第九話
雨の席
十四番のシューズロッカーを開けると、なかから大量の紙くずが雪崩れ落ちてきた。紙くずはどれもぐしゃぐしゃに丸められて隙間なく詰め込まれており、上段にしまわれた上履きも引き出せない。
幸い同じ通路には誰もおらず、渉は自分の靴箱を見下ろして「うわ……」と遅れて言葉を発した。ここゴミ箱じゃないんだけど……と冗談のひとつでも言えればよかったのだが、今はいったい誰がこんな真似をしたのか疑問ばかりが浮かぶ。
例えば昨日の一件、弁当騒ぎで迷惑を
心当たりがありすぎて、戸惑う。
さすがにクラスメートの仕業とは思いたくないし、タイミング的には宮部たちが濃厚だろう。A組の生徒は、しようと思えば今までにもできたはず。人を疑うようで自分自身に嫌気が差すが、渉はいつの間にか敵を作りすぎていた。それもここ数日間で、どっと増えたのは間違いないだろう。
仕方なく、昇降口のゴミ箱をロッカーまで持ってきて、片手で流すようにまとめて捨てた。紙くずには何かマジックペンで文字が書いているようだったが、わざわざ犯人の仕向けた誹謗中傷を見てやる気はない。犯人の名前が書かれているわけでもあるまいし。
シューズロッカーを片付けた後、上履きを履いて教室へ向かった。ドア前でクラスメートの
杉野は、長い前髪の下で両目を泳がし、ふいっと顔を逸らして渉の横を無言で通り過ぎた。友達だと思っていた杉野のらしくない態度に、渉の胸中は『えっ』と小さく目を開く。杉野はそのままスタスタと早歩きで階段を下りていき、残された渉は居心地悪く顔を引きつらせながら教室に入った。
ほかのクラスメートが、意味ありげな咳払いと不審な目を向けてくる。そして渉はそれを見て、意識が遠ざかるのを感じた。
窓際最後尾の机と椅子がなかった。本来あるべき渉の席が、跡形もなく消えている。まるではじめからそこになかったかのように。はじめから渉はこのクラスの一員ではなかったかのように。跡形もなく。
(ここまでするのかよ……)
全身から血の気が引いて寒気を覚えた。空白になった席を見下ろして、開いた口から唾液が垂れないようにしっかりと飲み込む。
――俺は、こんな仕打ちをされるようなことをしてしまったのだろうか……。靴箱にゴミを詰められ、クラスメートに無視をされ、自分の席さえも奪われるような酷いことを……。
渉は拳を握り締め、鞄を肩に掛けたまま教室を出た。落ち込んでいる場合じゃない。早く見つけて戻さないと。
しかし廊下を見渡しても机は見当たらない。どこに運ばれてしまったのか……。宮部たちの仕業なら校舎内などという甘いことはないだろう。
とりあえず一階に行くかとため息をついて、渉は階段を下り切り、あ、と小さく口を開いた。中庭の窓ガラスに手を付けて呆然と立ち尽くす杉野の横顔が、視界に飛び込んできた。その視線の先には、渉の机と椅子が――雨でびしょ濡れのベンチの脇に無造作に置かれている。
「杉野!」
呼び止めながら駆け寄り、「あの席ってもしかして……」と目線を送る。杉野は逃げ惑うこともなく、薄い唇を噛み締めて「たぶん……」と頷くように顔を伏せた。
「俺も今見つけて……教室に行ったら、
泣き出しそうな杉野の震え声を聞いて、これが正しい反応なのだろうと思った。自分はどうかしている。こんな目に遭っても頭はスッキリと冷え切っていて悲しくもない。ショックで感情が麻痺しているようだ。
「悔しいよ、みんな見て見ぬふりして……陰で……」
杉野は気まずそうに渉の顔色を窺った。失言だったのだろう。言葉の続きは、陰で――悪口を、か。
