第四話

何も知らないきみへ

 六月六日。午後二十一時。

 藤ヶ咲ふじがさき北高校裏掲示板――スレッド『ニュース速報』


『ニュースで校長見たのはじめてだわ』

『今までテレビ局来ても全部ドキュメンタリーだったもんね』

『うちの学校終わった?』

笠部かさべは辞めていい』

『被害者の女子って誰?』

『二年でしょ?』

『俺一年って聞いたけど……』

『キメー』

『普通に犯罪だよな』

『汚れちまったなーうちの学校も』


    * * *


 藤ヶ咲北高校に激震が走ったのは昨夜、生物学教師の笠部淳一じゅんいちが逮捕されたニュースが、全国テレビで流れてからだった。学校側は生徒らの下校後に会見を開き、校長を中心にして事の重大性を明らかにした。


(女子高生にみだらな行為と撮影……あの笠部がか)


 昼食を済ませたわたるは窓際最後尾の席で、クラスの雰囲気に触発されたかのようにメールを開く。今朝学校から送られてきた生徒用の一報には、まだ周辺をうろつく記者への注意喚起のみが記されていた。

 おかげでクラスだけでなく学校中が今、笠部の話題で持ちきりだ。どこまでが真実かもわからぬ憶測が飛び交い大賑わい。


(発覚したのは午前中か昼休み。まさかE組じゃ、ないよな……? 女子も男子も全員出席しているし、違うと思いたいけど……でもタイミングが……)


 そこまで思考して、渉はいかんいかんとかぶりを振った。昨日の放課後部活がなくなったのは会見のためと推測できる。つまり、事が起きたのはそれよりも前、昼休みが濃厚だ。

 しかし、いくら身近に起きたからって、こんなふうにいろいろと疑ってしまうのは渉の悪い癖である。教師の不祥事ならなおさら。


 渉はトーク画面を開いて、一番上の欄をタップした。『今から行くね』と打って送信したそのとき、横から「渉くん、」と声をかけられる。


「お昼一緒に食べない? たちばなさんも一緒なんだけどー」


 間延びしながら、りんは「もう食べ終わっちゃったか」と、渉の机の上を見て呆れた。


「相変わらず早いなあ、もう」

「ごめん、友達同士で仲良く食べてくれ」


 そう言って席を立ち、渉はE組の転校生――橘芽亜凛めありをチラ見する。転校初日からクラスに溶け込めていない印象があったが、凛とは仲良くなったのか。席も隣同士だし、クラス委員として凛が気にかけているだけかもしれないが、


(邪魔しないほうがいいよな……)


 せっかく仲良くなれたんだ。女子同士、今は凛に任せておいたほうがいいだろう。


「どこか行くの? 響弥きょうやくんのところ?」

「いや、朝霧あさぎりのところ」


 答えるまでの一瞬、渉は内心ギクリとした。

 親友の響弥とは、先日の一件以来話していない。昨日の昼休みもE組に来なかったし、だからと言って渉が会いに向かうこともなかった。てっきり一日で忘れ去って、すぐに飛びついてくると踏んでいたのに……今朝になっても響弥は来ず。グループトークにも未読通知が溜まっている。――いつもの響弥なら真っ先に渉の元に駆けつけて、笠部の話をはじめていただろう。


「朝霧……くんって、A組の朝霧くん?」

「うん、その朝霧」


 さすがの凛も知っているか。学年一位の有名人は伊達じゃない。


「へえー……仲いいんだ」

「まあ、少しだけ」


 朝霧とのやり取りは、響弥と入れ替わるようにして増えた。暇な休み時間に会いに行ったり、交換したトークで談笑したり。さっきも朝霧の誘いに返信したところだ。

 凛は意外そうな顔で頷く。名残惜しそうに見えるが、渉も急がなければならない。


「そっか……うん、わかった。じゃあまたメールするね」

「おう」


 席へ戻る凛とすれ違って渉は廊下に出た。朝霧の誘いは『昼休み一緒に過ごさない?』というシンプルなもの。凛お手製の弁当を人前で食べるのは照れくさいため、いつもの流れで早急に食べ終わってしまったが、朝霧なら手ぶらでも気にしないだろう。

