the twisted love

「どうして――」

「なんで――」

虹成にいながここに?」

「あんたがいるの?」


 好天に恵まれた日曜日の遊園地レプスディアランドで、朝霧兄妹の困惑した声が重なった。


 遡ること二十分。朝霧修は、電話で呼び出された駅前の広場にて、彼女――小坂めぐみを探していた。髪の乱れも気にせず必死に駆け回り、彼女の名前を幾度も呼ぶ。最終的には中央広場に戻り、息を切らして周囲に首を回していた。


「修!」


 声に振り向くと、広場で唯一のピンクヘアーが目に入った。晴れやかな顔で小走りしてきた小坂は、ショルダーバッグがずり落ちないように気をつけつつ朝霧の胸に飛び込む。朝霧はぎゅっと抱き締め返した。


「めぐみ……無事か?」


 神妙な面持ちで訊くと、小坂は慌てて顔を上げ、「あっ、えっと……、うん!」と緩急を付けて頷いた。「ごめんね?」と両手を合わせる彼女に嘆息して、朝霧は「よかった……」と強く抱き締め直す。

 修! 助けて! い、今すぐ駅前の広場に来て! 電話の声はそこで途切れていた。現地集合の予定のため、向かう途中で何かあったのだろうと、わけも聞かされずに駆けつけたが、とりあえず彼女は無事だった。怪我もないようだ。


「修……ごめんね、心配してくれてありがとう」


 小坂は腕のなかで嬉しそうに微笑む。普段ならツインテールの崩れを気にしてやっているところだが、今日は髪を下ろしているので遠慮なく抱き締められるなと、朝霧は呑気なことを思った。

 何があったんだとは訊かない。そんな無粋な真似をしても、朝霧の満足行く答えが彼女の口から出ることはない。話したいなら向こうから言ってくるだろう。今は精一杯、彼女を思って心配していればいい。正確には、心配する素振りを。

 朝霧は、探しているふりだけして、微塵たりとも焦っていなかった。転じて生じる安堵もない。


「一緒に行こっ」


 えへえへと緩む頬に力を入れて、小坂は朝霧の手を取った。

 駅前のバス停から遊園地行きのバスに乗って、まっすぐ目的地へ向かう。その間、朝霧は小坂の服装を褒めたり、食事の予定や乗りたいアトラクションの話題に徹した。


 小坂めぐみは、どんなファッションにも同じチョーカーを着けてくる。バックル部分がハート型になっている、女の子らしいピンクのチョーカーだ。「まだ着けてるんだね」と言うと、小坂は決まって「修が買ってくれたものだから」と頬を赤らめる。初デートの日に、朝霧がアクセサリーショップでプレゼントしたものだった。

 欲しそうにしていたので買ってやっただけだが、以来彼女はどんなときもそのチョーカーを身に着けている。学校でも休日でも、制服だろうと私服だろうと。飽き性でひとつのものに固執しない、一種のコレクターである朝霧にはわからぬ感覚だ。


 バスを降りてゲート前に向かう途中で、朝霧は歩行速度を緩めた。開園を待つ人々のなかに、見知った子供がいる。一人は女子で、一人は男子だった。小坂に手を引かれる形で近付くと、相手もこちらに気づき、露骨に顔を歪めた。

 そして場面は冒頭に戻る。


「じ、実はね! 虹成ちゃんとも仲良くやれたらいいなぁって、めぐ考えたの。でね、虹成ちゃんにもお友達連れておいでってチケットを渡して……」


 小坂は、朝霧と妹を交互に見るうちに徐々に言葉尻を弱めていった。兄妹は冷めた目で小坂を見ている。この場で笑っているのも盛り上がっているのも、彼女だけだった。


「集合場所を変えたのはこのため?」朝霧は淡々と訊く。「僕が先についたら混乱を招くから、だから嘘の呼び出しで合流したんだろ」お見通しだと言いたげに、静かに威圧する。

 小坂は視線を下げて、こくんと頷いた。


「ごめん……勝手なことして、嘘ついてごめん……」

「どうして。最初から言ってくれればよかったのに」


 朝霧はため息混じりに眉をひそめた。言えば反対されると思ったのか、まったく勝手な真似をしてくれる。

 小坂は唇をぷるぷると震わせて、怯えるように身を縮めた。ほかの者が相手なら言い返していそうな強気な子だが、朝霧に対してはいつもこうだ。嫌われたくない一心で、その場しのぎの反省を繰り返す。


