危ない勉強会
放課後の教室の席で、彼女の小坂めぐみといた朝霧
「朝霧、勉強を教えてくれ」
「はあぁ?」
と言ったのは小坂めぐみ。ずい、と前のめりになり、「残念だけど修はこれから私とデートだから」と声を張り上げる。
覗き込むような彼女の姿勢に圧倒されつつ、渉は「そうなの?」と朝霧を見た。学年一位の彼に教われば、効率よく点数を上げられると思ったのだが。
「うん。今日は
「あ、そっか……」
今日は千里の誕生日。トークに通知が来るため、渉もお祝いメッセージを送っている。
「あんた千里と仲いいくせにそんなことも忘れてたわけ?」
小坂は可憐な顔を歪ませてため息をつく。馬鹿にされたような気がして、渉はムッと顔色を曇らせた。
「忘れてない。メールでおめでとうは言った」
「へえ、それだけ?」
「それだけだけど」
「ふーん。あんた見かけどおりの冷たい奴ってことね」
「……は?」
「友達だったら祝ってあげるのが普通でしょ?」
「それはきみの都合だろ。俺には俺の都合がある」
「だから冷たいって言ってんの」
「俺には友達らしいことをして必死に縋り付こうとしてるみたいに見えるけど」
「は?」
「祝ってあげるって、すげえ上から目線じゃん」
小坂はぶわっと顔を赤くして、ピンクのツインテールを逆立てた。
「あ、あんたに言われたくないもん! 修に近付かないでよ!」
「めぐみ――」
ここまで黙視していた朝霧はようやく椅子から腰を上げ、「みんなが見てるよ」と小声で諭した。まだ教室に残っていたA組生の誰もが、渉と小坂を忌避するような目で見ている。
渉は、うっ、と口をつぐんだ。小坂も顔を赤くしたまま、パッと隠すようにうつむく。少し言い過ぎたか。朝霧を前に、何をムキになっているんだか。
「それじゃあ、こうしよう。松葉さんの誕生日を祝うついでに、望月くんの勉強会もするってことで。それなら二人共納得するだろ?」
俺は別に今日じゃなくてもいいんだが。渉はそう思いながら、朝霧と小坂を順に見た。小坂は丸い目で朝霧を見上げた後、渉をやはり不貞腐れた目でじとりと見る。
「修がそう言うなら……」
「俺はいいけど……」
「じゃあ決まりだね」
朝霧は机上のプリントを持って、鞄を肩に掛ける。
「僕は職員室に寄ってから行くよ」
「場所は?」
渉の問いに、朝霧は廊下に出てから答えた。
図書室に顔を出した渉と響弥に、パアッと笑顔を向けた小坂は、ころっと鋭い顔つきに転じる。彼女の後ろには千里が、もう席に着いていた。千里は渉たちに気づくと「あ!」と言って手を振る。朝霧じゃなくて悪かったなと思いつつ、渉は千里に手を振り返した。
「朝霧くんと勉強するんでしょ? いやぁ、お邪魔しちゃって悪いねぇ」
「そんなことないよ。ちーちゃんも、誕生日おめでとう」
「にはははー、ありがとー」
千里は照れ笑いで後頭部を撫でる。先約にお邪魔したのは渉のほうだが、小坂は別として、千里は気にしていないようだ。
テスト勉強のために図書室を利用する生徒は少ない。今いるのも千里と小坂のみで、先生の姿もなかった。部活動停止中に、わざわざ学校に残る物好きはいないらしい。
渉も席に着き、問題集を広げた。響弥は隣に腰掛けて、テーブルの上を見渡している。朝霧は飲み物を買ってから来るそうだ。
「これ食っていいの?」
「まだに決まってんでしょ」
テーブルを指差す響弥を、母親のごとく小坂が制す。机上にはすでにお菓子と紙コップが置かれていた。学校前のコンビニで買ってきたのだろう。用意がいいなと渉は感心した。
「ねえ、人が増えるなんて聞いてないんだけど」
「増えたんじゃない。元から誘ってたんだ。な、響弥?」
「あ、うん。よろしくめぐっちー」
チッと小坂は舌打ちして「修の知り合いじゃなかったら追い出してるのに」と悪態をつく。校門前で出会ったときから感じていたが、朝霧の前とそれ以外では態度が違いすぎないか。清々しいまでの猫っ被りである。
「ねえめぐっちー。祝ってくれるのは嬉しいんだけど、図書室って飲食禁止じゃない?」
「え、そうなの? まあいいじゃない。バレたらバレたでそのときよ」
「悪ガキだな……」