 D組を通り過ぎた矢先、「もーちーづーきー」と、三つの影が渉の行く手を阻んだ。C組の後ろの扉からにゅっと現れたのは、清水しみず、ゴウ、柿沼かきぬまのいつメン三人組。いつもならそこにいるはずの、響弥の姿はない。


「なんでトークに顔出さねえんよ? お前も響弥もー」と清水が。「お前ら喧嘩したのか?」と柿沼が尋ねる。


「別に喧嘩ってほどじゃねえよ」

「だったらなんで顔出さないんだよ。こないだのカラオケだって、望月もちづき来なかったし」

「あれは用事ができたから……」

「どういう用事?」と今度はゴウがのめり込む。


 う、と渉は口ごもった。揃いも揃って響弥と同じことを訊いてくる……。どんな用事だっていいだろうが――


「A組の朝霧と関係あんだろ?」


 こらえきれなかった様子で清水が口を挟んだ。「悪ぃ、響弥から聞いてさ……急に仲良くなったとか? お前らいつから関係してたん?」と。

 渉はピクリと片眉を上下させた。ふーん、なるほど、そういうこと。


「……知ってて鎌かけたのかよ」

「いやいや、そんな言い方しないでよ。僕らはただ、神永かみながと何があったのか知りたくて」

「響弥とじゃないだろ。本命は朝霧のこと、響弥から探るように言われてきたんだろ? バレバレ」


 清水をフォローしたゴウも含め、三人の顔色は虚を衝かれたように曇り切る。響弥との仲がこじれているのを理由に、朝霧のことを聞き出しに来たのだ。響弥が『訊いてきてほしい』と言い出したのか、それとも三人のうちの誰かが提案したのか。


「な、なら話が早い! ゴホン……ど、どういう関係?」


 清水は咳払いをして、内緒話をするみたいに姿勢を低くした。けれど、渉にそんな気は毛頭ない。

「お前らには関係ねえよ」と三人を追い抜こうとした。最初から正直に言ってくれれば、少しは考えたのに。


「望月!」


 柿沼は大きく横に踏み出し、渉を正面から止める。


「なあ、俺らそんな仲じゃねーじゃん。隠し事とかさぁ、らしくねえって」

「そうだよ。朝霧とのこと聞きてえだけじゃん。なんでそんなに嫌がるん?」

「事情がわかれば、神永だって納得してくれるよ?」


 柿沼に続いて清水とゴウが畳み掛ける。


「だから、それは……」


 他人のデリケートな話を適当に言いふらすものではないし、泊まる場所がなくて困っていたなどと軽々しく口にできない。しかし黙っていても彼らは納得しないだろう。どうしたものか。

 はあ……と、うなだれた渉が顔を上げたとき、思わず「あ」と喉が鳴った。


「ふーん。僕の話してるんだ」

「っうぉ!?」


 三人は声を合わせて飛び上がる。覗き込むように背後に立っていたのは、ほかの誰でもない朝霧本人だった。

 朝霧は渉と目を合わせるとニコリと微笑んで、「おいで」と優しくいざなう。自分に向けられた確かな視線に、渉は救われた気持ちで隣へと回った。


「でー、何? もしかして悪い話だった?」


 朝霧は三人に続けて問いかける。話を切り上げようとはしないのか。

 渉は「あ、朝霧……もういいって」と彼の袖を指先で摘んだ。清水らもためらっているようだし、朝霧だって答える必要はない。

 だが、早く行こうと渉が訴えかけても、朝霧は不思議そうにコクンと首を傾げている。察しが悪いのはわざとか? と疑ってしまうほど無垢な顔つきで。

 いつメンは口々に言った。


「お、お前と……望月がさぁ……」

「最近仲いいよねって話してたんだ」

「どういう関係だ。まさか言えないわけないよなぁ?」


 一人だけ語調を強める柿沼に渉はムッと顔をしかめた。そんな言い方しなくたっていいだろ。

 響弥たちが、朝霧のことを探ろうとするのは、彼が有名人だからだ。歩いているだけで黄色い声が上がる人気者。だからこうして怪しんでいる。渉と不釣り合いだから。それはよく言うと心配の表れで、悪く言うと嫉妬に当たるのだろうか。