 硬直を続ける二人の間に、「あのー……」と男子が声をかけた。ウエストバッグを身体に斜め掛けして、キャップ帽を後ろ向きに被ったアクティブな、もとい場違いな少年。


「俺、いちゃ駄目な感じっすか?」

「きみは何?」


 すかさず朝霧が尋ねると、男子は引きつった笑みをへらへらと浮かべた。


「えっとぉ、朝霧さんの同級生の萩野はぎの匠斗たくとっす。みなさんとははじめましてっすよね、今日はよろしくお願いします」


 ――こいつ萩野拓哉たくやの弟か。

 僕も朝霧なんだけど。そうにこやかに言えばどんな顔を見せるだろう。加虐心が疼く以前に興味が失せたので、無難に返しておいた。


「よろしく。僕は朝霧修。こちらは恋人の小坂めぐみさん」


 小坂は弾かれたように朝霧を見上げ、ぷしゅーっと蒸気が立ちそうなほど顔を紅潮させた。恋人認定されて嬉しいのか、それはよかった。

 匠斗は「へ?」と間の抜けた声を発する。


「あ、あさ……。も、もしかして、朝霧さんのお兄さんとか……?」


 途端に低姿勢になって、匠斗は半袖を指で擦った。朝霧はぷふっと失笑する。


「虹成と付き合ってるのに知らなかったの?」

「はあ?」

「つっ、つつつ付き合ってないっす! まだただの友達っす!」


 虹成と匠斗は同時に否定する。――へぇ。まだ、ね。

 虹成の反応を見る限り嘘はついていない。しかし匠斗は酷く動揺しているようだ。朝霧はニコニコと笑いながら、「なんだ、てっきりそうなのかと。僕の勘違いだったね」と妹に変な虫が付かぬよう牽制する。必然的に虹成の紹介は不要となったが、ぶすっと唇を曲げて腕を組んでいるため、最初から希望はゼロだろう。


「ねえ、匠斗ってうちの学校にお兄ちゃんいる?」と、小坂は早くも呼び捨てで、余計なことを追及した。


「そうっす! 二年生の萩野拓哉ってのが兄ちゃんっす。知り合いっすか?」


 小坂は朝霧の顔色を窺いつつ、うん、と顎を引く。訊かなくても察しろよ、と彼女に言うのは酷か。朝霧は萩野に弟がいるのを知っていたが、小坂はそうじゃないようだし。知っていてもどうせ尋ねていただろう、同じことだ。


「僕らも二年生だからね。クラスは違うけど当然知ってるよ」


 元バスケ部で交流があったことは伏せておいた。これ以上イカ臭い中学生男子の相手をする気はない。


「修はね、元バスケ部で萩野くんと仲良しだったのよ」

「に、兄ちゃんと朝霧さんのお兄さんが、仲良し……!」


 匠斗は瞳をキラキラ輝かせて、うおおおおお……と興奮しはじめる。虹成は笑顔を保ち続ける兄と、そんな兄に尻尾を振っている同級生をちらちらと見ていた。

 そうしているうちにも開園の知らせが鳴り響く。小坂はすっかり調子を取り戻して、「さあ、行こ行こ!」とスキップした。次にプレゼントするのは猿轡さるぐつわにしてやろうか、と朝霧修は冗談めいた。




 四人は自然と連れ同士でペアになり、アトラクションを周った。小坂が虹成を構い出す可能性は秘めていたが、並ぶ前後で話すに留めて朝霧の隣にずっといた。

 虹成はというと、匠斗や小坂に一言二言返すだけ。「今日は随分無口だな」とからかってやったら、物凄い形相で睨んできた。

 何かと朝霧に話を振ってくる匠斗を目障りに思いながら、迎えた昼過ぎ。小坂はメイク直しに行き、匠斗もトイレに走っていった。残された虹成はベンチに腰掛けてスマホをいじりはじめる。