「何か言った?」
何もー、と間延びしながら、渉は参考書を取りに向かった。飲食禁止ではないが、当然汚さないよう気をつけたほうがいいだろう。
渉は勉強コーナーの札が掛かった棚を前にした。ここには数多くの参考書類が学科別に取り揃えられている。種類は市の図書館のほうが豊富だろうが、質なら藤北も負けていない。
どれにしようかと悩んでいると、背後に小坂の気配がした。
「あんたさぁ、A組でなんて呼ばれてるか知ってる?」
渉は無視して参考書を集める。なんて? と聞かなくても、どうせ告げる気満々だろう。
小坂は後ろでほくそ笑んで、「朝霧くんの金魚のフン」と言った。渉は振り向き、
「知ってる」
A組生が、朝霧と一緒にいる渉をどんな目で見ているか。陰でどんなことを言っているか。そしてその言葉が、小坂めぐみ自身にも向けられていることも――
「ちょっと、もっと嫌がりなさいよ」
小坂は、席に戻ろうとする渉の袖を摘んだ。千里は誰かから貰った手作りカップケーキをもしゅもしゅと食べ、響弥は漫画を積んでいる。
「嫌がったところで解決しないだろ。言いたい奴は言わせておけばいい」
「そ……それはそうだけど」
きみも同じ考えだろ、とは言うまい。その歩み寄りはきっと、彼女のプライドを傷付ける行為だ。だから渉は、「さっきは悪かったよ」とだけ言って席へと戻っていった。
一瞬だけ、扉が隙間を作った。
ひと気を感じて見たときには、綺麗に扉は閉まっていて、渉はおやと首を傾げる。
「どした渉」
「今誰かいたような」
「朝霧じゃね?」
渉もそうかと思ったが、ならばなぜ一度部屋を確認したのか。怪しげに窺う渉に代わって響弥は難なく立ち上がり、臆せず扉を開けた。
立っていたのは、きょとんとした様子の朝霧だった。
「やあ。神永くんもいたの?」
「渉に誘われたから仕方なくな」
「ならきみも勉強会側か」
「そう、なるのか?」
よく意味がわかっていない響弥を避けて朝霧が図書室に現れると、小坂がきゃっきゃと飛び跳ねながらその手を引いた。朝霧の席は小坂の隣。渉の正面である。彼が来たことで心なしか部屋の温度が数段階上がったような気がした。
「朝霧、さっき部屋の前に誰かいた?」
「誰も?」
「……確かにいたんだけどな」
うーん、と渉は首をひねる。ほかにこの場に呼ばれている人物がいたとしたら――「あ、」
小坂がぽかんと口を開いた。
「もしかしてめあ――」
「わー! わー! わー!」
立ち上がった千里は両手を広げて大きく振る。
「あ、アレかな? うちらが誘ったお友達で、でもさっき来れないってメール来てたから、もしかしたら直前まで様子見に来てたのかも!」
「え、嘘。ほんと?」
「ほんとほんと」
言われて小坂はスマホを確認する。「ほんとだ」と言うと、少し残念そうに眉根を寄せた。
千里だけでなく、小坂に連絡を送る人物。二人の共通の友人――
「もしかして凛?」
何気なく訊いたつもりだった。確証なんて、なかった。渉には凛以外思い浮かばなかっただけで、そんな軽い気持ちで訊いたのに。
けれど千里は、目に見えて苦い顔つきになり、「違うよー」と、困った笑みを浮かべた。まるで、それだけは言われたくなかったと、痛みに耐えているような顔。
渉はそれ以上追及できず、声にならない声でこくこくと頷いた。まあ、友達なんていくらでもいるか。二人共、人脈は広そうだし。そう自分に言い聞かせて、たったひとつの違和感を取り除く。
「というか渉くん、その右手どうしちゃったの?」
「そうよ、超痛々しいんだけど」
「……いろいろあったんだよ」
もはや説明するのも億劫で、渉は誤魔化しもなく詳細を省いた。こうも一日中聞かれては、答える側も参ってしまう。
「お主、もしや目覚めてしまったのか……封印されし右腕の力に。邪気眼に」
「意味がわからない」
「なあ、お菓子食っていい?」
「お前はそればっかだな」
「何を言ってるんだ? きみらは食べれないよ」
と、さも当たり前のように言った朝霧を、渉と響弥は「え?」と揃って見た。
「きみらは勉強。めぐみと松葉さんはお祝い。僕はどっちも兼ねてる。だからきみらは摘み食いなんてできないよ」
