、適当に話を振って気を紛らわせる。


「ネコメさんは……学生時代どうだったんすか? 頭よかったんすか?」

「私はもうトップ中のトップですよ」

「えーっ嘘っぽー」


 響弥の作り笑顔に比べて、ネコメは、うふふと飾り気なく笑う。笑って、是非を言わない。

 この若さで捜査一課の刑事をしているんだ。昔から賢く、頭の切れる人なのだろう。

 テーブルにドリンクとアイスが届き、甘いシロップの香りが鼻孔に広がる。響弥はすぐにスプーンを取って、アイスを頂いた。話しかけられたくないときは口にものを詰めるのが一番だ。ネコメもストローでミルクティーの氷をからからと混ぜる。


「響弥くんがテスト頑張れたら、ご褒美上げちゃいましょう」


 響弥はアイスを食べる手を止めて視線を上げた。ご褒美という甘美な響きに少しだけ興味が湧く。


「ふーん、何っすかー?」

「何がいいですかー?」

「マンション買ってくれますかー?」

「あ、一緒に住みますかぁ?」

「え、マンションに住んでるんすか?」

「最近引っ越そうかなぁと考えてまして」

「あー……そうっすかー。いやぁ結構っす」


 面倒な質問には冗談で返す。だいぶネコメの扱いにも慣れてきたが、こちらが探ろうとするとのらりくらりとかわして正確には答えてくれない。響弥との間に信頼関係はなく、それはこれからもずっと。

 別にいいけど。こっちも警察のお世話になんかならないし、と響弥は口を曲げてメロンソーダをちゅうっと吸った。

 ネコメの口元が、フッと息を吐いた。


「ではこういうのはどうでしょう」


 刑事は日向にいる猫のように目を細めて、ドリンクに夢中になる響弥の頭に、

 ぽん、と手を置いた。


「――――」


 ばちんと頭のなかがショートしたと同時に、響弥はその手を弾き飛ばしていた。振り上げた手の影に隠れて瞳が真っ赤に充血する。全身の血が逆流する。

 響弥は鋭く吊り上がった目で刑事を睨んでいた。いや、そこにいたのは響弥ではなく、響弥だった者。彼に憑依した何かが、敵意を剥き出しにしてネコメを見やる。

 ネコメはまん丸い目で瞬きを繰り返し、弾かれた手を宙に浮かせたまま静止する。


「……お嫌いでした?」

「…………」


 眉間が燃えるように熱い。どろどろになった殺意が一塊になろうと渦を巻く。この場で殺してやりたいと願う怪物と冷静な自我がせめぎ合い、響弥は撫でるように瞳を閉じた。


「髪、いつもセットしてるんで触られたくないんすよ」


 瞳を開けた響弥は普段の顔つきに戻っていた。できるだけ笑顔に見えるよう心がけるも、目を笑わせるのは不可能だった。


「そうでしたか、それは申し訳ないことを」


 そう言ってテーブルに置かれたネコメの手を、響弥は気づかれぬようチラ見した。

 ――平気だ。一瞬撫でられただけ。染色剤は付着していない。


「あの、すみません、今のって公務執行妨害になりますかね? 思い切り叩いちゃったんすけど」

「いえいえ、大丈夫ですよ。私のほうこそすみません。若い男の子に、軽率でした」


 この人に若いと言われてもあまり嬉しくないが。響弥は、今もこちらに意識を向けているであろう注意を促す。


って年下に対しても敬語っすよね。自分のこと私って言うし、硬くないっすか?」


 耳のいい彼女はこの話を聞いているはずだ。どんな声をも聞き分けて、様々なキャラクターを使いこなす、ずば抜けた演技力を持つ彼女なら。


「それはまあ刑事ですので。仕事中はずっとこうですよ」

「今も仕事中なんだ?」

「もちろん」


 刑事はニコリと笑って立ち上がると、ポケットからお札と、折り畳まれた白い紙を取り出した。裏口のほうから悲鳴が聞こえたのはそのときだった。

 何? どうしたの? と店内がざわつきはじめる。厨房のほうを振り返るネコメの視線を辿ると、「大人しくしろ」とスーツ姿の大柄の男が、女性店員を取り押さえていた。

 ネコメは男の一瞬の視線を受け取ると、「すみません。もう行かないと」と千円札をテーブルに置いて歩いていく。


稗苗ひえなえ永遠とわ。叔父の殺人容疑で署までご同行願います」


 ネコメは白い紙――令状を広げて、女の前に提示した。

 目の前で行われた怒涛の逮捕劇に、客たちは携帯でカメラを撮ったり内緒話をしたりしてどよめいている。


 響弥は荒い口呼吸を繰り返した。足の震えが止まらず、全神経が刑事たちに持っていかれる。いったい、いつから――どこから――誰が――

 ――あいつか。あの目配せしていた男。

 あいつが、ネコメの相棒で、刑事で、仲間で、協力していた。


 ――響弥を監視するように見せかけて、本当はトワちゃんを狙ってたんだ。


 響弥に接触するネコメはただの表向き。裏ではあの男が別の調査を行なっていた。そしてこの店を選んだ時点でわかるとおり、響弥との繋がりもバレている。

 どうにかしなければならない。早急に。いち早く。しかしどうやって――? いつまでもいつまでも動きを封じてくるあの刑事を、どう処理する?


 ……いや。まずはあの二人からだ。何もしないと思い込んでいる今がチャンスだ。

 このままで済むと思うなよ。

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