「……なるほど。その話か」と、朝霧は顎に添えていた手で渉の肩をぐっと強く引き寄せた。渉の肩身が文字通り狭くなる。


「実はね、今望月くんの家に泊めてもらってるんだ」

「は?」

「え?」


 驚いたのは三人だけではなかった。渉も揃って目を丸くする。

 だって朝霧は、まだ一度も渉の家には泊まりに来ていない。

「ど、どゆこと?」と清水は目を泳がせた。


「僕……両親との折り合いが悪くてね、たびたび困ることがあるんだ。それで、先日望月くんが助けてくれて」


 三人は気まずそうに顔を見合わせる。まるで、みなまで言わずともわかったような顔つきで。


「ごめんね、だからしばらく望月くんのこと借りちゃうけど……今の話は内緒にしておいてくれないかな? 僕らだけのヒミツ」


 ね? と朝霧は苦笑を浮かべ、唇に人差し指を当てる。いつまで俺は引き寄せられたままなのだと、渉は朝霧の手を直視した。長くてしなやかな指ががっちりと肩を掴んでいる。見た目の割に力があるのか、渉の無抵抗も重なって動けない。


「そ、そういうことなら……な?」


 柿沼は二人に目配せした。清水とゴウはおずおずと同意する。


「も、望月……ごめんな、言いづらかったよな」

「悪ぃ……」

「ごめん……」


 申し訳なさそうに肩をすくめる三人に、渉はううんと首を振った。


「いいよ。俺も、ごめん」


 そうして「行こう」と朝霧が踵を返したので、渉も自然と背を向けた。きっと意地を張っているのは響弥に対してだけである。響弥への負の感情が邪魔をしているだけで、この三人に非はないのだ。

 しばらく廊下を進み、周りから解放されたところで渉は切り出した。


「朝霧、さっきの話って……」

「ああ言ったほうが納得してくれると思ったんだ。ごめんね、咄嗟に誤魔化しちゃった」


 彼が言うのは、泊めてもらっている件のほうだろう。渉が気になっているのはそうではなく、


「それは別にいいんだけど……親と不仲ってのは?」


 ――注意深く見ていた朝霧の表情は変わらなかった。


「本当のことだよ。知らなかった?」

「うん……」

「清水くんたちは知ってたみたいだね。察して引き下がってくれたみたい」

「だな……」


 じゃなきゃ今頃詳しく聞き出しているはずだ。そうしなかったのは、聞き覚えがあったから。

 三人の様子の変化に渉はもちろん、朝霧も気づいていた。それだけの洞察力があるのだから、やはり先ほどはわざととぼけていたことになる。

 自分絡みの話で困っている渉を見て、助けてくれたのだろうか。


「俺はお前のこと何も知らないのに」


 自身に対する愚痴のような、渉の何気ない呟きに、朝霧は素早く反応した。


「何が知りたい?」

「え?」

「なんでも答えてあげるよ。きみが望むのなら」


 隣で見上げた朝霧の目元は弧を描き、いたずらっ子の笑みを湛えていた。きみには訊けない、踏み込めない――そうわかりきっているかのような挑戦的な表情に、渉の心臓がきゅっと縮む。

 ――なんだよもう。人を試すような顔しやがって。

 朝霧の彼女や妹、家族との折り合いも含めて――気になることは山ほどあるが――渉は結局、昼休みが終わっても、何ひとつ尋ねることはできなかった。

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