「そ、そうなのか、渉?」
「俺に振るな」
さらに朝霧は、響弥にこう続けた。
「神永くんはどうして漫画を読んでるの?」
「えっ」
「どうして、漫画を、読んでいるのかな。ここは勉強の場なのに」
響弥はゴクリと喉を鳴らすと、開いていた漫画を閉じて、すぐさま教科書類を取り出した。従順にも手は自然と膝に乗せてしまっている。
「わかればよろしい」
朝霧はにっこりと完璧な笑顔を作った。傍から見れば天使のそれは、渉と響弥には悪魔の微笑み。透明のリードでがっちり繋がれたふたりは、「お手柔らかに……」「お願いします……」と首をすくめた。
「朝霧くんって案外スパルタなんだ……」
「ドSな修もかっこいい……!」
こうして一時間半に渡る誕生日会――否。渉と響弥にとっては地獄の勉強会がはじまった。
* * *
ふらつく親友に肩を貸して、渉は生徒玄関まで歩いてきた。
「……が……共に……絶対収束するならば……次の、級数は……」
「響弥、しっかりしろ」
「……からなる……数列……単調減少で……イコールゼロを満たせば……」
「頼むから、呪文やめて」
図書室を出た後もブツブツと証明を唱え続ける親友に、若干の恐怖を覚える。響弥の目はぐるぐると回っており、足取りもどこか覚束ない。渉は苦手な英語を、響弥は無難に数学を、朝霧に叩き込まれたわけだが――
朝霧のスパルタによってキャパオーバーした響弥の脳みそは、苦手科目でもないのに見事に破壊されてしまった。人間、混乱の臨界点を超えると本当に目を回すことを、渉は今日はじめて知った。
かく言う渉も、疲れた様子で靴を履き替える。最初は心地よかった朝霧のネイティブな英語も、もうしばらくは聞きたくない。響弥の場合は顔も見たくないだろう。
「お疲れ様。あとは家で復習するように。次はいつにする?」
「今決められる心理状態じゃない」
「僕はこの後でもいいんだけどなあ」
「俺はよくない。響弥を直せ。お前が壊したんだろ」
「おいしいもの食べたら戻るんじゃない?」
「適当だな……」
千里と小坂はこの後も盛り上がりたいからと、渉たちより早めに切り上げていった。向かった先はどちらかの家か、カラオケか。
テストも近いのにと言いたいところだが、友達の誕生日くらい羽目を外してもいいだろう。まあ、彼女たちがいなくなってから朝霧のスパルタが余計に加速したので、正直に言えば最後までいてほしかったが。
渉は朝霧に背伸びして、耳元に手を当てる。
「お前、彼女とは順調なんだろうな?」
「順調って?」
「もう危ないことしてないかってこと」
「ああ、してないよ。きみがやめろって言ったからね」
「ならいいけど……。大事にしろよ?」
「大事にするよ。自分のことも望月くんのことも」
「彼女のことも、な」
朝霧はふふっと口元に手を寄せて、「そうだね」と朗らかに笑う。本当にわかってるのか。わかっているから冗談で返すのか。
「渉……渉ぅ……」
響弥は依然、起きながらにして悪夢にうなされている。襲いかかるゾンビのような動きで両手を伸ばし、ふらふらと渉を求めている。
「ほら、恋人が呼んでるよ」
「誰が恋人だ」
渉は倒れそうな響弥を支えて、「しっかりしろ」と顎を掴んだ。響弥はタコの口を作って「うぶうぶーうぶー」と言語化できない何かを話す。
「俺この後買い出しあるんだけど」
「置いていけば?」
「お前本当に血も涙もないな」
ため息をついて言った渉だったが、結局朝霧に響弥を押し付けて、最寄りのスーパーを訪れた。響弥は朝霧の肩に顎を乗せてふにゃふにゃ言っていたが、渉が離れるとすぐに悲鳴を上げていたので、おそらく正気に戻ったと思われる。
日用品を巡るその途中で、渉は、新堂明樹と出くわした。菓子棚のひとつを食い入るように見つめていた彼は、スティックタイプの栄養食品を手に取って――
素早く、ポケットにしまいこんだ。
渉は、立ち去ろうとした新堂の、ポケットに入れたほうの手を掴んで、黙って首を横に振った。
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