「隣座っていい?」

「駄目」


 隣すわ、のところで即答し、虹成は兄の席を鞄で潰した。わざわざ訊いてやった優しさは伝わっていないだろう。仕方がないので朝霧は立ったまま二人を待つことにする。


「同級生の前くらい、いい顔しろよ。誤解されるだろ」

「は?」


 虹成は鋭く反応し、スマホから目線を上げた。


「誤解って何」

「そんな不機嫌な態度じゃ僕との仲を疑われるぞって意味」

「別にあんたのこと嫌ってるのは事実なんだからいいでしょ」

「酷いな。だから友達ができないんだぞ?」


 友達の話をすると不機嫌になることを承知の上、朝霧は妹の前でわざと言う。虹成は今にも噛み付きそうな顔で舌打ちした。その反応が兄の心を昂ぶらせることを、妹はいつまで経っても理解しない。


「どうせあれも利用するために呼んだんだろ? 女友達がいないからって、好きでもない相手を誘って。可哀想に」

「あんたが何言ってるのか全然わかんない」


 朝霧はフッと鼻で笑った。


「結局お前は僕と同じってことだよ」

「私、気がないなんて一言も言ってないけど」


 スマホに目を落として虹成ははっきりと答える。朝霧の睫毛が微震した。


「他人の好意を利用するしかできないあんたと一緒にしないでくれる?」

「好きなのか?」

「関係ない。妹の交友関係に口出ししないで」


 兄の交友関係に口出しするなよ。去年の夏、朝霧が実際に放った言葉である。自分が傷付けられたきっかけでもある言葉を言い返してくるとは、肝が据わった奴だ。


「萩野に何かしたらあんたのことキモいシスコン野郎って言いふらすから」

「興味ないね」

「あっそ」

「お前こそ言っておけよ、僕に近付くなって」

「言われなくても帰りになったら言うっての」


 虹成の横顔に変化はなかった。読み取られるのを避けているふうにも見える。口だけの脈なし、と悟られたくないわけか。いや、それとも本当に、あの小動物に気があるのか――?

 朝霧の本性を知る人物の心理は読みづらい。ふざけ返してくる猪俣教諭もいれば、兄の冷酷さを知り尽くした虹成は逆張りしてくることがある。

 まあいいか。興味がないのは本当だ。


「こないだ荷物を届けに来たのは彼女に聞いて?」


 虹成は「そう」とぶっきらぼうに言う。


「一週間ぶりに連絡してきたから、だったらこっちもってあんたの荷物渡しに向かっただけ」

「その間は別れてたからな」

「それ別れてたって言うの? ただの喧嘩じゃん」

「まあな」


 元々はっきりと別れたふうでもない。ただ『それまでの関係性』が終わっただけで、交際の有無など朝霧にとってはどっちでもいいことだ。所詮は偽物のカップルなのだから。

 小坂は関係性が戻ったことに喜び、虹成に今度また会おうね、などと一方的に連絡したのだろう。朝霧からすれば決して戻ってはいないのだが。こないだ受け取った着替えも、虹成が兄に直接渡しに来ることはありえないため、彼女というワンクッションが挟まれたわけだ。


「あんたと別れたほうがあの人のためになると思うけど、言ったところでどうせ無駄だし」

「いろいろ奢ってもらってるんだろ? 甘えとけよ、今しかないんだから」


 小坂は虹成を猫可愛がりしている。二人はこれまでも何度か会っているし、小坂は服や小物を虹成にプレゼントするのが好きみたいだ。――いつ別れてもいいように、受け取れるものはすべて受け取っておけ。


「……ほんっとクズ。最低」

「お前のために言ってるんだよ」


 兄の軽口に聞く耳を持たず、虹成は大きくため息をついて、苛ついたみたいにスマホを強くタップした。


「虹成、」

「話しかけんな」

「僕が死んだらお前はどうする?」


 虹成の指が止まった。瞳がスマホ画面ではないどこか虚空に吸い込まれる。眉間のしわがほぐれていき、兄にゆっくりと顔を向けて「あははっ」と。

 虹成は可笑しそうに笑った。


「何それ、最高じゃん」


 溢れんばかりの笑みだった。普段の仏頂面とはほど遠い、可憐な素顔。

 朝霧も笑った。お前が元気そうでよかったよ、と。

 妹のこの日はじめての笑顔が見れて、朝霧修は心から満足した。

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