第三話
呪われた子供たち
『
キャップ帽を目深に被った彼女は、渉の顔を覗き込んでそう言った。
どこか懐かしさを感じるセピア色の世界には、オルゴールでできた軽快な音楽が流れている。目で見なくとも感じ取れるのは、遠くからでも自身の存在を主張する大きな観覧車。くるくると回るコーヒーカップ。悲鳴轟くお化け屋敷。愉快に踊るメリーゴーランド。
渉は苦笑いで頬を掻いた。
――協力って言われても……。
『最初のジャンケン、まずはチョキを出してください。一発目はそれで勝てるはずです』
――チョ、チョキ?
『はい、次はパーです。三戦目はあいこにしてみましょうか。チョキの後にもう一度チョキを出せば勝てるはずです。……相手の法則が変わらなければ』
――法則ってのは……。
『できるだけ
――でも凛も勝たないと一緒にはなれないんだろ?
『私は頑張って負け続けます。だから渉くんも、頑張って勝ってください。凛と二人きりになって、好感度を高めて、観覧車で告白。いいですか?』
「うん……頑張るよ……」
そう口にすると同時に渉は目を覚ました。明るい視界の先には、誰も寝ていない枕がひとつ。「えっ!」と思わず声に出し、布団から飛び起きる。
「おはよう。何を頑張るの?」
目の前には制服姿の
「おっ……おはよう」
「僕お腹空いちゃった。ファーストフード店にご飯食べに行こうよ」
「す、すぐ支度する」
渉は顔を洗いに洗面所へ向かい、昨夜ヌギ先輩の家に朝霧と泊まったことを思い出した。人の家で目覚めるのは慣れないというか、変な感じがする。朝霧は平気みたいだけど、逆に早く目覚めてしまった可能性も――いや、ないか、とさっきのマイペースぶりを思い浮かべて訂正した。
「夢でも見てた?」
後ろから朝霧の声がする。渉は「うん」と返事をして、出し忘れたタオルに気づかずに洗面台の脇をぺたぺたと探り続けた。「どんな夢?」と朝霧からタオルを手渡されて、自分のドジに気がつく。
渉は顔を隠すよう耳までタオルにうずめた。
「遊園地で遊ぶ夢。お前と凛と、あと……女の子が一人。顔は思い出せないけど、四人でいたよ」
「ふぅん。僕も一緒にいたんだ? 嬉しいね」
朝霧は鏡越しに微笑むが、顔を上げた渉の表情は曇っていた。
遊園地で遊ぶという楽しい内容のはずなのに、夢のなかの渉はちっとも楽しくも嬉しくもなかった。いいや、本当は『楽しんでいた』はずなのだ。けれど、目覚めたときの心情は、酷く寂しいもの。
あの頃には戻れないんだ――と。渉は、ありもしない経験を羨んだ。
* * *
朝の職員室には巨人の地響きのような雨音がこだましている。昨日の晴天はまやかしだったのか、一夜で梅雨の天気に戻ってしまった。
石橋先生は姿勢をデスクに戻した。もう行ってもいい、の合図だ。これ以上の話がないことを芽亜凛は知っている。
「先生は、ネコメ刑事――いえ、
芽亜凛の思い切った問いかけに、石橋先生は目を見開いた。
「十年前に何があったのか、石橋先生に聞くよう勧められました。私は……知らなきゃいけないんだと思います」
あの時から、薄々勘付いていた。
『……そいつは隠しているかもしれない。俺はその生徒のSOSを、ただ待つことしかできないのさ』
『SOSを出したら、先生は何かしてくれるんですか?』
『どうにかしてやる』
そう言われたあの時から――この先生は『経験者』のことを知っているのだろうと、ずっと前からわかっていた。しかし芽亜凛はそれを、拒み続けた。学校から逃げ、次は『彼』を監視しているからという理由を盾に、先生と話すことを後回しにしていた。
もしもあの時名乗り出ていれば、すぐにネコメと通じたのだろう。すでに犠牲者は出てしまっていたけれど、それでも救いには近付けたはず。
だが今は誰も欠けていない。この
「金古は――彼は独りで戦っていた」
そう言って石橋先生は、椅子ごとゆっくりと振り返る。話すときが来たのかと、決意を込めた表情で。
「図書室の資料は読んだかな?」
「……読みました、以前に」
「そうか。あちらで話そう」
石橋先生は立ち上がると、職員室隅に設けられた小さな会議室を見た。説明は不要――芽亜凛の言った『以前に』の意味は正しく伝わっているらしい。
会議室のソファーに腰を下ろすと、石橋先生は二人分の湯呑にお茶を注ぎ、重々しい口を開いた。
「金古は二年E組の生徒だった。進級してすぐ、金古は副担任だった俺に、このクラスで殺しがはじまると言った。最初は何を言っているのかわからなかった。自分はこの一年間を何度もやり直している、どうか協力してほしいと頼まれた。にわかには信じがたい話だった――担任の教師が、クラスの生徒を殺そうとしているなど」
二〇〇九年。それまで続いた呪い人による犠牲者が出なくなった年である。はじめて祓もなしに止んだことから、新聞の見出しには『呪い消滅か!?』と書かれていた。
「石橋先生は、金古刑事のことを信じたんですか?」
「信じるしかなかった。これから俺に起きる出来事をすべて当てられては、信じるしかなかった。金古は三日間、俺に、昨日起こった出来事を聞いていたらしい。俺ではない俺が、金古に話したんだ。学校外、プライベートのことまで金古は予言した。……だから先生は信じたんだ」
それは芽亜凛が、いつかの渉を説得した手法と同じ。本人しか知り得ない話を聞き出して、後に用いる。やっていることは同じなんだなと、芽亜凛は心のどこかで安堵した。
「その担任の教師って、自殺したんですよね……?」