渉は杉野の隣に並び、雨の降り続ける中庭を見つめた。机の上で逆さまになった椅子や天板からは、止まらぬしずくがぽたぽたと虚しく垂れていた。
* * *
「それいじめってやつ?」
昼食の焼きそばパンをごくりと飲み込んで、
渉は、今朝の出来事を聞いて眉をひそめる親友に、「いじめって言うか嫌がらせだろ」と強がった。響弥は「それをいじめって言うんじゃね?」と言い返し、怪訝な顔で小首を傾げる。渉は響弥の机で頬杖をつき、むぅと不満げに唇を引いた。
C組で昼食を取るときは、いつも
「でもやること陰湿だよな。女々しいっつーか男らしくないっつーか」
「まあ正面から力業見せちゃったしな……」
「力業?」
「何でもない。でも響弥には話しておこうと思って。なんか変な奴らに絡まれたら俺に言えよ?」
外に出された机と椅子はタオルで入念に拭いて教室に運んだ。杉野は手伝うよと言ってくれたが、誰かに見られたら迷惑がかかると思い、気持ちだけありがたく受け取った。
響弥は焼きそばパンをもちゃもちゃと頬張りながら素直に頷く。
巻き込みたくはないが、一番距離の近い響弥には話しておこうと思い、いつメンには気を遣ってもらったのだ。
「なあ、俺の話も聞いてくんね?」
好物を食べ終わった響弥は前のめりになって、内緒話をする態勢を取った。ん、と瞼を上げて話の先を促すと、響弥は静かに周囲を見渡してから、
「渉には疑われたくないから言うんだけど……最近付けられててさ」
「誰に?」
一瞬でも宮部たちのことが頭をよぎり、渉は語調を強めて響弥を見据えた。響弥は手のひらを口の端に寄せて、「こないだの刑事」と小声で続ける。
「あの人あれからもしつこくて。こないだしたテスト勉強の帰りも家の前に立ってたんだぜ?」
刑事――あの鼻眼鏡をかけた変な人かと、渉は容姿を思い浮かべた。先週校門前で出くわしたあの色の薄い刑事。異様な雰囲気を醸し出していたあの刑事が、まだ響弥と接していたとは。
「でもあの人の目的って親父さんについてだろ?」
初対面した日の夜、響弥からそのような事情をメールで聞かされている。なんだ、響弥のことじゃないのか、よかった……と胸を撫で下ろしたものだ。
「そうだけどさぁ……いい加減うざいっつーか、迷惑っつーか」
「じゃあそう言えばいいだろ」
「でもいろいろ奢ってくれんだよ。飯とか服とか筆記用具とか」
「滅茶苦茶いい人じゃん」
「だから断りづらいんだって」
思えば、渉が
「でもやっぱ監視されてるような気になるんだよ。いい迷惑ってやつ?」
「やましいことがないなら別にいいだろ」
「警察といて喜ぶ奴いる?」
「俺は嬉しいけど。いろいろ聞きたいし」
「渉は嬉しいだろうな、渉はな」
とは言え何度も会いに来られるのはさすがに困るのか。時期もテスト週間だし……いや、勉強しない響弥には関係ないのかもしれないが。
「お前ほんとに何もやってないんだろうな?」
「やってねえよ! 万の引きもしたことないよ!」
「してたら許さねえよ」
「してねえよぉ!」
響弥は机に突っ伏してドンドンと拳を叩きつける。親友が悪さしていようものなら徹底的に叱りつけてやるが、渉も響弥を信じているため、疑うのは冗談である。
しかし現状を考慮すると、響弥のそばに警察がいるのはプラスに繋がるのではないか。仮に問題児たちに襲われても、バックに大きな力が構えているのは渉としてはありがたい。
極力迷惑はかけないようにする。だが響弥には慕ってくる刑事が付いているし、凛には最強の姉がいる。警察と弁護士。どちらも心強い用心棒だ。
渉には、誰が付いているのだろう。
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