「うん、その四年後にな。だが金古はそう思っていないよ。仲間に殺されたと彼は思っている」
「仲間……」
芽亜凛は湯呑に口を付けた。その仲間が
「三年になって、金古は後輩の手助けをした。二〇一〇年にもいたんだ。金古と同じ境遇の生徒が」
「そのときの担任は?」
「変わっていたよ。彼は三年の担任を務めていた。だから手出しもできなかった」
でも、繰り返す者は己のチカラを自覚している。つまり、死を経験している。
――きっとその人も、何度も……。
「金古の経験が受け継がれ、後輩たちも戦った。俺には彼らが何と戦っているのか見えなかったが、彼らだけが死を経験し、教師の本当の顔を知っていたんだ」
教師自殺の記事に書かれていたのは、暴力教師という言葉。
素顔を隠して、人を殺めることができる――
「石橋先生から見て、彼らはどんな対策を……?」
「何も……というのは失礼かもしれないな。ただ、連携を取っているように見えた。未然に防ぎ、自分の身を守っていた。金古は独りだったが……後輩の彼らは仲良くやっていた」
「金古さんは……自分が呪い人だったんでしょうか」
「そうだ」
石橋先生は頷いた。
「金古は最初から独りだった。聞けば彼の友人は、三月頃から急におかしくなったと言っていた。冷たくなり、無視するようになり、自分には関わらないでほしいとあしらわれたと。だから友人たちも、金古に近付かないようにしていた。――それでも担任は、彼を殺しの中心にしたんだ。最初は隣の席の生徒、次に親友、委員会の仲間。どれだけ遠ざけても、自分に関わる人間が狙われると金古は言っていた。金古は誰よりも、自分自身を呪っていたんだ」
二の句が継げず、芽亜凛は唇を噛み締めた。ネコメの口からは聞けない話だと思ったから。
「それでも彼が独りでいようとしたのは、そのほうがマシだったからだろう。それよりも恐ろしいものを経験してきたんだ。独りにならなければ、対処しきれないほどの者が狙われる。――俺に接触をしたのは、大丈夫だと知っていたからだ。教師は狙われない、と金古は言っていた」
「……先生が死んだら、学校の運営が追いつかなくなるから?」
そこまで口にして、芽亜凛はハッと、あることに気がついた。
「まさか、ターゲットがひとつのクラスに絞られているのも、学校そのものを廃校にさせないため――」
計算された
名門校とは言え、学校全体が殺戮校となってしまっては、権力者の手を借りても対処の仕様がない。現場が二年E組に選ばれてしまったのは、殺人教師がはじめて受け持ったクラスだからとか、そんな理由だろう。
そして、その基盤さえ出来上がってしまえば、定義のずれも目立たない。呪い人復活の言葉だけがひとり歩きし、呪いの定義や歴史を探る者はいない。茉結華がしようとしていることだ。
「学校の屋上が閉鎖されているのは知っている?」
石橋先生はお茶を一口すすって不意な質問をする。
「はい、知ってますけど……」
「二〇〇九年の藤北からは、確かに死亡者は出ていない。だが、一人亡くなった者がいる」
図書室のファイルにそんな記事はなかった。単に切り抜き忘れたのか、それとも――藤北とは無関係の人物。
「誰ですか?」
芽亜凛は食い入るような目を向けた。
「当時、呪い人の記事を書いた新聞記者だ。オカルトの名称を広め、そして消滅まで書いた――その人は、遺体で発見された。殺されたそうだ。犯人はまだ捕まっていない」
「……それも担任教師の仕業でしょうか」
「わからない。だが、呪い消滅の記事が出てすぐのことだった。金古はそれすらも自分のせいだと思い、学校の屋上から飛び降りた」
どさり。遠くで紙束の崩れる音がした。
地面に叩きつけられた時の痛みと衝撃を思い出し、額に汗が浮かび上がる。芽亜凛は必死に、頭のなかで言葉を探した。
「助かったってことですよね……」
「奇跡的にな」石橋先生はうんと深く頷いた。「その後、少年一名が負傷という記事が出たが、あれは金古のことだ。自殺未遂ではなく、呪いの延長線のように後付されていたがな」
淡々と告げてから、先生はため息をついた。当時を思い返して呆れているのか。記事の内容に対してではなく、屋上から飛び降りた馬鹿に対するため息のように見て取れた。
「新聞の切り抜きを集めたのは金古刑事ですか?」
「ああ、ほとんどがそうだ。卒業してからは俺が引き継いでいる」
それもすべて、今後現れる可能性を秘めた芽亜凛のような後輩たちに向けて。職員室ではなく図書室に置いているのも、生徒の目に付きやすくするためだろう。
石橋先生は時計を確認した。芽亜凛も部屋の時計に顔を向ける。朝の小テストの時間はとっくに回っており、もうすぐホームルーム開始の予鈴が鳴るところだった。石橋先生は少し慌てた様子で立ち上がった。
「先に教室に行きなさい。先生は後から行く」
生徒の身に気を遣ってか、石橋先生はそんなふうに急かした。
「すみません。ありがとうございました」
「
石橋は、会議室を出ようとした芽亜凛を呼び止めて、
「危険なことには足を踏み入れないように。何かあったら、また来なさい」
と、まるで普通の生徒に対するときと変わらぬ様子で続けた。
石橋先生が、生徒に対して一定の距離を保ち続けるのは、特殊な生徒を特殊扱いしないためだろうか。きみたちは何もおかしくない。みんなと変わらない、普通の生徒なのだと。
そんな考えがふと浮かんで、芽亜凛はもう一度頭を下げた。
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